第39話:片手の誓い・リハビリという名の先行投資
東京、隅田川沿いの静かな公園。
早朝の冷たい空気が、健太の肺を鋭く刺激する。
右腕はまだ厚いギプスに固定されているが、健太の瞳からは「敗北」の濁りは消え失せ、冷徹なまでの「再起」の光が宿っていた。
「……フゴーッ、フゴーッ!!」
スエは、特注の「リハビリ応援バンダナ」を首に巻き、健太の周囲を軽快に駆け回っている。その動きは、まるでおじさんの重い心を鼓舞するチアリーダーだ。
特命のリハビリテーション
健太は公園の片隅にある、年季の入った鉄棒の前に立った。
「……スエ。右腕が死んでいるなら、左腕を二倍に強化すればいい。単純な足し算だ」
健太は左手だけで鉄棒を掴んだ。
普通の36歳なら、ぶら下がることすら困難な「片手懸垂」。だが、健太が目指しているのは、SGのG(重力)を左腕一本でねじ伏せるための、超人的な筋力とバランス感覚の再構築だった。
「……ぬ……ぐっ……!!」
広背筋が悲鳴を上げ、血管が浮き出る。
体の軸が右へ傾こうとするのを、腹筋と体幹で強引に修正する。これはボートの上で、コントロールを失った機体を立て直す動作そのものだ。
「ワンッ! ワンッ! ワンッ!!(いける! あと1センチだ、おじさんッ!!)」
スエが鉄棒の真下で立ち上がり、前足で空をかく。まるで健太の体を押し上げようとするかのように。
初の片手懸垂:到達
「……おおおおおッ!!」
最後の一搾り。健太の顎が、鉄棒のラインを越えた。
左腕一本で、己の体重と、挫折という名の重圧をすべて引き揚げた瞬間だった。
「……はぁ、はぁ、はぁ……。……見たか、スエ。……計算通りだ」
鉄棒から降りた健太の元へ、スエが飛びつく。健太は汗だくのまま左手でスエを抱き上げ、その温もりを感じた。
影で支える「女王」と「アナ」
その様子を、公園の木陰から見つめる二つの影があった。
「……バカね。あんな無茶して。……でも、あの背中。やっぱり、私が惚れ……じゃなくて、認めた男だわ」
変装した麗華が、双眼鏡を握りしめて呟く。彼女の手には、福岡の有名店から取り寄せた「筋肉回復に効く特製スープ」の水筒があった。
「……佐伯さん。その左腕で、東雲の喉元を掴む日は近いですね」
少し離れた車の中から、古閑まきこもまた、タブレットで健太のトレーニング動画(密着取材)を記録しながら、不敵に微笑んでいた。
夜の決算:裏の監査
夜。自宅に戻った健太は、スエに最高級のササミ(リハビリ手当)を与え、左手だけでキーボードを叩き始めた。
「……よし。筋力は戻りつつある。……次は、東雲グループの『不透明な資金』の動きを、この左手で差し押さえる番だ」
画面には、東雲グループがSGの裏で動かしていた、巨額の違法賭博ルートのマップが浮かび上がっていた。
水上のリベンジの前に、まずは地上での「強制捜査」が始まろうとしている。
「フゴッ」
スエは、健太の足元で丸くなり、主人の再起を確信して深い眠りについた。




