『魔境江戸川・八百八州の刺客』
2041年7月。東京・江戸川競艇場。
日本で唯一、河川をそのまま利用したこの水面は、上げ潮と下げ潮がぶつかり合い、不規則な「うねり」がレーサーを飲み込む魔境だ。
「……随分と賑やかになったな、江戸川も」
健太は、ピットで『ハヤブサ』のエンジンカウルを開け、鋭い眼光で内部を点検していた。火野の連絡通り、マブイの流量制御弁に、目立たないが致命的な「ヤスリ跡」があった。
「フゴーッ! フゴーッ!!」
スエがピットの入り口に向かって吠える。
そこには、全国から集結した猛者たちの姿があった。
続々と現れる強敵たち
「あら、江戸川の泥水は相変わらずね。……佐伯さん、私の『精密ターン』の邪魔だけはしないでちょうだい」
岡山の長野友里恵が、44号機のペラを光らせながら通り過ぎる。その傍らでは、メカニック兼任の薮本明子が、鋭い視線で健太のハヤブサを分析していた。
「……いいエンジンね。でも、調整が甘い。私ならもっと『差し』に特化させるわ」
さらに、群馬支部からは「スタートの神」蜂須賀美恵子と、職人気質の神崎裕次郎。
「36歳の新人さん。江戸川のゼロ台スタート、あんたに耐えられるかい?」
兵庫からは、マブイコントロールの天才・福田光帆と、不気味なレース運びを見せる井上忠興。
「前方で足を溜めて、最後にお前を食い切ってやるよ」
そして――。
「……佐伯。約束通り、全速で叩き潰しに来たぞ」
福井から特別招待枠で参戦した、若狭の総帥・中島和樹。その後ろには、マブイの気配を消した沼田一恵も立っている。
麗華の参戦と決意
「ちょっと! 全員で寄ってたかって、うちの『新人』をいじめないでくれる?」
真っ赤なレーシングスーツに身を包んだ霧島麗華が、健太の隣に陣取った。
「佐伯。ハヤブサの不調は、白石に調べさせてるわ。……あなたはレースに集中しなさい。江戸川のうねりは、福井の淡水ほど優しくないわよ」
「……わかっています、霧島さん。……借方は『細工された機体』、貸方は『全員ぶち抜く気合』。……帳尻は、水面で合わせます」
第一レース:濁流の洗礼
健太は初日、第12レース「ドリーム戦」に出走。
1コースに中島(福井)、2コースに麗華(東京)、3コースに長野(岡山)、4コースに蜂須賀(群馬)、5コースに井上(兵庫)、そして6コースに健太。
江戸川の下げ潮が最高潮に達し、水面には直径2メートルの「渦」が発生している。
「……スタート!!」
蜂須賀がコンマ05の超抜スタートで飛び出す。だが、江戸川のうねりが全艇を容赦なく弾く。
健太は、細工されたレギュレーターの「遊び」を逆に利用し、マブイの供給をあえて断続的に行う**『パルス・スロットル』**を敢行した。
「スエ! どこだ、一番静かなラインは!」
ピットでスエが吠える。その声を無線越しに聞き取り、健太は渦の「中心」へと突っ込んだ。
「狂ってる……! あの渦に飛び込むなんて!」
福田光帆が叫ぶ。
だが、ハヤブサは渦の回転を遠心力に変え、弾丸のように1マークを立ち上がった。
細工を施した犯人が計算し得なかった、健太の「現場の即興力」。
「……サラリーマンを、なめるなよ……ッ!!」
初戦、死地から生還した健太が、全国のスペシャリストたちを震撼させる。
だが、ピットの影で、ハヤブサの予備パーツを握りつぶす「黒い手袋」があった。




