『もふもふの決算・スエと剛毅』
敦賀競艇場、選手宿舎に隣接した休憩スペース。
ナイターレースを控え、ピット全体に緊張感が漂う中、そこだけは別世界のような緩やかな空気が流れていた。
「……フゴー。フゴー」
健太の愛犬、パグのスエは、北陸の心地よい風に吹かれながら、持参した座布団の上で盛大に鼻を鳴らしていた。
その視線の先、ベンチの上で銀色の毛玉が動いた。
「あら、佐伯さんのところのスエちゃん? 今日もいい鼻鳴らしね」
チームスプリンターズの清水房江が、愛獣のチンチラ、**剛毅**を抱いて現れた。
剛毅は、その名の通り(?)チンチラとは思えないほど堂々とした佇まいで、スエをじっと見つめている。
「……清水さん。剛毅くん、相変わらず毛並みがいいですね。経理部の高級絨毯より手触りが良さそうだ」
健太はハヤブサの整備の手を止め、少しだけ表情を緩めた。
清水が剛毅をスエの隣に座らせると、スエは「……フゴッ?」と一瞬警戒したように首を傾げたが、次の瞬間には、剛毅のふわふわの尻尾に鼻を押し付けていた。
「あ、剛毅、くすぐったいみたい。……ほら、仲良くして」
剛毅は嫌がる風でもなく、小さな手でスエのシワの寄ったおでこを「ポン」と叩いた。まるで、年下の部下を労うベテラン上司のような貫禄だ。
「……清水さん。剛毅くんのその『動じない姿勢』、レースでも活きてるんじゃないですか? 敦賀の硬い水面でも跳ねない、あの安定感」
「ふふ、どうかしら。剛毅はただ、美味しいドライフルーツのことしか考えてないわよ。佐伯さんのスエちゃんこそ、健太さんの過酷なレースを一番近くで支えてる『敏腕秘書』じゃない」
スエは清水の言葉がわかったのか、剛毅に負けじと「ドヤ顔」で胸を張った。
だが、剛毅が持っていた乾燥リンゴを一欠片差し出すと、スエの「敏腕秘書」の面影は一瞬で消え、全力で尻尾を振って食らいついた。
「……一円の妥協もない食欲だな」
健太は苦笑しながら、その光景をスマホに収めた。
この二匹の交流は、ピットでピリピリしていた若手レーサーたちの心も、わずかに溶かしていく。
「……なんか、あのおっさんの犬と清水さんのネズミ……見てるだけでマブイの同期効率が上がりそうっすね」
通りかかった火野龍也が、柄にもなく顔を綻ばせている。
だが、そんな穏やかな空気の中、遠くから沼田一恵の無機質な視線が注がれていた。
彼女の足元には、マブイの気配が一切ない。
「……おじさんの犬。……美味しそうに食べてる」
沼田の呟きに、スエと剛毅が同時に動きを止めた。
動物特有の直感が、夜の闇に潜む「サイレントキル」の予兆を察知したのかもしれない。
「……さて、休憩は終わりだ。スエ、剛毅くんにお礼を言っておけよ」
健太はスエを抱き上げると、再び「元総長」の、そして「不屈のレーサー」の目に戻った。
剛毅は清水の肩の上で、まるで「夜のレース、気をつけろよ」と言いたげに、一度だけ鼻をヒクつかせた。




