準優勝戦・熾烈なる陣取り(チェックメイト)
「おいおい、新人。ここは教習所じゃねえんだ。大人しく6コースに引っ込んでな」
ピット離れの瞬間、重厚な排気音とともに黒澤剛の「狂犬」が牙を剥いた。
準優勝戦、第11レース。
1号艇・西貴斗、2号艇・霧島麗華、3号艇・白石悠真、そして6号艇に佐伯健太。
通常なら新人は大外に構えるのが暗黙の了解。だが、待機行動に入った瞬間、黒澤の4号艇と火野龍也の5号艇が、猛然と内側へ舵を切った。
「悪いなオッサン、尊敬はしてるが、勝負は別だ!」
火野が若さゆえの強引さで健太の進路をブロックする。
1マーク手前:スロースタートの罠
「……前付けか。懐かしいな、この強引な感じは」
健太はヘルメットの中でニヤリと笑った。暴走族時代、狭い路地で相手を追い込む「ハメ」の構図と同じだ。
黒澤と火野が強引に内へ入り、1コースの西を脅かす。結果、各艇が助走距離の短い「深イン」状態に陥る。
「……バカめ。全員、欲を出しすぎだ」
健太はあえて内への執着を捨てた。
強引にコースを主張する黒澤たちのさらに外。だが、単なる6コースではない。
健太は、平和島の「潮の流れ」が一番速いラインにハヤブサをピタリと止めた。
「佐伯……!? 5コースまで入る気かと思えば、そんな外で……。データの無駄遣いですよ」
1マーク付近で艇を並べる白石が嘲笑する。
だが、健太の目は、ビル風が作る「一瞬の凪」を捉えていた。
スタート:全額投資
「……0.12、今だ!」
大時計が動く。
内側の西、麗華、黒澤たちは、助走距離が短すぎて加速が乗らない。
対して、十分な助走を取った健太の6号艇は、潮の流れに乗って「ハヤブサ」の名に恥じぬ弾丸のような加速を見せた。
「なにっ……!? 6コースが、あんな位置に……!」
西が驚愕する。
内側が団子状態で競り合う中、健太だけが「全開の視界」を持って1マークに飛び込む。
旋回:狂犬の差し
「サラリーマンを、なめるなよ……ッ!!」
健太は、団子状態になった西と黒澤の「わずかな接触」で生まれた隙間を見逃さなかった。
マブイの流量を極限まで絞り、ボートを水面に食いつかせる。
黒澤の「まくり」と、西の「逃げ」がぶつかり合って生まれた激しい引き波。
その荒波の「谷」を、健太はハヤブサの翼で切り裂くように貫いた。
最内突破(ブチ抜き)。
「……嘘でしょ!? あの隙間を通ったの!?」
麗華が絶叫する。
バックストレッチに出たとき、先頭に立っていたのは、誰もが「死にコース」だと思っていた大外から飛び込んだ、緑のカポックだった。
決着:予選1位の陥落
「……これが、現場の『判断力』だ」
健太は、追いすがる西と麗華のプレッシャーを、バックストレッチの形状を利用して完璧に封じ込めた。
1円のミスも許されない経理部の緻密さと、一瞬の隙に命を懸ける暴走族の胆力。
その二つが融合した健太に、もはや死角はなかった。
結果は、6-1-2。
またしても特大の万舟券。
史上最年長の新人が、東京支部のトップエリートたちを文字通り「掃除」して、優勝戦への切符をもぎ取った。
ピットにて
艇を降りた健太の元へ、黒澤が苦笑しながら歩み寄ってきた。
「……完敗だ、佐伯。お前、わざと俺たちに内を譲りやがったな?」
「……いえ。単に、一番『収益性の高い』コースを選んだだけですよ、黒澤さん」
健太はそう言って、再び黒縁眼鏡をかけた。
その視線の先には、敗北の屈辱に震える西貴斗と、どこか楽しげに健太を見つめる霧島麗華の姿があった。
「……次は、優勝戦だ。鉄、お前の餌も特上にしてやるよ」
健太は愛犬の幻影に語りかけ、疲弊した体に鞭打って、最終決戦の整備室へと向かった。




