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からくり競艇〜サラリーマン、魂のフルスロットル〜  作者: 水前寺鯉太郎
プロ駆け出し編

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12/42

平和島の刺客

2041年5月、平和島競艇場。

東京支部所属、佐伯健太のデビュー節。その初日・第12レース。

「東のメッカ」と呼ばれるこの水面は、周囲のビル群から吹き下ろす「ビル風」が不規則に渦巻き、海水特有の重い飛沫が顔を打つ。

ピット離れ。61号機『ハヤブサ』が静かに水面へ滑り出す。

1コースには、圧倒的なマブイ量を誇る西貴斗。最新鋭の白い艇が、王者の風格でどっしりと居座る。

対する健太は、新人らしく大外6コース。緑のカポックを纏い、地味な黒縁眼鏡を外してヘルメットを被った。

(……風速4メートル、北北西。潮は満潮へ向かう。1マークの振り幅は37メートル。……計算通りだ)

健太はヘルメットの中で、経理部の決算期のような集中力で思考を走らせた。

1コースの西は、圧倒的なパワーで「逃げ」を図るだろう。だが、ここ平和島の1マークは狭い。パワーがありすぎれば、ターンの出口で必ず艇が外へ流れる。

「平民の走りを見学させてもらうよ、佐伯さん」

通信機から西の余裕たっぷりの声が聞こえる。健太は答えず、スロットルに添えた指先を0.1ミリ動かした。

スタート:0.05秒の攻防

「……行け、ハヤブサ!」

大時計の針が頂点を回る。

全艇、正常なスタート。西の1号艇がトップスタートを切り、圧倒的な加速で1マークへ突っ込む。

だが、健太の6号艇も遅れてはいない。外から被せるのではなく、あえて一歩引いた位置から、最短の「差し」の角度を狙う。

1マーク。西が旋回に入る。

合計32,000のマブイ出力。強引にパワーで水をねじ伏せようとするが、平和島特有のビル風が西の艇の底を掬い、狭いコーナーで遠心力が牙を剥く。

「……くっ、外に流れる……!?」

西の叫び。パワーが仇となり、1号艇の懐に広大な「空き地」が生まれた。

「……予算超過オーバーワークだ、西くん」

健太が呟く。

ハヤブサの側面に描かれた鳥の模様が、水面スレスレで跳ねた。

健太はマブイの流量を極限まで絞り、ボートの挙動を完全に制御。荒波の谷間に、吸い込まれるように潜り込む。

「サラリーマンを、なめるなよ……ッ!!」

決着:平和島の魔法

最内を突く「6コースからの差し」。

平和島特有の右斜めに広がるバックストレッチ。安全策として斜行が禁じられているこのゾーンで、健太のハヤブサは誰にも邪魔されることなく、直線で西の艇を捉えた。

「な、何っ……!? なぜ3,000のマブイで、俺の加速に付いてこれる!」

西が驚愕する。

「……加速じゃない。お前が勝手に『赤字ロス』を出しただけだ」

健太の精密スロットルは、ビル風の抵抗を計算に入れ、最も効率的なベクトルで艇を前進させていた。

2マーク。

焦った西が強引に内へ切り込むが、健太は既にその先を読んでいた。

波を殺し、最短距離を回る。

ゴールラインを駆け抜けたのは、大外からすべてを飲み込んだ6号艇、佐伯健太だった。

レース後:静まり返るピット

場内の電光掲示板に**「6-1-2」**の数字が並び、平和島の観客席がどよめきに包まれる。

万舟券マンシュウ。デビュー戦にして、史上最年長のルーキーが特大の配当を叩き出した。

ピットに戻った健太を、東京支部の面々が迎える。

「……信じられない。私の計算では、あなたの勝率は0.4%だったはずよ」

霧島麗華が、震える手で将棋の駒のように健太を凝視する。

西貴斗は、艇から降りることもできず、ただ自分の手を見つめていた。

「血統が……この僕が、平民の差しに屈した……?」

そんな若者たちを尻目に、健太はヘルメットを脱ぎ、再び黒縁眼鏡をかけた。

夕方の青髭が少し浮いた、どこにでもいる「疲れたおじさん」の顔に戻って。

「……お疲れ様。……さて、明日の出走表の精算チェックに行かないとな」

その背中を、黒澤剛が愉快そうに叩いた。

「ガハハ! やりやがったな、雷神! 江戸川の泥の味が、平和島でも効いたか!」

東京支部の新しい「日常」が、この日から確実に狂い始めた。

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