温泉はみんな好き
湯治。ざっくり言えば、温泉に浸かって体の疲れとったり傷を癒したりすること。
九月も半ばになったとはいえ、まだまだ残暑が厳しい。殺人的な暑さだ。
公園の近く通ったら救急車、スーパー寄ったら救急車、普通に歩いてたら救急車、病院に検査行ったら運ばれてくる熱中症患者。
昔はもうちょい涼しかったはずなのに、今じゃこんな感じ。絶対週に五回くらいは暑さでやられてしまった人や、患者を運ぶ救急車を見る。
こんな具合なので最近では秋に行われていた運動会や体育祭は、五月か六月などのまだ暑さがそこまで酷くない時期に行われるようになったらしい。
九月ともなればもう秋で、前なら食欲だの、読書だの、スポーツだのと言われていたけれど、今じゃあスポーツの部分は抜けてしまった。
というわけで、湯治である。くっっっっそ暑いけれど、温泉である。
わたしの折れた腕と足の骨はちゃんとくっついた。頑張ったので。
んで。そっちを優先してしまったせいで、階段を転げ落ちたせいで体のあっちこっちにできた打撲跡は全然治ってないんだな。
だから温泉。まったりのんびり英気を養って、残りの傷を癒すのだ。
というわけで、栗原も誘ってとある温泉宿にやって来た。
近くに結構有名な温泉街があるのだが、ここはそこから少し外れた場所にあるので観光客の姿は無く(たぶん時期のせいもある)、地元の人が時々近くを通るくらいで人気が少なく、静かな場所である。
温泉宿のすぐ後ろには山があって、そこに温泉の源泉があるそうな。
宿は結構広い。こう、古き良きでっけえ温泉宿みたいな感じ。
受付のあるエントランスの横には売店があって、この宿の名物である温泉まんじゅうがででーんと主張強めに置かれていた。
その横には添えるように温泉卵が置いてある。同じ温泉名物なのに主張が小さい。
「毎年毎年ありがとうなぁ」
「いいよー。そういう契約だから」
案内されたこの宿で一番高いという部屋。
十人くらいは余裕で寝られそうなくらい広くて、なんと露天風呂付き。畳を変えたばかりなのか井草のいい匂いがする。
座布団を枕にしてごろりと横になれば、ここまで案内してくれたこの温泉宿の女将である美也子が、にこにこと笑顔を浮かべながら部屋の真ん中に置かれた座卓に売店で売られていたのと同じ温泉まんじゅうの載った皿を置く。
他にもどら焼きやら、ういろうやら、お団子が載せられた皿も置かれた。
「栗原さんやっけ? そんなとこで突っ立ってへんでこっち来て座り。お茶も淹れたるから、お菓子と一緒にお食べや」
「……ありがとうございます」
まだ入り口の扉の前にいた栗原に美也子が声をかければ、ちょっと顔を強張らせた栗原がゆっくりと座卓の方まで歩いてきて座った。
わたしも体を起こして皿の上の温泉まんじゅうに手を伸ばす。
中の餡子はしっとり上品な甘さのこし餡。結構いい小豆を使っているらしいのだが、普通のまんじゅうの餡子との違いはよくわからない。
とりあえず美味しいのは美味しい。どら焼きもういろうもお団子も全部美味しい。たぶんそれなりにお高いやつなんだろうなぁ。
高いやつと安いやつの味の違いなんてあんましわかんないけど。お酒もそう。美味しかったらそれでいい派。
ひとしきりお菓子を食べて、淹れてもらった緑茶をずずずっと飲む。
「あ、おいしい」ぽつり。思わず溢れたような声が横から聞こえた。
ちらりと栗原に視線を向ければ、ちょうど温泉まんじゅうを食べているところで、宿に着いてからずっと表情が強張ってたけど、よっぽど温泉まんじゅうが美味しかったのか今は表情が少し和らいで、ちょっと口角が上がってる。
「気に入ってもらえたようでなによりやわぁ。売店でも売ってるから、よかったら買って帰ってな」
「はい、絶対に買っていきます」
「ふふふ。はい、おおきに」
力強い頷きに美也子は機嫌良さげに笑う。目はちっとも笑ってないし、観察するようにずっと栗原見てるけど。
そんなんだからずっと栗原怖がってんだよなぁ。まあ今回連れて来た理由が理由だから、そうなるのもわからんでもないんだけど。
「それで涼子ちゃん。今回は何日滞在しはるん?」
「湯治も兼ねてるから今回は一週間だね。去年もそうだけど、今年もそんなに来てないからまだ楽でいいや」
「あら? やっぱりそんなに来てなかったん?」
「ここ数年暑過ぎるからねぇ。温泉の熱さを嫌がったんじゃないかなぁ?」
四個目のどら焼きを食べつつ話す。
この温泉宿、立地がちょい悪いせいで温泉ある場所が幽霊の通り道になってるんだよね。
加えて悪いものが少し他の場所より溜まりやすい。だから一年に一回、軽く風通しをよくするためにここへ来ている。
そうしないと悪いものが溜まっていって、色々と寄ってきて、この温泉宿はまともに営業できなくなってしまう。
まあここ数年は異常な熱さのためか、悪い気以外のものはあんまり寄ってこなくなったんだけど。
風通しを良くする代わりにこの宿にいる間の部屋とか食事とか、全部無料で提供してもらってる。温泉も入り放題。
だから別に一番高くて良い部屋でなくてもいいんだが、毎度毎度この部屋に通されてる。
一番安い部屋でいいって言っなるんだけどね。なんか恩人だからとかなんとか言われてダメだった。
そんな話はさておき。
ニコニコ顔だけど目だけはちっとも笑わず、わたしと話しながらも栗原に注意を向ける美也子に「もう温泉入っていい?」と尋ねる。
皿の上のお菓子たちは全部食べてしまったし、ここに来るまでに汗もかいた。
まだ午後の二時だけど、温泉は一日に何回でも入っていいからね。もう入れるなら入りたい。
部屋付きの露天風呂は夜に入る予定だ。
「ええよ。ゆっくり入ってきて」
「はーい。栗原も一緒にいこ」
「っんぐ……了解。行こうか」
「あら、うちに混浴風呂なんて無いんやけど?」
「栗原は女の人だから一緒に入れるよ」
「……は?? えっ、女の人??」
混乱している美也子を尻目に、着替えを持って温泉へ入りに行った。
*
栗原をこの温泉宿に連れてきたのは今回が初めてだった。
そもそも栗原を誘って温泉に行ったことがない。だって女嫌いの女性不信なんだもの。
それなのに不特定多数の知らねえ女の人がたくさんいるような温泉へと連れて行けるわけがない。可哀想だ。
じゃあなんで今回連れてきたのかっていうと、大体美也子のせい。
お見合いさせられそうになってんだよね。最近の話じゃなくて、成人した辺りからそういう話をちょいちょい持ってこられてた。
……高校に上がった時にはそれとなく話されてたっけ? まあいいか。とにかく、美也子がお見合いさせようとしてくるから栗原を連れてきた。
恋人のフリをしてもらうためだ。
今の時代、日本でもそういうことにもある程度寛容になってるから。流石に海外程じゃあないけれど。
多様性の時代だなんだので、まあそういうカップルが増えてたりする。特に頭が柔らかーい高校生とか、同性でカップルになってる子が多いらしい。
それならば女同士でも恋人役やってもらってもいけるかなって。
てか、恋人役頼めるくらい親しいと言える相手が栗原以外いなかったんだよね。
頼んだらやってくれそうな知り合いには一応心当たりあるんだけど、恋人(仮)が(仮)ではなくなるように動くだろうし。
そう考えたら、頼めそうな相手が栗原一人だけになった。
湯車に頼むのは彼の恋人(故人)に悪いし。頼んだら絶対にこにこ笑顔のはずなのになんか怖くなるし。
ので、ちょっと申し訳ないけど今回こうなった。
「恋人役頼まれた時は驚いたけど別に気にしてないよ。偶には温泉に入るのも悪くないし、人も全然いないから」
「シーズン思いっきり外してるからねぇ」
二人っきりの貸し切り露天風呂。
お湯の温度は丁度良く、気持ち良さげに栗原がほおっと息を吐く。
残暑が酷いせいか、少し温泉の温度はぬるめだった。
まだまだこの時間帯は暑い。
蝉がミンミン煩く鳴いていて、時折吹きつける風は生ぬるくてちょっと気持ち悪い感じ。
それでも温泉は気持ちいい。暑くても入りたくなってしまう。これが魔性の魅力か。
ちゃぽん。水の落ちる音がした。
ぬうっと黒い影がかかる。見上げると、異様に胴体が長い女がわたしの顔を覗き込んでいた。
栗原は全く気がついていない様子で、ぼんやりと空を眺めている。
ぽたぽた。水滴が顔に落ちてくる。
なんなんだろう? 温泉入りたいなら勝手に入ればいいじゃない。
そう思いつつ女から視線を外して緑いっぱいの景色を眺めていたら、ずるずると無駄に長い体を引き摺りながら湯船に入ってきた。
「っ、え……なに?」栗原がびっくりしたように肩を跳ねさせ、わたしの方を見た。「な、なんか、急にお湯の温度下がった?」
女の方を見る。長い長い黒髪をお湯の中に漂わせながら、気持ち良さげに浮いている。水死体かな?
当人はすっごい満足そうだけど。温泉好きなのか。人じゃなくても好きなものは好きなんだなぁ。
「中の方のお風呂入ろっか」
「まって。何かいるの?? ねえ、何かいるの!?」
「山の奴」
「分かった上がろう。体軽く流してすぐ上がろう」
「まだ入って十分も経ってないよ? 中のお風呂にならいないからさぁ……」
「体流してすぐ上がろう!!」
「あ、うん」
グイグイ腕を引っ張りれながら湯船から上がって、軽くシャワーを浴びてからお風呂から上がった。
お風呂上がりだというのになんか栗原の顔色が青かった。
別に栗原のこと女だって分かってるから連れ去ろうとはしないはずだけど……高校の時のトラウマでも刺激したかなぁ。




