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俺のAIするこの世界  作者: 螺旋
第二章 王都アカデミー編
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第9話 蓄積

 フェルナー邸の食堂は、夜の静けさに包まれていた。

 長く磨かれた木のテーブルには、温かな料理が並び、燭台の炎がゆらゆらと揺れている。

 肉と香草の煮込みからは深い香りが立ち上り、焼きたてのパンの香ばしさと混じって、心をほどくようなぬくもりを漂わせていた。


 銀器が皿に触れるかすかな音だけが、会話のない時間を埋めていた。

 ウィンは手元の皿に残ったソースをパンで拭いながら、ふと顔を上げる。

 そして、短く息を吸い込んだ。


「……俺、アカデミーを受験しようと思います」


 その声は、ぴんと張った食堂の空気をわずかに揺らした。

 リュカはフォークを持つ手を止め、驚いたように目を見開く。けれど次の瞬間、皺の刻まれた顔に、どこか誇らしげな笑みが浮かんだ。


「……それは、素晴らしいお考えですね!」

 胸の前で手を組み、声に熱を込める。


「アカデミーでは、地方では決して出会えぬような人物と縁を結べます。

 優れた師、共に歩む仲間、そして――時に生涯を変える友や同志も。

 そうした出会いこそが、学びを超えた糧となり、ウィン様をさらに大きく育ててくれるでしょう」

 その瞳は真剣で、それは誇らしさを含んだ光を帯びていた。


 バルドも続けて、静かに口を開く。

「あの女生徒の為ですかな? 私も全力で支援いたします」


「まあ、そんなところです。…お心遣い、ありがとうございます。」

 言葉を受けて、思わず鼻の頭をかきながら、笑うしかなかった。


 ミレイユは小さく息を呑み、膝の上で指をぎゅっと組みしめる。

 自分でも理解できない感情が、胸をちくりと刺す。

 誰にも悟られないよう、スプーンを静かに動かすことで気持ちを誤魔化すのみだった。


 **


 翌朝。

 ミレイユの案内で、ウィンは王都の中心にそびえる王立図書館へ足を踏み入れた。


 王城に隣接する荘厳な建物は、白大理石の外壁と尖塔が朝日に輝き、重厚な両開きの扉には王家の紋章と古代文字が金で刻まれている。扉を押し開けた瞬間、外の喧騒がすっと遠のき、紙と革の混ざった香りが肺いっぱいに満ちた。


 高い天井に施された漆喰の装飾と、壁一面を覆う書架。三層構造の回廊から見下ろすように整然と並ぶ本たちは、まるでこの国の歴史そのものだった。ステンドグラスを透過した光が机や床を染め、静けさの中でかすかな紙の擦れる音だけが響く。


「ここには王国が保有する知識のほぼすべてが収められています。地理、歴史、魔物、薬草、鉱物、魔法体系……」

 ミレイユは小声で説明する。


 ウィンが思わず圧倒されて立ち尽くしたその時、耳奥に柔らかな声が響いた。

『ウィン様、どうぞ本をお取りください。視覚情報から私の記憶領域にデータを保存いたします。』


「記憶領域って…ステラが代わりに覚えてくれるってこと?」

『セルト。その通りです。ウィン様が見聞きした情報は全て私の記憶領域に保存され、必要な情報は適宜お伝えさせて頂きます。』


「…すごいな。でもそれってカンニングじゃ…」

『ネガト。カンニングではございません。私はウィン様の能力の一部だとお考え下さい。私が記憶したものは、ウィン様が記憶したものと同義です。』


 ウィンは半ば呆れたように息を吐き、指先で髪をかきあげた。

 魔法や魔晶器の事は良くわからない。さもすると、ステラの言うことは正しいのかもしれない。


 だが、本を読んで理解し、努力して知識を積み重ねる――そういう当たり前の過程を飛ばしてしまっている気がして、どこか後ろめたさが胸に残る。


「……全然納得いかないけど、まぁ、背に腹は代えられない……か」


 ウィンは不承不承といった面持ちで呟き、視線を本のページへ落とした。

 わずかに指先へ力を込めた、その瞬間。


『――スキャンを開始します』


 耳奥に澄んだ声が響いた途端、指先から感覚がふっと消える。まるで自分の手が自分のものではなくなったような、奇妙な感覚だった。驚いて息を飲む間もなく、指が独りでに動き出す。


「……な、なんだこれ……!」

 思わず声が漏れた。だがステラの声は落ち着いていて、変わらず穏やかに告げる。


『どうぞご安心ください。少々お身体をお借りしております。』


 ぱら、ぱら、ぱら――。

 まるで風に煽られた紙束のように、ページが凄まじい速さで繰り出されていく。インクの文字も、挿絵の線も、ウィンの網膜を掠めては次の瞬間には消え去る。

 2秒にも満たないうちに、最後のページが開かれた。


『記録完了しました。内容は地理的分類と王国各地の地形特性に関するものです。続けていただけますか?』

「もう終わったのか……? 一冊、全部?」

『はい。必要な情報はすべて保持しました。どうぞ次の本を』


 ウィンは言われるがまま、別の書を開いていく。

 魔法学、魔物図鑑、薬草図鑑、鉱石図鑑、世界史、神学――そのすべてが一瞬で整理されていった。


『こちらは魔物の生態資料です。危険度や弱点を体系化しておきました。必要になれば随時お伝えします』

 常人なら一冊を読み終えるのに何日もかかるだろう知識が、今この瞬間、数秒ごとに蓄積されていく。その途方もなさに舌を巻かずにはいられない。だが同時に、心の奥に妙な引っかかりが生まれる。


(……俺自身は、何も理解してないんだよな)


 自分が積み重ねてきた経験や努力ではなく、すべてはステラが記録している情報。便利だと頭では分かる。だが、胸の奥では「これは本当に自分の力なのか?」という問いが渦巻き、すっきりと呑み込むことはできなかった。


 机の上に積み重なっていく本の山を見ながら、ミレイユは思わず口を開いた。

「……あの、ウィン様……借りて帰る事ができるのは1人5冊までとなっていますので、この量は…」


 ウィンはページを繰ることに没頭し、ミレイユの存在をすっかり忘れてしまっていた。


「…ああ、ごめん、これはもう読んだから、本棚に戻しておくよ。」


「……え?読んだって……この量全てですか?」

 読んでいるというより、本を風でめくり飛ばしているようにしか見えない。

 さすがに冗談としか思えなかった。


 ウィンは顔を上げると、一瞬言葉を詰まらせ、苦笑いのような曖昧な表情を浮かべた。

「……まあ、一応全部覚えたのかな?」

(俺が覚えたわけじゃないけど……)


 ミレイユは眉を寄せ、積み上げられた一冊を手に取り、視線をウィンに向けた。

「……では、本当に覚えているのか確かめさせてください。こちらの魔導理論書の百三十七ページ、“ルミナ鉱の安定条件”について。第三項に記されていた内容は?」


 ウィンは一瞬息をのむが、すぐにステラの声が耳奥に響いた。


『回答を提示いたします。――第三項では、《純度七割以下のルミナ鉱粉末は、光を蓄えきれず三秒以内に自己崩壊する》と記載されていました。』


「えっと……“純度七割以下のルミナ鉱粉末は、光を蓄えきれず三秒以内に自己崩壊する”……かな?」


 ウィンが口にした瞬間、ミレイユは目を瞬かせ、信じられないものを見るように口元を押さえた。

「……っ、正解です。本当に、そんな細かい記述まで……」


 動揺を隠せないまま、彼女はさらに別の問いを投げかけた。今度は歴史書の中でもほとんど脚注のように記されていた、古代条約の署名国の一つの名を。

 ウィンはまたしてもステラの声をそのまま答えにして、正確に言い当ててしまう。


 ミレイユは椅子の背に思わず寄りかかり、ぽかんと口を開けたまま小さくつぶやいた。

「……これは、もう冗談では済まされません。まるで瞬間記憶の魔法でも、お持ちであるかのようです……」


「……まあ、そんな感じだと思ってくれればいいよ。」

 ウィンは視線を逸らし、苦笑を浮かべて肩をすくめた。

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