第26話 カイン・ナイトフェード
扉が静かに閉まる。
机の脇から一歩だけ前へ出て、聖騎士長は手で椅子を示した。
「——どうぞ、掛けてくれ。立ったままでは落ち着かないだろう」
声音は思いのほか穏やかだった。
セラが遠慮がちに腰を下ろし、ウィンも続いた。
椅子の脚が絨毯をかすめる音が、小さく部屋に溶けた。
二人が座ったのを確かめると、彼は短くうなずき、掌を軽く上げた。
「まずは——改めて自己紹介をしておこう。王国聖騎士長、カイン・ナイトフェードだ。」
突然の名乗りに、俺とセラは慌てて腰を浮かせ、ほぼ同時に頭を下げた。
「は、はい。ア、アカデミー1年のウィンです。」
「同じく1年、セラです~。よろしくお願いします~!」
カインは目元だけで柔らかく笑い、短くうなずく。
「ウィン、それにセラだね。 昨日は大金星だったそうだな。ウィン、君は倒れたと聞いていたが、怪我はしていないのか?」
「はい。疲労で倒れはしましたが、幸い大きな怪我はありません。」
カインは小さくうなずき、机上の書簡から指を離す。視線だけがこちらを真っ直ぐに射抜いた。
「——それはよかった。では、当時の状況を詳しく聞いてもいいか?」
喉が一度だけ鳴った。
俺は背筋を正し、息を整えてから言葉を並べた。
「魔物の群れを一掃した直後でした。森の奥からノクスベアの咆哮が聞こえ、すぐ撤退に移りましたが…追いつかれました。同行の騎士が不意の一撃で意識を失い——自分が足止めを買って出ました。どうにか撃退はしましたが、すぐに力尽きて……俺は意識を失いました。」
短い沈黙。カインの目がわずかに細まり、指先が卓上で一度止まる。
「君一人で倒したというのか?」
視線が、針の先みたいに静かに刺さる。
(弱っていたというのは、咄嗟についた嘘だ。)
「ああ、いえ、…最初から弱ってました。」
声の尾が震え、喉が詰まる。
カインはそれに気づいたように目元を和らげ、紙の角をそっと整えた。
「…セラ、君もその場にいたのか?」
カインはセラに視線を向けた。
「ん〜、私はすぐ逃げちゃったので、よく見てないですけど……ウィンさんがそう言うなら、そうなんじゃないですかね〜」
「なるほど」
カインは目を細める。
「——君たちがそう言うなら、そういうことにしておこう」
カインは何かに納得したように頷くと、地図に視線を落とした。
「しかし、ノクスベアはこの周辺には現れない魔物だ。——他に気づいた点は?」
ステラとのやり取りを反芻し、必要な分だけ言葉に乗せる。
「……そうですね。勘、と言われればそれまでですが、俺の村を襲った魔物と雰囲気が似ていると感じました。」
カインの眉が、紙一枚ぶんだけ動いた。
「……どういうことだ?」
「俺はベイス村の出身です。半月ほど前、魔物を操る謎の男に襲撃されました。そのとき操られていた魔物と、似たものを感じたんです。」
そのあと俺は、強力な魔物が現れてアルバートと応戦したこと、しかしフードの若い男に魔物が従っているように見えたこと、そしてアルバートの見立てではその男が“特別な魔晶器”を狙っていたらしいことを、手短に伝えた。
「……そうか、君はあの村の出身か。災難だったね。村襲撃の報告は受けている。だが今のところそのような男の目撃情報はあがっていないな。——見たのは、君だけか?」
「……はい。恐らく、俺だけです。」
「そうか」
長い沈黙。カインは思いつめたような表情で、しばし視線を落とす。
「魔物の使役、か。証拠は薄いが、生息域から大きく外れて現れた事実と合わせれば、十分に考えうるな。」
淡々と結ぶ口調の奥で、何かの計算が進んでいる音がした。
「やっぱり魔物を使役する能力って珍しいんですか?」
「ああ」カインは手元の書簡を整えながら続ける。
「従魔使役は限られた血統に受け継がれる術だ。少なくとも、ノクスベア級を使役できるほどの力を持つ者が、この国にいるとは考えにくい」
短い沈黙。
「いるとすれば国外の人間か、あるいは——」
言葉を切る。部屋の空気が、風のない逆流のようにわずかに揺れ、すぐ止んだ。
「……いや、ありがとう。従魔の線はこちらでも当たってみよう。ノクスベアの死骸が確保できていれば、傷の性質から何か分かるかもしれない」
「お願いします」
「ともあれ今回、君たちは王都を救った英雄だ。授業の一環だったとはいえ、何の褒賞も無しとはいかない。望みはあるか? 我々にできることであれば」
短い沈黙が落ちる。鼓動が一拍だけ速まる。カインは急かさず、机上の書簡を静かに揃えた。
「……では、俺の村を襲った男の調査に、協力してもらえませんか」
机上の紙片を軽く寄せ、カインは顔を上げる。
「——もちろんだ。何かわかったら必ず伝えよう。」
落ち着いた一声が、部屋を整える。
「セラ、君は?」
セラはぱっと顔を上げ、指を胸の前でそろえた。
「えっと……演習で撃退した魔物のお肉、端っこでいいので分けてほしいです〜。従魔の餌にしたくて」
一瞬の沈黙。カインは机上の紙をそっと整え、目を細めてからうなずく。
「いいだろう。好きなだけ持っていきなさい」
椅子がかすかに鳴るほど、セラの肩が跳ねた。
嬉しさを噛みしめるように両手を握り、勢いよく頭を下げる。
「ほんとですか〜! ありがとうございます〜!」
そのはしゃぎに、カインの口元にも、わずかな笑みがよぎった。
カインは軽く咳払いをし、表情を引き締めた。
「——最後に、ひとつだけ伝えておこう」
「はい」
「君が言った“特別な魔晶器”だが、恐らくそれは《天晶器》と呼ばれる系統のものだ。男が奪った品も、君のその手にある物も《天晶器》だろう。世にある魔晶器は全て、その《天晶器》をなぞって作られたにすぎない」
「いいか、ウィン。その《天晶器》が狙われる可能性は常にある。だが王都の中、特に王城・騎士団・アカデミーは警備が厚い。ここにいる限りは他よりも安全だ。まずは自衛の力を身につけるんだ。アカデミーで、土台から鍛えてもらうといい。」
「……はい」
カインは椅子をわずかに引き、立ち上がる気配を作った。
「以上だ。今日はゆっくり休みなさい。何か報せが入れば、こちらから必ず知らせる」
「失礼します」
「ありがとうございました〜!」
俺とセラは一礼して部屋を辞した。
廊下に出ると、石の冷えが靴底に張り付く。並んで歩き出すと、セラが袖をちょん、と引いた。
「お肉、ほんとに好きなだけでいいって……ふふ、ピコたち喜びますね〜」
「ああ。……よかったな」
「はいっ!」
セラの足取りが弾む。俺はうなずき、視線だけ窓の外へ滑らせた。
王都の空は薄く晴れている。
息を深く吸い、俺たちは光の差す方へ歩を進めた。




