前編
加賀谷 陽一は運が良い男である。
宝くじや懸賞に当たった事は少ないが、小さな幸運を感じる事は多々あった。
人気の限定食は高確率で買えるし、電車事故で取引先への到着が遅れても相手の用事で間に合ったり、天気が崩れた時も屋内に入ってから土砂降りになったり、足りなかった小銭がポケットから出てきたりと、本当に小さな事だがそれも積み重なると「自分は幸運なのでは?」と思うようになる。
ツイてると思えば、気分も上がるし笑顔も増える。周囲もにこやかな彼に好意的な人も増えてくる。
結果として陽一は毎日を気分良く過ごしていた。
ある休日の夜。
晩飯を食べ終えて、買ってきたナッツと共に冷えたビールを飲んでいた。
息子が夢中で見ているテレビでは『日本の秘境ミステリー』というバラエティ番組が流れている。日本のミステリースポットを芸能人がリポートする内容で、今は数年前に人気だった俳優が座敷童が出る宿に宿泊するコーナーだ。
「おとーさん、座敷童ってなに?」
9才の息子は最近になって怪奇現象に興味を持ち始めた。嫁さん曰く俺の影響らしい。なんか、すまん。
怪奇現象やホラーが苦手な嫁さんは、片付けと称して台所に避難中だ。こんなバラエティ番組の怪奇現象のどこが怖いのか全く分からん。
「妖怪だな。座敷童がいる家は幸福が舞い込むけど、座敷童が去ると不運がやってくるんだとさ」
「いなくなると不幸になるの?」
「そうだぞ。だから座敷童がいなくならないようにオモチャとか子供の好きな物を置いて楽しんでもらうんだ」
「へー。座敷童っていくつなんだろうね」
「妖怪だから歳は取らないんじゃないか」
テレビでは今回の宿の紹介が行われている。昔の蔵を改装して民宿にリノベーションしたらしい。
しかし、なんかこの蔵、見たことがあるような気がする。既視感ってやつか?
場所は岩手の………祖父さんちに近いな。てか、これ祖父さんちの蔵じゃないか?いや、蔵なんて似たのが多いしな。
俺の母は岩手の出身で、当然実家も岩手にある。祖母は俺が生まれる前に亡くなり、祖父も俺が高校入学前に亡くなった。
母は結婚して家を出ているし、伯父も家を継がずに今は沖縄に住んでるので、祖父の家は確か近所の遠縁に売ったと聞いた気がする。俺の両親は岩手県内だが、祖父の家とは車で1時間程離れた場所で暮らしている。
妙に気になったので携帯電話で母親に連絡を取ってみた。
『どうしたの?アンタが電話してくるなんて、明日は雪がしら』
「今さ“日本の秘境ミステリー“って番組見てるんだけど、そっちもやってる?」
『秘境ミステリー?ちょーっと待ってね。これがな。藤澤登が出でる番組でしょ。あらま、この人久しぶりに見だわ』
「そうそれ。ここ、じっちゃんちの蔵じゃない?」
『よぐ覚えでらったわね。最後さ行ったのは中学生だったがしらね』
「昔話はどうでもいいから。んで、どうなんだよ」
無理矢理話題を変えないと母親の話は長くなるのでめんどくさい。
『短気ねぇ。そうよ、じっちゃんちの蔵よ、こご。谷口さんが…覚えでら?綾香ぢゃんの母っちゃん。ほら、アンタが10才の時にお化げ屋敷で泣いで…』
「そったなのいいがらっ」
『短気ねぇ。その谷口さんの従姉妹が民宿してからってその人さ譲ったすべーよ。あらま、ほらこの人よ、この人』
テレビでは恰幅の良い女性がにこやかに宿を案内していた。
須山さんか。谷口のおばさんはなんとなく覚えてるが、この人は知らないな。
『座敷童なんてね。売った後さ住み着いだのがしら。惜しい事したわね』
母親は冗談とも分からない軽口を叩いてから孫に代われと催促してきた。
息子は面倒くさそうにしながらも、顔がニヤけている。一度めんどくさそうにするのは思春期ってやつか。話始めると声を弾ませているのがまだまだ可愛いとこだな。
テレビでは暗視カメラで写った映像が流れている。白いオーブが蛍みたいに飛んでいた。こういう番組ではよく見る映像だ。CGでも再現できそうだ。そう考えるとCGってなんでも有りじゃないか?
映像の真偽なんぞどうでも良い事を考えていたら、息子が携帯を目の前に突き出してきた。
「ばーちゃん」
言葉が足りないのは誰に似たんだろうなぁ。嫁さんのしたら怒られそうだ。隔世遺伝にしておこう。
「もしもし」
『じゃあ、そったな事だがら。忘れねぁーようにね』
「は?え?なに?」
聞き返すも、言うだけ言って切りやがった。
そったな事って何だ。
「佑、ばーちゃん何か言ってたか?」
「えっとね、今度ここ泊まろうって」
「は?」
息子がテレビを指差して告げた言葉が理解出来ず、もう一度母親に電話する羽目になった。
再度母親に電話すれば、来月の話から父親の話になり近所のおばさんの話になったので嫁さんに代わってもらった。あの長話に愛想良く付き合える嫁さんマジで尊敬する。
母親の話を要約すると、座敷童が出るというのは開業後から地元では有名になっていたそうだ。2年前に、父親と死ぬ前に泊まってみようかという話になり予約をしたところ、予約の日が来月の6日となったと言うのだ。
2年越しとか人気すげぇな。2部屋しかないから仕方ないのか。
その話をしたら息子が自分も行きたいと言い出して、じゃあ一緒に泊まりましょうという話になったらしい。
勝手に話を進め過ぎだろうとは思うが、息子も喜んでいるしたまにはいいかもしれない。盆と正月しか帰らないもんな。
岩手かぁ。とりあえず有休取って、2泊3日だな。
「5日に有休取って岩手に行ってくる。香澄は、こういうの苦手だろ?俺が佑を連れて行くから、その間は実家に帰って親孝行でもしてこいよ」
「いい?お義母さんには悪いけど」
「気にすんな。香澄がそういうの苦手なのは知ってるし、うちの親は佑がいれば俺も要らないぐらいだろうさ」
「ありがとう。ごめんね」
「気にすんな」
嫁さんがいないとなると、母親のあの長話が問題だが、父親に任せよう。佑もいるから俺にお鉢が回ってくる事はないだろう。そう願いたい。
* 作中での岩手県の方言は盛岡弁を使用しております。間違いがあればお知らせください。