ショコラの森の二月十四日
ショコラの森は、冬の終わりになると甘い匂いを深く息に含むようになる。
木々の幹はココア色、葉は板チョコみたいに四角く、雪が降る日は白砂糖がふりかけられたようにきらきらした。
森のはずれに、小さな家が一軒あった。
屋根はカカオ豆、煙突からはミルクチョコの湯気。
そこに住んでいるのは、くいしんぼうのくまの子、ココアだった。
「もうすぐ、二月十四日だ」
ココアはカレンダーを見て、耳をぴんと立てた。
二月十四日は、ショコラの森でいちばん大切な日。
だいすきの気持ちを、チョコレートにして届ける日だ。
ココアは毎年、この日になると胸がむずむずした。
だれかに渡したい気持ちはあるのに、どうしても相手の顔が浮かばないのだ。
友だちはたくさんいる。パン屋のうさぎ、郵便屋のりす、歌の上手なことり。
けれど「この人だ」と思うと、心がすっと決まらなかった。
そんなある朝、森に見慣れない影が現れた。
白いマフラーを巻いた、小さな女の子。雪のように静かで、歩くたびに鈴の音がする。
「こんにちは」
ココアが声をかけると、女の子は少し驚いてから、にっこり笑った。
「こんにちは。わたし、ユキっていうの」
ユキは、遠い町からやってきたと言った。
バレンタインの日に、だれかにチョコレートを渡したくて、その練習のために森を旅しているのだと。
ココアの胸が、こつん、と音を立てた。
理由はわからない。でも、その音はチョコを割るときの、ちょうどいい響きに似ていた。
それから数日、ココアとユキは一緒に過ごした。
森のチョコ川で手を洗い、キャラメル丘をころころ転がり、夜は星型のキャンディを数えた。
「ねえ、ココア」
ある日、ユキが言った。
「チョコレートって、どうして甘いの?」
ココアは考えた。レシピなら知っている。
砂糖とカカオと、少しのミルク。
でも、それだけじゃ足りない気がした。
「たぶんね」
ココアは言葉を探した。
「だれかのことを考えながら作るから、甘くなるんだと思う」
ユキは目を丸くして、それから、ほっとしたように笑った。
バレンタインの前夜、森はしんと静まり返った。
ココアは眠れず、台所に立った。
鍋を火にかけ、カカオを溶かす。
砂糖を入れ、ミルクを少し。
いつもと同じはずなのに、手が震えた。
ユキの顔が浮かぶ。笑った顔、驚いた顔、鈴の音みたいな声。
「これで、いいのかな」
ココアはそっと、胸に手を当てた。
こつん、ではなく、とくん、とくん。あたたかい音がした。
朝が来た。
二月十四日。
森じゅうがざわめき、だれもが小さな箱を抱えて歩いている。
ココアは深呼吸をして、ユキを探した。
ユキは、森の入り口に立っていた。
白いマフラーを巻き直し、少し寂しそうな背中。
「ユキ!」
ココアが呼ぶと、ユキは振り返った。
「ココア。実はね、今日、町に戻るの」
胸が、ぎゅっとした。
でも、ココアは前に出た。
「これ、受け取ってほしい」
差し出したのは、小さなチョコレート。
形はいびつで、包みも上手じゃない。
でも、手のひらがあたたかかった。
ユキは、両手でそれを受け取った。
「ありがとう」
少し間があって、ユキは自分の箱を開けた。
「わたしも、作ったの」
中には、雪の結晶みたいなチョコレートが一枚。
「だれかのことを考えながら作ったら、ちゃんと甘くなったよ」
二人は顔を見合わせた。
言葉はなくても、心の音が同じ速さで鳴っているのがわかった。
ユキは森を出ていった。
けれど、ショコラの森の二月十四日は、それで終わりじゃなかった。
春が来て、夏が来て、また冬が近づくころ、森に手紙が届いた。
白い封筒、鈴の音がする。
「また、会いに行くね」
ココアはカレンダーに丸をつけた。
来年の二月十四日。
ショコラの森は、今年も甘い匂いを深く息に含む。
だいすきの気持ちは、チョコレートになって、静かに、確かに、誰かの手に届いていくのだった。




