コーヒーのかおり
町のはずれに、「くるみコーヒー」と書かれた、ちいさなお店がありました。
扉をあけると、ちりん、とやさしい鈴が鳴って、お店の中には、あたたかな木のにおいと、ふしぎに甘くてほろ苦いかおりがただよっていました。
ある冬の朝、かんたは母さんに頼まれて、この店へおつかいに来ました。
「こんにちはー!」
カウンターのむこうから、白いひげを生やした店長さんが顔を出しました。
店長さんの名前は、もりかわさん。
町でいちばんコーヒーにくわしいと言われています。
「やあ、かんたくん。寒かっただろう。いらっしゃい」
「お母さんが、コーヒー豆をくださいって。いつもの……ええと、『まいるどぶれんど』!」
「はい、承りました」
もりかわさんが、つやつやの豆をざらざらと袋に入れると、
コーヒーのかおりがふわあっと広がりました。
「うわあ、いいにおい……!」
かんたは思わず深く息を吸いました。
すると胸の中にぬくもりが広がるようでした。
「ねえ、店長さん。どうしてコーヒーって、こんなにいいにおいがするの?」
「それはね、コーヒー豆の中に“ひみつの音”が入っているからだよ」
「ひみつの音?」
「そう。お湯をそそぐと豆がふくらんで、中にかくれていた音が小さく鳴るんだ。その音がかおりになって、空気に広がるのさ」
かんたは、目をまんまるにしました。
「音が、においになるの?」
「そうさ。聞いてみるかい?」
もりかわさんは、ガラスのサーバーを用意し、豆をひいたあと、ゆっくりとお湯をそそぎました。
ぽこっ。
ぽこぽこっ。
かんたの耳に、ほんとうに小さな音が届きました。
雪がとけるみたいな、やさしい音でした。
「すごい……ほんとに聞こえる!」
「お湯をそそいで、コーヒーが生まれるあいだだけ聞こえる音だよ。だからみんな、ついじっと見つめちゃうんだ」
湯気が上へ上へとのぼっていき、香りは店じゅうに広がりました。
そのとき、扉がちりんと鳴り、同じクラスのりんかちゃんが入ってきました。
「あ、かんたくんだ。おつかい?」
「うん! 今、コーヒーのひみつの音、聞いてたんだ!」
「ひみつの音?」
りんかちゃんは首をかしげました。
「聞いてみるかい?」
と、もりかわさん。
りんかちゃんがそばに来ると、コーヒーはちょうどいちばんふくらんで、湯気がきらきら光りました。
ぽこっ。
ぽこぽこっ。
「わ……ほんとだ。かわいい音」
「だろ?」
「でも、どうしてその音がいいにおいになるの?」
「それはね」
もりかわさんは、ゆっくりとカウンターにもたれました。
「コーヒーは、人の“がんばりたい気持ち”を温める飲み物だからだよ」
「がんばりたい気持ち?」
「うん。大人も子どもも、なにかに挑戦する前は、心がきゅっと寒くなる時があるだろう? そんなとき、コーヒーの香りは『大丈夫だよ』って言ってくれるのさ」
りんかちゃんは、そっと自分の手をにぎりました。
「……わたし、あしたピアノの発表会なの。まちがえたらどうしようって思って、今日すごくこわかったの」
「そうか」
もりかわさんは、コーヒーを小さなカップにそそぎました。
湯気が、まるで小さな灯りみたいにゆらゆらと揺れます。
「香りだけ、吸ってごらん。飲まなくていいよ」
りんかちゃんは、そっと鼻を近づけました。
すう……
目をとじると、かおりが胸の中に広がりました。
「……あったかい」
「うん。そのあったかさが、がんばる力になるんだよ。コーヒーは心のストーブだからね」
りんかちゃんは、すこし笑いました。
「ありがとう。なんか、だいじょうぶな気がしてきた」
「それならよかった」
外を見ると、雪がひらひら降りはじめていました。
まるで空から、やさしい鈴の音が落ちてくるみたいに。
「かんたくん、あしたの発表会聞きに来てね」
「もちろん! がんばれ!」
「ありがとう!」
りんかちゃんは元気よく店を出ていきました。
かんたもコーヒー豆の袋をしっかり抱えました。
「店長さん、ぼくも、いつかコーヒーの音を鳴らせるかな」
「もちろんさ。心のストーブをだれかのために灯してあげたいって思えた時、きっと君にも鳴らせるようになる」
「うん!」
扉を開けると、ちりん、と鈴が鳴りました。
雪の中を歩くと、さっき聞いた音が胸の中で、ぽこぽこと鳴っていました。




