表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
68/90

白い日

 最初の一片が落ちてきたのは、昼のチャイムが鳴った少しあとだった。

 教室の窓に白い点が吸い寄せられ、すぐに溶けた。だが、次の一片は溶けずに形を残したまま、薄い膜のように広がった。

「雪だ」

 誰かの声に、教室中がそわつく。

 それでも授業は続き、先生は黒板に式を書きながら「気にしない」と言うが、生徒たちの視線は窓に吸い寄せられていた。


 放課後、瑛斗はすぐに帰り支度を終えた。

 彼には行く場所があった。

 校庭の裏の、古い鉄塔のそば。冬になると誰も近づかなくなる、ただの空き地だ。

 そこにはすでに、麻白がいた。

 白っぽい髪が雪と見分けがつかないほどで、瑛斗は思わず足を止めた。

「来ると思ってた」

「来たよ」

 瑛斗は息を吐き、白くなるのを見た。

「雪、すごいね。積もりそうじゃん」

「……積もっていいよ。今日は、そうなってほしい気分」

 麻白は鉄塔に背を預け、空を見ていた。

 彼女の言葉はいつも少しだけ遠回りで、瑛斗にはそれを解く作業が好きだった。

「なんかあった?」

「別に。そんなに特別なことじゃないよ。でも……」

 麻白は指先を伸ばし、ひらりと落ちてきた雪を受け取った。

「今日は、いろいろ積もってたから。気持ちが」

 瑛斗は横に並び、同じように空を見上げた。

 雪はもう粒を持ち、段々と音をなくしていく。

 まるで世界の音量をひとつずつ下げていくみたいだ。


「雪ってさ」

 麻白が言う。

「全部を隠すんだよね。嫌だった道も、見たくない土も、昨日の足跡も。白くして、何もなかったみたいにする」

「……嫌いなの?」

「ううん。むしろ好き。真っ白になったら、一日くらい何者でもなくていい気がする」

 瑛斗はその横顔を見た。

 雪の反射で、麻白の表情は少し読みにくい。

 でも、その言葉だけで、彼女がどんな一日を過ごしたかはだいたい分かった。

「積もればいいね」

 瑛斗が言うと、麻白は小さく笑った。

「うん。この空き地くらい全部埋めてほしい」

「それ、結構な願いだよ」

「瑛斗、雪の神様とかやってない?」

「やってない」

 ふたりは同時に笑い、雪はさらに静かに降りてくる。

「ねえ」

 麻白が急に声を落とした。

「雪が積もったらさ……足跡つけるじゃん?」

「つけるね」

「でも、また降ったら消えるでしょ?」

「まあ」

「それってさ……ちょっと救われる気がするの。今日つけちゃった足跡も、明日になったら見えなくなるかもしれないって」


 瑛斗は頷き、雪を踏んだ。

 ぎゅ、と音がした。

「でもさ、消える前に一緒に歩く相手がいたら、それも悪くなくない?」

「……瑛斗ってときどき、柄にもないこと言うよね」

「雪の日限定だよ」

 麻白は目を細め、雪の中で肩を上げた。

 風が弱まり、雪はまっすぐ落ちてくる。

 音が消えた世界でふたりだけが立っていた。

「……一緒に歩く?」

 麻白の声はほんの少し震えているようにも聞こえた。

「うん。どこ行く?」

「この空き地をぐるっと。遠くじゃなくていい」

「了解」


 ふたりは並んで歩き出す。

 足跡がふたつ続き、やがてまた雪が落ちてきて、ゆっくりと埋めていく。

「ねえ、瑛斗」

「ん?」

「明日、晴れるかな」

「どうだろ。でも、晴れてもいいし、積もってもいいね」

「なんで?」

「どっちでも、今日の足跡が消える可能性はあるから」

「……そっか」

 麻白はふっと笑い、その笑顔は雪よりも淡く儚かった。

 けれど、確かにそこにあった。


 世界は白く、静かで、やわらかい。

 雪はすべてを覆うけれど、ふたりの足跡だけは、いま確かに刻まれていた。

 降り積もる雪は、その上にそっと降りて、ふたりの歩いた道をやさしく包みこんでいく。


 白い世界の中、瑛斗は思った。

 雪は何もなかったことにしてくれるけれど、今日のこの歩幅だけは、きっと消えない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ