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Mr.Enigma  作者: 浦辺 京
Episode4:Names and natures do often agree.
63/69

Episode4 #2 Trouble

 一体全体、こんな朝を迎えるとは誰が思おうか。

 クリスの運転する車に乗せられてベネー商会にやって来たバートの気持ちは、大体そんなところだった。

「さあ着いたよ。バート」

 クリスの声にバートはああとだけ返事をして席を立とうとした。直後じゃらり、と。鎖が擦れる音。

 自分の両腕が手錠で拘束されていることを思い出し、バートは思わず眉をひそめた。

 別に自分は悪いことをしたわけではないのだ。


 なぜこうなったかと言えば、その原因は彼の起床時の出来事にさかのぼる。

 朝、目覚まし時計の音で目を覚ました彼は、思いっきり目覚まし時計を叩いた。そのとき、どういう理屈かは分からないが(いや、現時点で薄々予想はついているのだが)その目覚まし時計を叩き壊してしまったのだ。

 その後も冷蔵庫のドアや水道の蛇口を壊しかける事故が多発し、危ないと思った彼は遅刻するとまずいと思って会社に連絡をした。

 その際彼はダフネ女史にこう言われたのである。


「とりあえず今はおとなしくしてて。何もしちゃだめよ。クリスに迎えに行ってもらうよう頼むから、彼に従って」

 ……と。

 そしてクリスが自宅にやってきて、彼を手錠で拘束し今に至るわけである。『拘束する』と言うと若干人聞きが悪いが、事実これは拘束と言わざるを得ない。バートはそう思っている。

 クリスに手伝われシートベルトを外し、彼らは会社へと向かう。

 車の外から車内に入るまで、誰の目も無かったのが不幸中の幸いだった。


「……まあ。丸坊主にされるよりかは手錠の方がよかったかも」

 ぼそりと一言、会社の廊下を歩きながらバートは呟く。クリスはそれに「ははは」と苦笑にも似た笑いを返した。

「怪力サムソンじゃないんだから」

「デリラに髪を切られるだけだったら僕も歓迎したいけどね」

「目を潰されて囚われの身になるのは勘弁って?」

「君もそう思うだろ」

「まあね」


 バートは、この異変に心当たりがあった。

 先週の木曜日、11月5日の出来事である。

 あの日、彼はあやうくライフルで撃たれそうになった。いや、"撃たれそうになった"のではない。事実彼は撃たれ、しかしその弾丸が彼を傷つけることはなかったのだ。


 あれこそが今回の異変と関連があるのでは。というか、それぐらいしか心当たりがない。


 そうこう考えているうちに、彼らは自分たちのオフィスに着いた。ダフネ女史とシドニー、そしてジェームズが真っ先に彼らを迎える。

「災難だったなバート」

 開口一番、ジェームズがそう告げる。バートはそれに全くだと肩を竦めて答えた。

「バート。来て早々悪いんだが、ちょっとこれを曲げてみてくれないか」

 今度はシドニーが二人の間に割って入って、バートにあるものを手渡す。

 それは、50セント硬貨だった。ニッケル黄銅で出来た直径20cm強のその銀色の硬貨は、一見すると極めて頑丈そうである。いや、実際頑丈なのである。それを曲げろなどというのは、とても常人には不可能だろう。

 ――しかし。

 バートが手のひらに乗せたその硬貨を指でつまんだ瞬間。

 ぐにゃり、と。まるで粘土を曲げる如く。その50セント硬貨はたやすく曲がったのだ。

「オゥ」

 ジェームズが驚嘆の声―あまり本気で驚いているような感じにも思えないが―を上げる。シドニーはそれにはははと適当に笑って見せた。

「こりゃあ確かに大問題だ」

「笑い事じゃあないですって」

「まあ、確かにそうかもしれん。だがこういう苦しい時は笑っとけ」

 シドニーの言葉に、バートは乾いた笑いを返すしかなかった。

「ちょっと。バートで遊ばないの」

 ダフネ女史が呆れながらシドニーをたしなめる。しかし当の叱られたシドニーは気にしている様子もない。

「すまんすまん」

 反省している様子さえない彼の言葉に、ダフネ女史は再び呆れた。

「原因はともかくとして、今はその怪力を何とかした方がよさそうね……」

 ダフネ女史のため息につられて、バートもため息を返す。

「とりあえずアイデアはあるんだけど……」

 彼女はぽつりとそう呟いた後、手招きをした。

「ちょっとバート、話があるから来てくれる?」

「話?」

「ええ。大事なこと。たぶんね」

 ここにいる他の三人に聞かせたくないのか、ダフネ女史はバートの袖をつかむと、別の場所にある応接室へと彼を連れて行く。


 ジェームズはそれに妙に怪訝な表情をしていたし、クリスはきょとんとこちらを見ていたし、シドニーは何故かにやにやと笑っていたので、バートとしては「何なんだ」と言いたかった。


「……それで、話って何でしょうか?」

 応接室でダフネ女史と二人きり。バートの言葉に彼女はどこか改まった表情をして口を開いた。

「バート、仕事続けていけそう?」

 突如問われた言葉の真意。それに全く見当が付かず、バートは目を丸くした。

「あー……」

 言葉にさえならぬ言葉を発し、数秒間の逡巡。二、三回の咳払い。

「どういう意味ですか? それ」

 意図が全然分からない。そんな表情を浮かべてバートは質問を返した。

 バートが混乱した表情を浮かべたにも関わらず、ダフネ女史はそれを見てどこかホッとしたようだった。

「ああ、特に不安が無いならいいの。それで」

「いや、あんな言葉言われたらそれはそれで不安になりますけど」

 不安が無い訳ではない。ついこの間撃ち殺されかけたばかりだし、今は原因不明の怪力になってしまった。

 これを不安と言わずして何と言う。

 しかもそんな不安のある矢先に彼女から「仕事をやっていけそうか」と聞かれたら、それはまるで「今後これ以上の災難があるが大丈夫か」という意味に聞こえてならない。


 ごもっともな指摘だったのだろう。彼女は一瞬言葉を失ったのち、ふうと息を吐いた。


「この間、ジェームズから聞いたんだけどね。『メフィストフェレス』の件……。あれ、分かって貴方が怯えてなければいいかなって思って」


 メフィストフェレス。その言葉にバートは心の中で頷き、そして腕を組んだ。

「って、あの『メフィストフェレス』の件、本当だったんですか? ……どっかで嘘じゃないかなーって少し思ってたんですけど」

「ええ、本当よ」

 ほぼ即答である。バートはそれに眉根を寄せ、少し黙ってから口を開いた。

「まああれが事実であっても……怯えるって、それは……。ある意味今更な感じなんですけど……」

 そう。バートにとっては今更の話だ。まことしやかに語られる錬金術師ファウストの伝説。

 ファウストは実在の人物であることは間違いないのだが、その『ファウストと契約していたとされる悪魔』が実在したというのは驚きだ。

 しかしバートにとってみれば、上司が魔女で、同僚が精霊のハーフや妖精で、何より彼の教育者が悪魔だ。

 しかも天使や元ぬいぐるみの魔物だっている。この会社の社長だって得体が知れないなとさえバートは思っている。


 だからメフィストフェレスが出てきてもおかしくはない。バートはそう考えるし、理屈の上でも感情の上でもその事実を容易く受けている自分がいる。

 第一、そのメフィストフェレスが"あんな間の抜けた奴"だけに、あの悪魔の凄さについてあまり実感が湧かないのだ。

「だからその点は大丈夫なんですけどね……ちょっとだけ、気になることがあるんですよ」

「何かしら?」


 果たしてこれは聞いていいものか。一瞬そう迷いはしたものの、この際だからと思って彼は口を開いた。

「あのー……。メフィストフェレスの伝説って、どこまで事実なんですか?」

「え?」

 バートの問いの意図が分からなかったのか、ダフネ女史は一瞬目を丸くした。

「ホラ、ああいう風に身近にいるわけですし、何かしら聞いたことあるかなぁと」

 あれほど有名な悪魔だ。いくつかの伝説のうち実話であってもおかしくはない。バートはそう思って彼女に聞いてみたのだが。

 彼女はしばらく考えた後、苦笑を浮かべて口を開いた。

「『ゲーテのファウストは大ぼらだ』って聞いたけど、それ以上はないわね」

「あー……」

 あの話は流石に元々のメフィストフェレスとはかけ離れている訳か。

「それ以外には?」

「いえ、特には……」

「そう。ならいいわ」

 怖いとか言われなくて良かった。そう言うダフネ女史に、バートはどこか申し訳なくなって。ご心配おかけしましたと返しておいた。


「あ、そうだ」

 去り際、ダフネ女史はバートを呼び止めた。

 何だと思って振り向けば、彼女は笑顔でこう言ったのだ。

「さっき言ってたアイデアだけどね……」

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