Episode3 #7 Henry and Marguerite
ジェームズがそのデーモンの男を連れてきたのは、バートがジェームズを待ってからそう間もない話だった。
「……待たせたな。バート」
路地の奥から連れられて、ジェームズの肩に支えられてやって来たその男は、確かに茶色の巻き毛で灰色の目。しかも背格好もバートと同じぐらいだった。
このデーモンの方が僕より色素が遥かに薄い。バートはそう思ったが、光の当たり方によっては見間違えてもおかしくはないだろう。そうも感じた。
ジェームズはとりあえずデーモンの男を地べたに座らせてから、バートに傷を手当てするよう促した。
デーモンの男は真っ青な顔で、しかも肩で息をしながらこちらをじっと見ている。
「あ、貴方達は……」
「安心しろ。……僕等は君の味方だ。あいつらみたいに突然殺そうとなんてしないよ」
ジェームズの言葉に、安堵の表情を浮かべる男。男の傷を布で塞ぎ、血を止めながら、バートはどこか釈然としない様子で首を傾げた。
「……『あいつら』?」
「……第二協会……いや。GSCの連中だよ。この間会ったろ。奴等さ」
――第二協会。そしてGSC。約一ヶ月前に聞いたその名前に、バートはあっと声を上げた。
今からおおよそ一ヶ月前。バートがジェームズと初めて出会った日。あの日、確かにバートはもう二人の退魔師に出会っていた。それを彼は思い出したのだ。
見事な銀髪の男と、プラチナブロンドの女。確かそうだった。
バートはその時、同業者故にいがみ合っているかと思っていた。だが、もっと根の深い事情があったと知って、その当時は呆気に取られるしかなかった気がする。
彼等の名前は、確か……。
「サイモンと……あと……」
「マルヴィナ。……サイモン・オーデンとマルヴィナ・ピリーだ」
あの時はファーストネームしか知らなかったし、第二協会にはあまりいい印象が無かったのでさほど気にも留めなかったが、まさかそいつらとこんな形でまた遭遇するとは。
「……あと、もう一人いませんでしたっけ……?」
二人のやり取りに突然、男が脂汗をだらだらとかきながら、ジェームズにそう問う。ジェームズの顔が、僅かに歪む。バートはそれを見逃さなかった。
「あ、あー……。アイツね。アイツか……」
「誰それ?」
どこか迷いの表情を浮かべたジェームズに、ずばりと一言。彼がこの手の表情をするときは嫌がっているとバートは知っていたが、かと言って今後敵になる恐れのある人物ならば知っておく必要がある。そう思って聞いた訳だが、ジェームズはため息を一つ吐いて、それから言った。
「……名前はアルフレッド・ヒース。僕の元弟子だ。僕が知る限りでも三本の指に入る優秀な奴だったけど……五年前にうちの会社辞めてGSCに行った」
「………………」
何て奴だ。それを実感したバートは思わず黙ってしまい、俯いた。それは確かにジェームズも話したがらないのもわかる。
しかしその一方で、その事実を話したジェームズはといえば。何処かあっけらかんとして一言。
「あ。ちなみにアレだからね? "残り二本の指"はクリスと、あと君だから。安心して」
「……お褒めに預かり光栄だ」
褒めているのか、それともこの状況を明るくしたいのか。恐らくジェームズのことだから両者なのかもしれないが、バートは肩を竦めてみせた。
――しかし、それにしても。それ以上に気になることがあった。
「……あのさ、ジェームズ」
「何だ」
止血をしていたバートは、今のその状況に顔をしかめていた。当然だ。デーモンの男の傷口から、血が止まる様子が無いのだ。
「血、止まらないんだけど……」
「え」
バートの言葉に、ジェームズの顔から一瞬にして血の気が引く。
「……もう止まっていなきゃおかしいだろ……!」
「いや、僕知らないって!!」
バートはきちんとジェームズに指示された通りに止血作業にあたっていた。にもかかわらず、血が一向に止まらない。
「ちょっと、バート、そこかわれ」
ジェームズが半ば無理やりバートの居た場所に陣取ると、デーモンに断ってから彼の上着に手を掛け、その傷口を見た。
「……君、いつこの傷負ったんだ」
「え。……今日の……日付が変わった頃です」
「何でそれをもっと早く言わない!!」
突如色めき立つジェームズ。それにバートは腰を抜かしそうになった。
「ど、どうしたんだよ……?」
「呪いだ。多分マルヴィナの仕業だろうが、傷に呪いを受けてる」
呪い。それにバートは凍り付きそうになった。
こんな男にそんな恐ろしいものを、平然と使う。その事実が何よりも怖かったのだ。
「バート。携帯貸すから、アリシアに連絡。ホーリー・ウォータ―を出来るだけ大量に用意しておくよう伝えてくれ。あとシーツ。それとファーストエイド・キットも。すぐそっち向かうから、ってことも言っておいて」
「あ、ああ」
ジェームズから携帯電話を渡されたバートはすぐさまアリシアの連絡先をメモリから拾うと、彼女に電話を掛けた。
続くコール音。それさえも惜しい気分だ。
「はい。もしもし」
「アリシア!?」
彼女が電話に出た途端、バートは思わず叫んでしまった。電話の向こうのアリシアが息を飲んだ気もするが、それにさえ当時のバートは気づかない程に焦っていた。
「僕だ。……例の"彼"、保護したんだ」
「そうなの!?」
不安げだったアリシアの声が、喜びで僅かに弾む。しかし今はそれどころではない。
「うん。でも血が止まらなくて……。ジェームズがホーリー・ウォーターを出来るだけ用意してくれって」
「……あ、そうなの? ……分かった。手持ちで結構持ってるから大丈夫だと思う」
「頼む。すぐに行く。あとシーツとファーストエイド・キットも頼む」
「了解。待ってる。気をつけて」
アリシアの最後の言葉にバートは電話を切ると、ジェームズに頷きを返した。彼もこちらをまっすぐ見て、頷く。
そして。
「あんまこれ使いたくなかったんだけど……仕方ない」
ジェームズがパチンと指をはじいたその瞬間。彼の足元から無数のグラスプが姿を現し、バート達の身体を掴んだ。
「え、ちょ……!?」
「安心しろ。転移だ」
転移。それを聞いてもバートの気分はあまりすぐれなかった。何故なら黒い手達は妖しく蠢きながら、バート達を地面の闇へと沈めていこうとしていたからだ。だが、あまり気持ちのいいものではなくても、仕方がない。これしか方法が無いのだから。
バートはデーモンの腕をしっかりと掴み、意を決して息を止め、目をつむって闇へと沈んでいった。
だが。
「ほら、着いたぞ」
「へ?」
本当に一秒も経たない間。目を閉じて闇に沈んだ瞬間に、ジェームズに肩を叩かれたバートは驚いて目を開いた。
目の前には、確かに教会が。ここにアリシアが待っている。まさに瞬間移動という言葉がふさわしいそれに驚きを隠せなかったバートであるが、今はそんなことに驚いている場合ではない。
バートは既にぐったりしているデーモンの男を担ぐと、そのままジェームズに促されて教会のドアをくぐった。
教会の中には、アリシアと、ブルネットの女性――ジュリアと、若い神父のロメオが待っていた。
ジュリアは退魔師であり、占い師をしている女性だ。アリシアは彼女の下で修業しているらしく、ジェームズもジュリアと面識があるようだった。
ロメオは、この教会の神父だ。見る限りではまだ30代ぐらいだろう。バートも過去この教会には来たことがあったので、彼とは面識がある。ロメオには貫禄こそないものの、誠実で真面目な神父だなという印象をバートは抱いていた。
そんな彼等は皆一様に不安げな顔をして、バート達の帰りを待っていたのだ。
「早く、シーツ敷いて!!」
ジェームズの言葉にアリシアとロメオがシーツを広げ、床に敷く。バートがデーモンの男をそこに寝かせると、ジェームズは男の服を脱がせて傷口をあらわにさせた。
「酷い……」
ジェームズが医療用のゴム手袋をはめている間、ジュリアが悲痛な声でそう零す。ジュリアは霊感の強い女性だ。恐らく彼女の眼には、禍々しい呪いの跡が見えていたに違いない。
しかし、そんな状況を悲しんで見ている余裕は、ほとんどなかった。
「バート。布用意して。彼に噛ませる」
「何をするつもりだ?」
「痛みで舌を噛むとまずい。だからだ」
慣れた手つきでゴム手袋をはめ終え、マスクと防護用の眼鏡をかけながらジェームズはそう指示した。痛み、と聞いて何をするのか分からず、釈然としないものを抱きながらも布を口に噛ませられるサイズにして、用意する。
そして、それを手に持つと、ジェームズはゆっくりとした口調でデーモンの男に説明を始めたのだ。
「……今から傷口にホーリー・ウォーターをかける。痛覚は僕が多少鈍らせるけど、多分死ぬほど痛い。でも呪いを解除するためだ。……我慢してくれ」
ホーリー・ウォーター。霊的な生き物に対して高い殺傷能力を持つその液体は、毒であると同時に薬でもある。呪いも霊的なものであるため、その呪いが掛かった患部にホーリー・ウォーターをかけると呪いは容易く散ってしまうのである。
しかしそれをこのデーモンにやることは、荒療治でしかない。デーモンは霊的な存在であるために、ホーリー・ウォーターをかけた部分から皮膚が焼けただれるのだ。彼には仕方がないが、ある程度耐えてもらう必要がある。それ故、ジェームズはゆっくりと落ち着いた声で説明をしたのだ。
男はジェームズの言葉に力なく、ゆっくりと頷きを返した。
ジェームズはため息を一つ吐き、彼に布を噛ませて縛ると、バートに両手を押さえているように指示した。
バートは何だか拷問に加わっている気分になったが、この処置をしなければ拷問よりもっと恐ろしい結果が待っているのだ。やむを得ない。
ジェームズがホーリー・ウォーターの瓶のふたを開け、男の傷口にかけたその瞬間。
肉が焼けるような音が響き、男はびくりと身体を震わせた。
「あっ……ぐぅっ!!」
どうやら相当痛いらしい。多分、傷口に塩をこすりつけられているようなものだろう。想像するだに恐ろしい。
「大丈夫だ。……呪いは解けていってる」
「うっ! あああああああああああっ!!」
痛みで本能的に暴れる男を、何とかバートは押さえていた。悲痛な叫びだ。いくら助けるためとはいえ、聞いていて気持ちのいいものではない。
男を何度もなだめるジェームズの声。それをかき消す勢いの男の悲鳴。そして、肉を焼く音。
それらがバートの耳に焼き付く勢いだった。
恐らく手当の時間自体は数十秒か一分そこらのものだったろうが、バートにはその時間は、まるで一時間以上のもののように感じていた。
呪いの解除が終わり、アリシアやロメオ、ジュリアと共に手分けして傷をようやく手当てし終わった時には、男は気を失っていた。先程の痛みのせいだろう。いくらジェームズが幻を操る能力で痛みを軽減させているとはいえ、あれに耐えられたらどんな痛みでも大丈夫そうだとバートは思うほどだった。
「……大丈夫か?」
治療が終わった後、ジェームズがバートに声を掛けてきた。恐らくバートが途中からげんなりしていたせいだろう。バートはため息を一つ吐くと、首を縦に振った。
「一応大丈夫。……むしろ"彼"の心配をしてやってくれ」
バートはデーモンの男を指さす。それを見たジェームズは、クスリと小さく笑った。
「……違いない。でも、大丈夫だ。もう傷口も塞がり始めてる」
呪いが解けた以上、彼の再生力は元に戻った。30分もすれば恐らく傷は完全に塞がるだろう。
バートは安堵しているジェームズの代わりに、デーモンの男の顔を見た。
「ヘンリー・セオドア・バーナード、か……」
ヘンリー・セオドア・バーナード。それが男のフルネームらしい。この男にとって、あのマーガレットという少女はかけがえのない存在らしい。
マーガレットと、ヘンリー。
ドイツ語で読めばマルガレーテと、ハインリヒ。
「……ゲーテのファウストみたいだ」
バートの脳裏にある記憶が過り、ぽつりと口を突いた。
ドイツの文豪、ゲーテが書いた戯曲・ファウスト。それの第一部に、彼等の名前は出てくる。
学問に生涯を捧げた魔術師、ファウストは、悪魔メフィストフェレスとの契約により、地上全ての快楽を味わうために若い肉体になる。
それからファウストは若き純朴な乙女、グレートヒェンことマルガレーテに恋をするのだが、その際にファウストが使った偽名というのが、ハインリヒなのだ。
いくら若返ったとはいえ元おじいさんのファウスト。そして本当にうら若い乙女、マルガレーテ。あまりの年齢の不釣り合いさにメフィストフェレスにも「年を考えろ」とたしなめられたぐらいだったとバートは記憶している。
しかし、ハインリヒことファウストは断固、己の意志を通した。数々の犠牲の元、彼は遂にマルガレーテと"結ばれる"。
だが、それで物語は終わらなかった。その後、マルガレーテは不運にもファウストの子供を出産する。当時は婚前交渉など絶対に許さなかった時代だ。
マルガレーテは自らの子供を手にかけ、私生児殺しの罪で斬首刑に処せられるのである。
悲恋、というか。ファウストが無責任、というか。あるいは自由な恋愛と私生児を許さなかった当時の時代の在り方を嘆くべきか。この作品から受け取るものは、人それぞれかもしれない。
しかしそれ以上に、今のバートがヘンリーを見て思うのは。
彼――ヘンリーがどれだけ、マーガレットを想っているか。その想いの強さだった。




