Episode1 #23 The beginning
ジェームズが悪魔を退治してから、5日が経った。彼にとって、悪魔を殺すことはさして非日常的なことではない。だから、5日過ぎようとも特に変わったことなどなく。彼にとっては平凡な日々が過ぎていた。
10月15日、午後も3時半ばを過ぎたころ。ジェームズは一人、車内のシートを倒し、そこに横たわっていた。
セールスの仕事にせよ、退魔師の仕事にせよ、時間やオフィスに縛られるものではない。それ故、一休みしようかと思っていたのだ。目を閉じ、一眠りしようかと彼が思った時。ふと、彼は5日前の仕事を思い出した。
5日前、悪魔を殺した後のことだ。バートの様子がおかしくなったのを、ジェームズはハッキリと覚えている。本当に突然の出来事だった。顔も真っ青であり、視線も泳いでいて、尋常ではなかった。ジェームズが声を駆けようとしたその瞬間のこと。
「やめてくれ!! 僕は……! 僕は!! こんなことの為にここに来たんじゃない!!」
バートは突然そう叫んで、倒れてしまったのである。意識を失ったようで、声を掛けても目を覚まさない。彼の自宅の場所を知っていたジェームズは、彼を自宅まで運んで、ベッドに寝かせた訳である。
彼が突然気絶した理由は、ジェームズには全く分からなかったが、とりあえず落ち着いている様子だったので、ここは寝かせておいて自分は帰ろうとしたときのこと。
「助けて!」
再び、バートが悲鳴を上げた。何事かと思い振り向いてみれば、どうやらうなされているようだった。虚空に手を伸ばし、必死になって何かを掴もうとしている。それを見て、ジェームズは咄嗟にバートのその手を掴んだのだ。安心させるためだった。何かから逃れようとするその恐怖が、ジェームズにはありありと見えたのだ。
「……もう、大丈夫だ。君は、独りじゃない」
その手を握りしめ、ジェームズが囁いたその時、バートがうっすらとその目を開けて、笑いかけて。
「アンタ、やっぱり悪魔じゃないよ……」
寝ぼけてなのか、それともハッキリ意識があって言ったのか、ジェームズの眼にはよく分からなかった。でも、彼にとってその言葉は酷く印象に残るものであった。
確かに自分は悪魔だ。会社の連中はそれを知っていて、受け入れてくれている。そこに、悪魔に対する嫌悪感はない。しかし、皆が一様に『悪魔である』という事実を受け入れてくれるわけではない。時には同業者から白い目で見られる時だってある。ジェームズが悪魔であることを知り、態度を豹変させた依頼人もいる。
悪魔であることは、半ば自分が望んだことだ。でも、ジェームズはその事実すべてを受け入れられているわけではない。どこかで、まだ人でいたいと思っている。
「悪魔じゃない、か……」
安心した様子で眠っているバートを見て、改めて帰ろうとした矢先の事。彼はふと、自分がバートのドッグタグを預かったままであることを思い出した。流石に借りっぱなしはよくないと思い、慌ててポケットから取り出したその時。
「あれ……?」
名前が書かれていた面とは逆の面に、何か別のものが彫られていることにジェームズは気が付いた。目を凝らし、じっと見てみるとそこには、"ブロアニア独立軍 第6中隊"の文字が。
「第6中隊……?」
気づきもしなかった。どうやら元々ドッグタグに書かれていた物らしいが――果たしてこれが何を意味するのかは、ジェームズには全く分かるわけがなく。
そして、ウィリアムに悪魔退治の報告をした後、現在に至るわけである。あれから本当に平凡な日々が続いている。あれ以来、バートと会ってさえいない。確かにバートが悪魔に狙われていたことも、あの悪魔の言葉自体も、ジェームズにとってはかなり気になるところだった。しかし、それはジェームズの仕事には含まれていない。また会うことは、果たしてあるのか――。
そう思ってジェームズが目を閉じたその瞬間、ポケットに入れていた携帯電話が、けたたましく鳴り響いたのだ。思わず彼は飛び起きて、慌てて電話を取って出た。
「……もしもし?」
「ジェームズ。私よ」
聞きなれた女の声。ジェームズの顔に笑顔が浮かんだ。
「やあアイリス。君だったか」
ウィリアムの秘書、アイリスからの電話だ。アイリスの声はいつも通り機嫌がよさそうだ。どんな用事で掛けてきたかは分からないが、それだけでジェームズは嬉しかった。
――しかし。
「ウィリアムが呼んでる。すぐ戻ってきて」
まさか、そんな知らせが来るとは思わなんだ。喜びから一転、ジェームズは眉根を寄せる。その知らせは頂けない。しかし上司の命令に逆らう訳にも行かなかった。
「りょーかい」
その言葉を最後に電話を切り、ジェームズはシートを起こすと、車のエンジンを掛けて車を走らせた。
ベネー商会の本社まで、そう時間は掛からなかった。5分と経たずにベネー商会の本社へとたどり着いたジェームズは、そのまままっすぐ社長室へと向かった。ノックをして、相手の返事を待たずにドアを開け、一言。
「ウィリアム、用事って何だ」
どうせウィリアムしかいないだろう。そう思ってドアを開けて入ったジェームズは、その部屋にいた人物に驚くことになった。
「あ。フォータスさん」
社長室に入ってきたジェームズに一番最初に声を掛けたのは――バートだった。ジェームズは目を大きく見開いた。何故、バートがここにいる。また何かトラブルにでも巻き込まれたのか。
「おや、よく来ましたね。ジェームズ」
驚き、混乱をあらわにするジェームズに、穏やかな声を掛ける男が一人。ジェームズはそちらをゆっくりと見て、そして嫌そうに顔をしかめた。彼の視線の先には、一人の中年男性がいた。薄い色のブロンド―亜麻色というのだろうか―のショートヘアと、これまた薄い水色の瞳が印象的な、スーツ姿のその男は、一見すると神父のように穏やかで柔和な印象を与える人物だった。
「……説明しろ。ウィリアム」
ジェームズが低い声で、その中年男性、ウィリアムに問いかけた。そう、この男こそ、ベネー商会の社長、ウィリアム・ベネーである。ウィリアムはジェームズの問いに、クスリと笑ってから口を開いた。
「説明も何も。彼を雇うことになったので、まず君にお伝えしておこうかと思いまして」
「……は?」
バートを雇う。確かに目の前のウィリアムはそう言った、ジェームズの耳にはそう聞こえた気がした。しかし、その事実を受け入れるのは、彼にとって少しばかり難しかった。
「バートを、雇う?」
「ええ。退魔師として働いて頂こうかと」
「バートを、退魔師に?」
「はい」
自分の問いに朗らかに答えるウィリアムを見て、ジェームズの凍り付いていた顔が、鈍くもゆっくりと歪み、そして驚きに染まった。
「マジかよ……!」
「マジです」
「どういう理由だ。僕は聞いちゃいないぞ」
「聞いちゃいないから君に説明しておこうと思ったのですが」
「なら説明しろ」
掴みかかる勢いでウィリアムに迫るジェームズであったが、ウィリアムはそれを見ても平然とした様子で返答するばかり。ウィリアムは特に問題はないはずだと言わんばかりの表情のまま、口を開いた。
「今回の悪魔が起こした事件のせいで、この業界から貴重な人材が3人も失われましたので。……新たな人材の育成に乗り出すのは道理でしょう?」
「だからって何でバートなんだよ」
「君、報告したじゃないですか。『とてもじゃないがあの銃の腕も、体術も素人に見えない』って」
ウィリアムの説明に、ジェームズはぐうの音も出なかった。確かに自分は悪魔退治の後、ウィリアムにそう報告した。
『あのバートという青年は、とてもじゃないが普通の青年とは思えない』
最初にそう言ってから、そのバートの実力について話したことはジェームズもハッキリと記憶している。しかしだからと言って、ウィリアムがそれでバートを退魔師として雇うという考えに至るとは、ジェームズは思いもしなかった。ちらりと、バートへと視線を向けるジェームズ。バートはその視線に気づき、何も分からないと言った様子で首を傾げた。
「……正気か?」
眉根を寄せて問うジェームズに、バートは笑って肩を竦めた。
「思うところがあってね。……僕は本気だ」
「2日ほど前に私の方から連絡しましてね。ほぼ二つ返事で交渉が成立したのですよ。今、契約書に正式にサインを交わしたところです」
説明するウィリアムの手からジェームズは無言でその"契約書"をひったくり、目を通した。流石ウィリアムだ。双方共に不利になるような契約は一切記載されている様子がない。給与体系もきっちり定められている。
「私が契約で記載漏れや不備を出すとお思いで?」
「…………」
ウィリアムの言葉に、ジェームズは口を真一文字に結んだ。そうだ、この男に限ってそれは絶対ありえない。
「ジェームズ、それでですね。君に彼の育成を頼みたいのですよ。……構いませんよね?」
「10%だ」
突然のジェームズの『10%』という発言。それにウィリアムは目を見開いた。一瞬、その言葉の意図するところが理解できなかった様子だった。
「今のサラリーから10%上げろ。それが条件だ」
ジェームズの言葉に、ウィリアムは更に首を傾げるばかり。
「それが条件ですか?」
「ああ」
「それ相応に大変な仕事だと思うので、15%上げようかと思っていたのですが……」
その言葉に、ジェームズは再び目を見開いた。
「君がそう言うのなら10%でいいですね。さてそうしましょうか」
「ちょっと! ウィリアム!! 待て!! そういう話は先にしろ!!」
またもや掴みかかる勢いで迫るジェームズに、それに対して楽しそうに笑うウィリアム。ウィリアムは特に気にする様子もなく、まるで――というか実際に――ジェームズをからかっているようだった。
……最終的には何とか給料を15%上げてもらうことで話がまとまったのだが、それよりも大事なことがある。
再びジェームズはバートを見た。まさか、この青年がこの世界にやってくるとは。しかも、自身の意志で。果たして、『思うところ』とは一体何なのか。ジェームズにはそれを今、知ることは出来なかった。
「バート」
ジェームズがバートに声を掛ける。こちらをまっすぐ見るバートの眼を見て、ジェームズは口元に笑みを浮かべた。
「退魔師の仕事は厳しい。だから僕もそれ相応に厳しく行かせてもらう。……それでもいいか?」
「ああ。望むところだ」
ジェームズはバートの返答を聞いて、彼に歩み寄り、右手を差し出した。握手を求めたのだ。
「よろしく、バート」
「こちらこそ。フォータスさん」
バートが自分の手を握りしめた時に言った言葉。それにジェームズは眉根を寄せた。
「ジェームズ、だ。……堅苦しいのは苦手でね」
ジェームズの言葉に、バートは小さくクスリと笑った。
「よろしく、ジェームズ」
これが、青年――バートが退魔師となり、謎めいたものに関わるようになった、キッカケだった。
そしてここから、彼等の―奇妙な悪魔と、正体不明の青年の―物語が、動き始める。
Mr.Enigma Episode1 A bargain is a bargain : End




