ながれ
ドームコンサートは、巡礼に似ている。
音楽を奏でる集団のために、その音楽を興味なり関心を強く抱く個人が
群れとなって一つの施設に集まる。
このタイトルもつどいにしようと思ったが、こじまんりした感じでもなかった。
日本人の信じる愛や孤独を理解するためにも、一度に4万人強の反応を見られる絶好の機会だ。
私的な大事な参加理由は他にもあるが割愛する。この理由で来る人の割合は1桁%だとは思う。
3人いれば、天は世界を滅ぼさないとの約束を信じて、ドーム一塁側に着席する。
爆音と高揚感は個体のなかでは比例して作用しない。振動の振れ幅が大きいと感じ、五臓六腑が震撼とまではいかない。どこかに、譲り渡してなるものかと意地を張っているようにも感じる。
彼彼女の曲は、オープニング曲が多い。物語が始まる幕開けの高揚感を帯びる曲が、構成比率として多い。
逆に作品の記憶と、曲の記憶が衝突する。物語の価値観が曲に反映されうるために、奏者の意図する「宇宙を超える」が、毎度小説なり漫画に引き戻される。唯一宇宙のアニメも、コロニー内の学園物語となっている。内的宇宙を表現したい苦悩を、作曲者は抱え続けるものと思われる。
批判ではなく、応援としたい。自己実現と表現の苦悩は、日本人であれば、より屈折し、偏光するから。
視点をドームに戻したい。
閃光がほの暗いドームを行き交う。光の紋様が客席を流れる。絶えず網膜を刺激する光に、虹彩が収縮を繰り返すが、ドーパミンが多くなれば瞳孔は開いたまま。光の洗礼に網膜は投げ出される。
脳は、おそらく、暗澹たる洞窟の中に光を見出したと錯覚するのではないかと思う。
光は、森林の光芒ではなく、直線的な明滅を投げつけてくる。
閃光と、爆音、炎、紙吹雪は、人の生存本能を刺激する。
日常には無くなってしまったものばかり。
特急列車の通過する圧と、航空機の爆音、ガスの火はまだ残っている。
刺激する理由は、生命に掠り、あるいは届くと、察知するから。
本来は、防衛機構。人の好奇心は、身体の危機から、対象への吊り橋効果に切り替わる。
ドームの醍醐味だと隣の人は言う。現代に生きる脳は、刺激に飢える。
刺激に中毒すると、人は病む。弛緩を知らなければ、徒労感は続く。
巡礼する対象は、苦悩する作曲者。
あるいは、承認欲求の高い個体。
その金庫に、時間を預けることは、頼りないのではと、個体はやはりドームの流れには乗れずにいる。
後ろの席の視野を気にして、椅子の背に腰を押し当て、前の席の下に足を突っ張る。
空気椅子を自分に課した。
人のパラメーターの違いを個体として呼ぶことにしてみました。
今回の経験は、言語力を未訓練状態にすれば、楽しかったの一言。
なぜならば、隣人と近い空間座標におり、近い聴覚視覚体験をしたはずだからです。
彼彼女を遠くから、応援したいと思います。




