第13話(パメラ視点)【完結】
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きらびやかなライトに照らされた、血みどろの舞台。
私は今、例の賭けボクシングのリングに、立っている。
……観客ではなく、ボクサーとして。
黒ずくめの男が言った『あんたでもできそうな仕事』とは、なんと、賭けボクシングの選手になることだった。……なんでも、最近は、男同士の試合に飽きてきた観客から、『今度は女と女を殴り合わせろ』という悪趣味な要望が増えていたらしい。
私は、震えていた。
当然だ。
言うまでもないが、ボクシングなど習ったことはないし、殴り合いの喧嘩すらしたことがない。これまでの人生の中で、私が殴ったことがあるのは、ジョセフだけ。……目いっぱい私を甘やかしてくれた、優しいジョセフの顔だけ。
そんな私が、賭けボクシングのボクサーですって?
悪い冗談だ。
でも、それでも、売春はいやだった。
だいたい、賭けはもう締め切られている。今さら『やっぱりやめます』なんて言っても、誰も許してはくれないだろう。……黒ずくめの男が言うには、私は強い肩をしているそうなので、経験を積めば、案外いいボクサーになれるかもしれないとのことだった。
対戦相手は、とても同じ性別とは思えない、筋骨隆々の女だ。もう、何度も試合をしたことがあるのだろう。唇は曲がり、鼻は潰れ、まぶたの上には生々しい切り傷がいくつもある。
ああああ。
睨んでる。
こっちを、睨んでる。
怖い。
怖い。
怖い。
助けて。
ジョセフ。
助けて。
私、頭が痛いの。
きっと熱があるんだわ。
ほら、咳もでる。
病気よ。
これ、絶対に病気。
仮病じゃないわ。
本当よ。
だから、中止にして。
試合を、中止にして!
カーン。
何の音?
カーンって、何の音?
ああっ。
対戦相手が、こっちに向かってきた。
そうか。
カーンって、試合開始のゴングの音だったのね。
待って。
待って。
待ってよ!
私、病気なのよ!
試合なんてできないわ!
やめて!
許して!
ジョセフ!
パンチが、飛んできた。
ボクシングの『ボ』の字も知らない私に、防御なんてできるはずがない。
痛い。
痛い。
ああああ。
鼻から、血が出てる!
いっぱい、血が出てる!
もう試合なんてできないわ!
ストップよ、ストップ!
しかし、試合は止まらない。
観客たちは、滅多打ちにされる私を見て、大喜び。
少しではあるが、私に賭けていた観客は、「逃げんな! 死ぬまで戦えクズ女!」と、かつての私のようなことを叫んでいる。
私は恐怖と悲しみと激痛の中、サンドバッグ同然に殴られ続け、2ラウンドの中盤で、完全に意識を失った。
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私は、控室で目を覚ました。
うぅ……
痛い、痛い……
まぶたが腫れて、左目が、見えない。
口の中は、血の味でいっぱい。
鼻の奥が、熱い。
隣に座ってる黒ずくめの男が、やや高揚した調子で言う。
「お前、なかなかやるな。完全など素人のくせに、2ラウンドまで立ってるなんてよ。きちんとしたトレーニングをすれば、本当に、いいボクサーになれるかもな」
それならばせめて、『きちんとしたトレーニング』をおこなってから、リングに上げてほしかったものだ。……いや、冗談じゃない。こんな暴力的で、血なまぐさいこと、とてもじゃないが、続けることなんてできない。トレーニングはいやだし、試合はもっといや。もう、こりごりだ。
私は、痛む顎をなんとか動かして、言葉を紡ぐ。
「あ……あぅ……あの……私……無理です……これ、無理です……だから……その……えっと、やっぱり、娼館で……働きます……」
もう、迷いはなかった。
リングの上でボコボコにされるくらいなら、娼婦の方が百倍マシだ。だいたい、たった一年我慢すればいいだけなんだから、最初から駄々をこねず、娼館で働くことを了承しておけばよかった。
黒ずくめの男は、肩をすくめ、言う。
「なんだ、今さら。もう遅いよ。自分の顔、見てみな」
そう言って、彼は手鏡を私に向けた。
私は、絶句した。
頬が、パンチを受けた衝撃で、大きく裂けていたからだ。
「安心しな。すぐに医者を呼んで、縫ってやるよ。だが、完治しても、顔には大きな傷が残る。……頬に傷痕のある娼婦を抱く男なんていやしねぇ。あんたはこれから、ボクサーとしてやってくしかないんだよ。ずっとな」
私は、震える唇で、問う。
「ずっとって……どれくらい……? どれくらい戦えば、私の借金は、なくなるの……?」
黒ずくめの男は、顎に手をやると、しばらく考えてから、言う。
「そうだな。娼婦ほど効率は良くないから、三年は頑張ってもらう必要があるだろうな」
三年。
三年。
こんな、血みどろの生活を、三年。
死ぬ。
負け分を返し終わる前に、絶対死んでしまう。
ジョセフ。
助けて。
助けて。
助けて。
助けてえええええぇぇぇぇぇぇぇぇ……
未来に絶望し、気が遠くなる。
私は再び、意識を失った。
その日から、私の生き地獄が始まったのでした。
終わり




