ハプニングバーと同人誌(2023.5.13)
この店はバーのくせに酒がひとつも無い。
しかも禁煙である。そんなバーで何をするのかといえば、バーはバーでもハプニングバーだった。セックスワーカーがサービスを提供する風俗店ではなく、客同士がエロい交流を目的として集う店である。
セックス目当ての客ももちろんいるが、今日のように平日の昼間はまったりと、名物の台湾茶や中国茶を楽しむ客が多かった。バーカウンターではお茶で酔い潰れている男性客もいれば、中国スイーツに笑顔になっている女性客もいる。男も女もそれ以外も多様な客が集う店、そのバーカウンターの内側では、熊のぬいぐるみのように太った店長がまんまるの手で丁寧にお茶を淹れていた。
「で、同人誌の進捗はどうんふ?」
店長の言葉に、バーカウンターに突っ伏していた女性客が顔を上げる。
「……全然。もうなんか、あたしが書く意味あんのかなーって感じ」
女性客は三十歳前後と思われ、ボサボサになった坊主頭にTシャツとかなりラフな服装だった。ラフというよりは、身なりを整える気力が無いらしいと言った方がいいかもしれない。眉毛も手入れをしていないのか伸ばしっぱなしだ。肌も荒れていたが、店の穏やかな照明が、それを優しく隠していた。
「ムーランさんが書く意味?」
「うん。だって千円払えば三島由紀夫とか、文豪の作品が文庫で買えてお釣りがくるんだよ。あたしの本に千円払うより『金閣寺』買った方がいいよ。同人誌だっていい作品なんていくらでもあるし、わざわざあたしが頑張って書く意味っていうかー」
ハプニングバーでは本名の代わりにニックネームを名乗る。ムーランと呼ばれた女性客は、店長が差し出した揚げナツメをぼりぼりとかじった。店長はその様子を眺めながら、福福しいがちょっぴりいやらしい笑顔でンッフンッフと笑っていた。
「でも、ムーランさんは、書きたいんふ?」
「……うん。書きたい」
「書きたいけど何かが邪魔してるんふ?」
「……うん。書きたいけど、何を書いていいのか分からないんだ。ポメラを開いても全然指が動かない。書きたいって熱は体の中でくすぶっているのに、うまく外に出てこない感じ」
「そうかあ。それは辛いんふねえ」
店長は淹れたてのお茶をティーカップに入れて差し出した。四季春という、春の花を思わせる香りの台湾烏龍茶だ。薄金色の茶液が、照明を受けて清らかに煌めく。ムーランがかさついた唇でティーカップに口づけると、白い花のようなジャスミンのような香りがふわりと鼻腔に抜けた。
「うっま! 熊太郎さんが淹れるお茶はいつも美味しいなあ」
「んふふ、ありがとう。何煎も楽しめるよ、台湾茶は絶倫だからねっ」
「その言い方ウケるー。あーおいし」
揚げナツメをかじりながらお茶を飲んでいるうち、ムーランの顔には段々と笑顔が浮かんできた。熊太郎と呼ばれた店長との会話の影響もあろう。彼……おそらく彼からは「癒し系」を絵に描いたような(ただし十八禁の)雰囲気が漂っているのだ。大きなお腹も思わずタプタプしたくなる顔も、ぬいぐるみや蒸しパンのようだ。
「書きたいものが分からないなら、読書をしてみたらんふ?」
「読書?」
「うん。本を読んでいるうちに『こういう話が書きたい』って思うかもしれないよっ。そうしたら数百字とかでいいから書いてみるの。そのうちに、この話をもっと膨らませたい、このテーマでもっと書きたいってなるかもしれないんふよ」
「なるほどなー、確かにそうかも。ここんとこあまり本読めてなかったし、何か読んでみよっかな」
「んっふー! ぜひぜひ! おすすめは……」
熊太郎が様々な本を紹介し、ムーランが笑顔で頷く。
ハプニングバーのくせにエロいことが起こる気配ゼロな、まったりとした昼営業の時間は、こうして流れてゆくのであった。




