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「普通の植物に見えるけど」
「あの光が燃料なんだ」
僕らの追いかけていた光の玉は、森から抜け出して、火花の群れに紛れ込んだ。隙間からほのかに見える光の玉は少しずつその輝きを失っていく。代わりに、火花の茎が、淡い黄金色の光を纏った。火花を包む光が茎の先端に集まる。炎でできた花弁そのものだ。
「本当にそのままの名前だよね」
急に空気が熱を帯びたかと思うと、光の球が、僕の頬に触れるくらい近くにあった。声を上げそうになって、なんとかこらえる。暗闇から現れた無数の光の玉は、宙を漂い、火花の群れに紛れ、その先端に新しい炎の玉を形作って消えていく。
肩に手を置かれるのを感じた。
「ミツヤはいるか?」
ヒロトは声を潜める。隣には池谷の姿もあった。
「僕らは見てない」
「あいつが囮になってくれるなんて思わなかったよ」
ヒロトは心配するよりもむしろ喜んでいるように見えた。
「どっちかと言えばお前のほうがおとりに向いてそうなのにな」
池谷の軽口に、ヒロトは肩をどついて返事の代わりにした。
「三人とも静かにして」
僕も一緒くたにされてしまった。
火花の群生は眩い明かりを放ち、巨大な光の湖は夜の世界を飲み込むようだ。時間は十時三分、予想の時間を過ぎている。デジタル数値が秒数を刻んでいく。開花まで、もう後一分も残っていないと思う。火花の先端に灯った光は、草木から落ちる前の一滴の水滴に似ていた。
「おかげでここまで来られた」
ヒロトの呟きを池谷は聞き逃さなかった。
「俺がいなかったらどうするつもりだったんだ?」
「いたんだからいいだろ。それに、俺達がいたから追手が分散できなかっただろ」
二十秒。
「あんなに見張りが出てきたのはお前らが馬鹿やってたからだろ。ひほいマッチポンプだ」
小池さんは池谷の足を強く踏みつけた。ヒロトが何も言わないのは、多分、マッチポンプの意味をわかっていないからだと思う。
「話があるなら後にして」
三十秒。
「黙ってると笑えてくる」
池谷は懲りない。緊張が高まってくるとなぜかおかしくなってしまうのはなんとなくわかるけど。
「ミツヤ?」
ヒロトが後ろを振り向いた。誰かが近づいてくる音に、僕はようやく気がついた。足音はひとつでなく複数ある。草の陰から、大きな手のひらが伸びてきてヒロトの肩を掴んだ。
草陰から現れた大きな別の影が、池谷を突き飛ばし、その体を地面に転がした。
僕は草陰から広場に飛び出した。僕らは取り囲まれていた。当たり前だった。僕らの目的地はこの場所しかないのだから。
怒声が上がり、甲高い悲鳴が応える。
火花の群れは、直視できない煌めきを放っている。人影が草むらから飛び出し、三方から一気に距離を縮めてきた。逃げ切れない。やけになって携帯電話を投げつけた、手を離れる瞬間に見えた画面は、十一時四分ぴったりを示していた。
三方を取り囲まれて逃げ道がない。僕の後方には、開花の瞬間をほんの数秒後に控えた火花が、目がくらむような光を放っている。
伸びてきた腕を交わした。小池さんの話が頭をかすめる。それに飲まれたら、戻ってこられるかわからない。
地面を蹴って、僕は火花の群れの中に飛び込んだ。誰かが大きな声で叫んだ。必死に僕を呼び止めている。
意識はまだあった。火花を踏みつけ、光の海を渡り切って向こう岸を目指す。そうすれば追手を逃げ切れる。けれど、向こう岸に見えた夜の闇は、火花の光に飲まれて消えていく。あまりに眩しさに目を閉じる。一瞬だけ視界が暗くなったけれど、眩い明かりはわずかな隙間から網膜に流れ込んでくるみたいだ。目を閉じているのに眩しい。視界が炎の明かりに染まっていく。自分が目を開いているのか、それとも閉じているのかわからなくなってくる。
指先に強烈な熱を感じた。地上から空に向かって放たれた無数の矢が、巨人の体を貫く様子を僕は想像していた。皮膚のあちこちに、無数の熱の矢が突き刺さるのを感じた。
今年は、火花の開花を見られない。視界を埋め尽くす光の奔流は勢いを増し、僕の目に残ったわずかな暗闇を残らず駆逐した。
体が宙に浮くのを感じた。視界は光の奔流に飲み込まれ何も見えない。足が地面を捉える感覚が消え、上下左右がわからなくなる。重力のない空間に放り込まれてしまったみたいだ。
光は勢いを増し。僕の視覚から思考まで、あらゆる感覚を焼き尽くそうとしていた。目を強く閉じ、手で目を覆っても、僅かな隙間からは無数の光の粒子が流れ込んでくる。
白い光が陽炎みたいにゆらいだ。わずかな濃淡は、やがて灰色の影となり、人の姿を形作った。目の前に小さな森が立ち上がるみたいに、次々と人の姿が現れる。光のゆらめきの向こうで影ははっきりとした輪郭を作っていく。
背の高い男が手でひさしを作って空を見上げ、腰を曲げたお年寄りは小さな子供の手を引いて歩いていく。サッカーボールが飛び去って、数人の子どもたちが勢いよくその後を追って走っていく。黒い影は生命を持っているように見えた。この町のどこかをモデルに影絵を作ったみたいだ。光と影が支配する不可思議なこの空間は、一方で、世界のどんなところよりも、僕にとって馴染みのある場所のように思えた。
影絵の世界の住人は僕に気がついていない。けれど、一人だけそうじゃなかった。人影の向こうから、小さな影が僕の方に向かって歩いてくる、長い髪のおかげで女の子だとわかった。
懐かしい感覚が蘇ってきた。
待ち合わせをすると、僕はいつも待たされた。ミツヤとヒロトは待ち合わせ時間を目安だと思っていて、僕が一番最初だ。二番目にマコトがやってくる。
待っている間は文句を言ってやりたいと思っているのに、マコトが悪びれない感じで手を降っている姿を目にすると、そんな気分が消えてしまうのが不思議だった。そうして、いつも決まってこう言うのだ。
「皆は来てないんだね」
鼓膜を震わせるその声が本物なのか僕にはわからない。
熱さも寒さも感じない。火花の熱は、僕の体が感知できる限界を超えてしまったのかもしれない。足の裏には地面を掴む感覚がなくなっていた。それでも一歩踏み出すと、確かに前に進むと感じる。手のひらを開いて、閉じてみる。息を吸ってみる。自分の体は、思ったとおりにきちんと動いた。夢の中にいるような息苦しさとは感じない。
「あいつらは来られない」
マコトは首をかしげた。
「どうやってここまで来たの?」
「道を教えてもらったんだ」
「誰に」
「新しい知り合いに」
「友達じゃなくて?」
「同じ意味だよ」
「楽しそう」
池谷どうしているだろう。ヒロトと、ミツヤと、小池さんも。左右を見回して、後ろを振り返っても、見えるのは白い光の本流だけだった。
「約束はもう守れないかと思ってた」
「そうはいかなかったね。一回言ったことは絶対にやってもらうよ」
マコトは歯を見せて笑った。
「厳しいな」
「私はスパルタだからね」
目の奥が熱くなってきたのは、火花の熱のせいにしようと思う。
「皆、仲良くしてる?」
「仲良くは」
僕の知っている世界とマコトのしている世界には大きな分断がある。
「してる」
「してないんだ」
嘘はすぐに見抜かれた。
「してなかったけど、良くなった。マコトのおかげで」
「なにそれ」
「クラスが違って、話さなくなって、知らない人みたいになってた」
それも、お互いがお互いのことを疎んじていると勝手な想像をしてさえいた。
「私のせいかな」
「僕のせいだったよ」
僕らの周りに浮かんでいた影の群れは、ゆっくりと光の中ににじんでいく。くっきりと見えた輪郭がちょっとずつぼやけてくる。火花の開花時間はとても短い。その僅かな命は、すでに最盛期を通り過ぎてゆっくりと終わりに近づいていた。
マコトの姿がにじんで見えるのもそのせいだ。喉の奥がつっかえているのを無理に押して声を絞り出す。ひとつまばたきをした次の瞬間に、その姿が消えてしまうような気がする。言いたいことはいくらでもあった。だけど、その衝動に全然言葉が追いつかない。
「ミツヤがごめん、って」
ミツヤはそんなこと言ってない。
「あのときは私もびっくりしてたから」
「マコトに殺されるんじゃないかって」
「そんなこと言ってた?」
「本気でそう思ってる感じだった」
「馬鹿だなー」
「図書館に来なかったか? 武道館とか」
マコトは首を傾げて少し考えた後、あ、と口を開けた。
「夢を見てた気がする。武道場でヒロトが片付けをしてるところと、ミツヤが、人がたくさんいる場所でパソコンを触っているところとか。図書館で勉強してたところを」
「追いかけたんだぞ」
「私を?」
ヒロトとミツヤは、マコトみたいな誰かを見たことはあっても、話をしたことも目を合わせたことさえもない。僕らに共通していたのは、そこにいるはずのない誰かの存在を強烈に知覚していたことだ。
森の中に漂う無数の光を思い出した。火花の正体が、今の僕にははっきりとわかった。
マコトの体を光の群れが浸していく。駆け寄って腕をつかもうとした僕から、マコトは一歩足を引いた。その表情は奇妙に歪んでいた。恐怖を感じているようにも、涙をこらえているようにも見える。
「ごめん」
声が震えている。胸のに寄せた右腕には光の粒がまとわりついて螺旋を描いていた。一方で、僕の腕はなんともない。マコトは光の奔流に飲み込まれようとしていた。マコトはこの光の向こうに行くことができる。僕にはできない。そこは僕のいていい場所ではないからだ。
光の渦をひとつかみすれば、僕にもその権利が与えられるのかもしれない。僕が一歩距離を詰めると、マコトは二歩後ろに下がって、怯えるような視線を僕に向けた。
「これが秘密なんだな」
「知らないままでいられたらよかったね」
マコトは目の縁をこすった。
「火花を見に行こうなんて言わなければよかったんだ」
「その時は僕が言い出してたさ」
「嘘」
「そうじゃなかったらミツヤが」
皆の心がひとつだ、なんて馬鹿げたことを言いたいわけではない。マコトは表情をくしゃくしゃにした。無数にある選択肢のうち、どれか正しかったかなんて誰にわかるだろうか。
「どんな道を選んでも、辿り着く先は一緒だ。それがわかった。百年後には、また皆で集まろうぜ」
「めちゃくちゃだよ」
マコトは声をつまらせる。その体は光の流線と混じって見分けがつかない。僕らの残された時間はほんの数秒だ。
「でも、そうだったらいいな」
「絶対そうだよ」
「今度は忘れないで欲しい」
「約束だ」
「そう、約束」
マコトは息を吸い込んだ。
「ヒロトのことは助けてあげてね」
「ヒロトは僕よりでかいし、きっと勝てない。見たらびっくりすると思う」
「ミツヤには、あの、怒ってないって伝えて」
「わかった」
「ちゃんと仲良くやって」
「もちろん」
「今、目の前にあるものを大切にしてほしい」
「じゃあマコトのことだな」
「そういう意味じゃない」
「ちゃんとやるよ。過去のことも、未来のことも、今のことも」
マコトは大きくひとつ頷いた。
「また会おうぜ」
「また会おう。百年後に!」
マコトの姿が見えなくなった。強烈な浮遊感を覚えた次の瞬間に、白い光の群れが再び輝きを増した。視覚を通して、僕の意識も真っ白に染まっていく。止まらない光の奔流の先に、一点の暗闇が現れた。かと思うと、黒点は一気にその手足を広げ、僕の視界は暗く染まった。時間は歩みを緩め、光は停止し、世界は暗い宇宙の一点に収束していった。




