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卒業式は待ち時間が長くて退屈だった。三月も終わりのはずなのに体育館は蒸し暑く、汗と涙の区別がつかなくなりそうだった。
誰かが声を抑えて泣いている。隣を見ると、僕の胸くらいの高さのところにマコトの頭があった。制服の裾を強く握られる。こちらを見上げる瞳の片方から涙が流れ落ちた。
「悲しくないの?」
マコトは僕から涙を絞り出そうとするみたいに裾を握った手で僕を揺すった。
「まだ実感がなくて」
退屈だから早く終わって欲しい、とはマコトには言えないなと思った。
「冷たすぎるよ。今日で中学生も終わりなんだよ。皆違う学校に行くし」
「お前はまだ小学生だろ」
退屈をしているのは僕だけじゃないみたいだった。クラスメートの中で頭一つ飛び抜けてヒロトの後ろ姿が見える。視線を隣に移すととミツヤの横顔があって、遠慮をせずに大きなあくびしている。その隣では小池さんが目を赤くしているのが見えたけれど、その姿はなんだか嘘っぽく感じた。
ポケットが震えた。先生がこっちを見ていないのを確認してから慶太をポケットから取り出す。池谷からの短い一文に目を落として、すぐにポケットに戻した。池谷は自宅で卒業式のライブ中継を見ているらしい。
「在校生、祝辞」
僕らの前に立ったのはケイ兄だった。一礼をして一歩前に出る。ケイ兄は、なぜか在校生側の集団の前に立って僕らの方を向いていた。在校生どころか今年の卒業生でさえない。
体育館の床が揺れた。複数の足音が響く。先生たちがが束になってケイ兄を取り囲んだ。ケイ兄はわざとらしく「しまった」という感じの表情を作ると、卒業生の群れに飛び込んだ。誰かが「捕まえろ!」と叫ぶ。。
列が乱れ、ケイ兄は細い腕で生徒の群れをかき分けて走ってくる。ミツヤとヒロトを押しのけ、僕の目の前で立ち止まった。周りの生徒が円を作って僕らの周りから離れた。
「悪い、バレちゃったよ」
そんなの当たり前だろ、と僕が言うよりも先に、生徒の間から先生たちが飛び出してくる。人の手や怒号の中でもみくちゃにされる。右腕を捕まれ、ねじ切られるような痛みが走る。逃げようとしてバランスを崩した。ふっと宙に浮き上がるような感覚を知覚するのと同時に、肺の中に冷たい空気が勢いよく流れ込んできたた。
砂の粒子が散らばるみたいに、おぼろげな映像がかき消えた。
くしゃくしゃになったシーツの皺が見えた。慣れない薬品の匂いがする。目をこすろうと右手をあげようとしたら、手のひらに激痛が走って思わずうめき声を上げてしまった。
右腕の手首から先に包帯が巻かれている。僕は右腕をそっと布団の上に置いた。
ベッドの周りはカーテンの仕切りがある。右手を動かさないように上半身を起こし、左手でそっとカーテンを開けようとしたところで、仕切りの向こう側からも腕が伸びてきた。
「ミツヤ」
ミツヤは驚いた表情をしていた。
「大丈夫か?」
僕は自分の体をもう一度点検した。
「腕がめちゃくちゃ痛い」
「大丈夫そうだな」
ミツヤは椅子に座った。テレビ台のそばに時計が置いてある。窓から明るい光が差し込んでくることを考え合わせると、今は午後三時ごろらしい。
カレンダーがない。僕のスマートフォンはどこにも見当たらなかった。おぼろげな記憶が蘇ってくる。
「僕の携帯は?」
「俺は知らない」
「火花は?」
「三日前に終わった」
「三日?」
「お前は三日間ずっと寝てた」
ミツヤは大きく息を吐き出した。安堵とも呆れとも取れる表情だった。
「なんであんな馬鹿なことしたんだ」
あの時の僕は火花を突っ切って逃げようとして、周りが見えなくなっていた。
「大丈夫かもって思ったというか」
「右手以外はなんともないのか」
「今のところは」
ミツヤはテレビ台の近くにおいてあったお菓子や水、本のほうに手を伸ばした。手探りで感触を確かめて何かを掴んだ。頭部のない植物の茎だ。
「前はこいつをずっと握ったままここまで運ばれてきたんだ。無理に手を開くと皮膚がぼろぼろになるらしい」
左手で火花を受け取った。軽くて細い茎は、ちょっと力を加えたらすぐに折れてしまいそうだった。
「無意味に危ないことすんなよ。お前までいなくなったらどうしようもないだろ」
「無意味じゃなかった」
「なんだよ」
「マコトに会ったよ」
ミツヤは目を大きく見開いた。
「馬鹿なことを」
「何があっても不思議じゃないんだろ」
「お前が見たと思ってることをそのまま話してくれ」
光の中で見た影絵の世界のことを話した。つい熱くなって身振りで伝えたくなるのを、右手の激痛に何度も引き止められた。
「火花がなんなのかわかったよ。あれは、地上に戻ってきた死者の通り道なんだ」
毎年見上げていたあの光は、ただ僕らを楽しませるために存在しているのものではない。
「非科学的だけど」
「人間の意識や人格は電気的なパターンで、死者の魂なんてものはこの世界に存在しない」
「電気的なパターンは保持されてるんだよ」
「どこに」
「あの光の玉の中に」
「どうやって」
僕は唸った。
「なにかこう、未知の力で」
「わからん」
「僕だって信じられない気持ちだ」
「でも、起きたことが正しいんだ」
ミツヤは頬を軽く引っ掻いていた。
「マコトはなんて言ってた?」
「怒ってないって言ってた」
ミツヤは目の下をこすり、鼻をすすった。ずっと幼い頃の心細い夜のことを思い出しているに違いないと思った。
「マコトは神様みたいに良いやつだったよ」
「来年にはまた会えるかもしれない」
「もう馬鹿なことすんなよ」
ミツヤは声を荒げたかと思うと、感情を抑え込むみたいに深く息を吸い込んだ。
「それにお前が寝てる間、どれだけ叱られたと思ってるんだ」
「ミツヤとケイ兄がしくじったところを見たかったな」
「先生と親が忘れるまでは病人のフリしとけよ。また糞つまらない話を延々聞かされることになるんだからな」
ミツヤは立ち上がった。
「また来る」
「ミツヤ」
ミツヤは歩きかけて立ち止まった。
「巻き込んで悪かった」
「なかなか楽しかった。ずっとほったらかしにしてた約束も果たして、凄くいい気分だ。ヒロトも、多分そうだと思うよ」




