38:魔女の帰還
事情を聞いたアナベルは、てきぱきとマリカの荷物をまとめ、快く彼女を送り出してくれた。
随分と手際がいいな、とマリカが驚いていると、アナベルは快活に笑う。
「実は黙っていたけれど、ウィルフレッド様はずっと、婚約破棄にご不満を抱いてらっしゃったのよ」
だから近々こうなるだろう、と兄夫婦は考えていたらしい。
ウィルフレッドも、短く首肯する。
蚊帳の外に置いておかれた形のマリカだったが、結果としてウィルフレッドが来てくれたのだ。不満はなかった。
アナベルに礼を言い、兄への言づけを伝え、ウィルフレッドと共に実家を出る。
そのウィルフレッドだが、単身車でやって来ていた。
しかも、メルヴィル家の面々に何も告げずに、出奔のような形で飛び出して来たらしい。
「どうしてそんなことをなさるんですか」
すっかり慣れてしまった高級車の座席に納まりつつ、マリカが呆れる。
車を自ら運転出来たことに対する驚きも、その声には混ざっていた。
「いてもたってもいられず」
思いの外軽快にハンドルを操りながら、そう言い訳するウィルフレッドは、あまり悪びれているようにも見えなかった。
存外考えなしな方だ、とマリカは再び呆れる。
そしてメルヴィル邸に戻ってみれば、やはり大騒ぎになっていた。
まず、ウィルフレッド達の帰還を発見した従僕が飛び上がり、もんどりうつようにして屋敷の中へ飛び込んで行った。
庭師たちも、大慌てで屋敷へ飛び込んでいく。
嫌な予感がしつつも、玄関の階段を上れば、扉越しにけたたましい足音が聞こえた。
二人は顔を見合わせる。
「ウィル!」
勢いよくばん、と扉が開かれると同時に、淑女らしさをかなぐり捨てたベアトリスが飛び出て来た。
「お母様」
ウィルフレッドも淡白に母親を迎え入れ、そして、握りこぶしでぶん殴られた。
その勢いで、玄関のポーチから転がり落ちる。ごろんごろん、と転がった。
「ウィル様!」
大慌てでマリカも駆け下りた。
殴られた頬が赤く染まっているものの、ウィルフレッドに大きな怪我は見当たらなかった。
ほ、とマリカは安堵する。
その二人を、ベアトリスは怖い顔で見下ろした。
「何も言わずに屋敷を出るだなんて、主として失格です! 恥を知りなさい!」
頬を押さえ、ウィルフレッドはうなだれた。
落ち込む息子にも、ベアトリスは追撃の手を緩めない。
「それにマリカさんとの婚約は、破談したと申し渡したはずですよ?」
ぎくり。マリカも身を強張らせる。
それを庇ったのは、今までうなだれていたウィルフレッドだった。
彼女の手を握り締め、母を見上げる。
「マリカから、破談の理由を聞きました」
「でしたらなおのこと、マリカさんを連れ戻すのはおかしいのではなくて? 彼女から、身を引いたのよ?」
「私は彼女を愛しています」
歯を食いしばり、彼は立ち上がる。
寄り添うようにして、マリカも彼の隣に立った。
見れば開け放しになった扉から、ルアナとフローレンスも顔をのぞかせている。
二人とも、気遣わしげにマリカたちを見つめていた。
ルアナに至っては、涙ぐんでさえいた。
大丈夫だ、と言うように、マリカは二人に微笑み返した。
「マリカ以外の女性を、私は愛しません。短命であろうと、関係ない。体が弱いのであれば、最高の医師を見つけます。魔法も、今後一切使わせません。最良の手を尽くし続けます。子供が望めないのであれば、養子を迎え入れます」
仁王立ちでそう宣言するウィルフレッドに、ベアトリスも瞠目する。
マリカも最後の言葉に、目を大きく見開いた。
「養子だなんて、そんな……っ」
それでは魔女と結婚する意味が、なくなるではないか。
そう目で訴えるマリカに、ウィルフレッドは小さく微笑み返す。
「私が欲しいのは、マリカだ。魔女の血ではない」
「ウィル、様……」
どうしてこんなにも、欲しい言葉を彼は告げてくれるのだろうか。
マリカは再び、涙ぐんだ。
彼女の手を握り、ウィルフレッドはベアトリスを改めて見上げる。
「そしてマリカも、私を愛してくれています。私はその想いを裏切りません」
しばしベアトリスは、二人をにらんでいた。
だが、ややあって肩を小さく竦める。
困ったように、彼女は笑った。
「ウィルがこんなにも長口上で話したのは、久しぶりだわ。それだけ、本気ということなんでしょうね」
「それでは」
やや熱を帯びた口調で、ウィルフレッドが問う。
もう一度笑って、ベアトリスはうなずいた。
「駆け落ちなんてされたら、それこそ目も当てられないものね。あなたが当主なのだから、あなたの自由になさい」
その代わり、と茶目っ気を含んだ目で二人を見下ろす。
「必ず幸せになるんですよ。もう、マリカさんを倒れさせては駄目よ?」
こくり、とウィルフレッドがうなずく。
「はい」
涙混じりの声で、マリカも応えた。
途端にはじけたような喝采が、屋敷の内側からとどろいた。
使用人たちが窓を開け、銘々拍手や歓声を上げている。
「マリカ様、おめでとうございます!」
ルアナも玄関から身を乗り出し、涙をたたえた笑顔で叫んでいた。
「おめでとうっす、お二人様!」
フローレンスも指笛を吹いている。
号泣するマリカを抱きしめて、ウィルフレッドが使用人たちの祝福に大きくうなずいた。
マリカも、優しい婚約者の抱擁を拒むことはなかった。
こうしてメルヴィル家に、改めて花嫁がやって来た。
彼女は病弱だったものの、献身的な周囲の支えによって、それなりに長い人生を送ったと伝えられている。
そして無愛想だが心優しい夫と共に、平々凡々であるものの、暖かな家庭を築いたという。
その証拠に。
メルヴィル邸の応接間に飾られたポートレイトにはどれも、満面の笑みの優しき魔女が写っていた。




