Case3:救急
いつも通りに患者さんを診て、一日を終えてそのまま眠りに付こうとしたとき、
診療所の扉を必死にたたく音が聞こえた。
「はーい...」
私はあくびをしながら玄関を開けた。
別の部屋で寝ていたシシリーやクラテも起きだしてきていた。
「こんな時間にすいません。でもどうか助けてください。」
すっかり憔悴しきったエルフの男が立っていた。
「落ち着いてください。何があったんですか?」
「私の父が急に苦しみだして倒れてしまったんです。他の回復術師は誰も取り合ってくれないし。どうか助けてください。」
「わかりました。お父様はご自宅に?」
「はい。私の家はここからすぐの場所です。」
私は聴診器に血圧計、点滴袋と手動式人工呼吸器、注射器をカバンに急いで詰め込み、クラテやシシリーと一緒に男の家に向かった。
家につき部屋に案内されると、確かに苦しそうに横たわる老人がいた。
「大丈夫ですか?」
話しかけると老人は目を開いた。意識レベルは正常のようだ。しかしまだ油断はできない。
「シシリーはさっきの男性から話を聞いてきてくれ。クラテは脈拍と呼吸数を確認して。僕は血圧を取る。」
「わかった。」
そうして私たちは各々作業を進めた。
エルフ族の血圧は以前シシリーに測らせてもらったが、人間よりも少し低い。大体10mmHgほど低い。
しかし実際に測ると、血圧は78/48mmHgであった。
仮に人の血圧に治しても88mmHgほどであり、ショック状態である。
「脈拍と呼吸数は?」
「脈は90回で、呼吸数は20回くらい。」
血圧低下に対して、それを補うように心拍数が上がっている。
ショック状態だ。
「オッケー。じゃあこの点滴針を前腕の外側の血管にさして。そうしたらバックの中の点滴袋とチューブをつなげて点滴を始めよう。」
「了解だよ。」
「レピア君。話を聞いてきたよ。」
シシリーが戻ってきた。
「この人はルキッソさん。今年で283歳、人で言うと70歳と少しぐらい。以前から呼吸が苦しいといっていて、回復術師の先生にかかったこともあったけど原因はわからなかったらしいの。症状が出たのは今夜で、寝ている途中で急に胸が苦しいって言いだしたみたいなの。聞けたのはこれくらいかな。」
「息が苦しいって言い始めたのはいつごろからかは聞いた?」
「大体半年くらい前って言ってたよ。」
半年前からの呼吸器疾患か。それと今回のショックが関連してるかはまだわからないが、留意する必要がある。
安静時に急に苦しみだしたのだから労作性狭心症は除外される。
心電図が欲しいものだが、今はどうしようもない。
「わかった。そうすると他に症状がないか、あと、シガーとか薬とかで使っているものがないかを聞いてくれ。それと家族の中に今まで大きな病気をした人がいないかも合わせて聞いてきてもらえるかな。」
「うん、わかったよ。」
シシリーはまた部屋を出た。
ちなみにシガーとは前の世界でいうところの葉巻である。
「針入れ終わったよ。点滴も始めてる。」
さすがクラテだ。
時間があるときに何度か機具の使い方を一緒に練習しただけあって作業が速い。
「ありがとう。じゃあこの人の胸のあたりを透視で見せてくれないか?」
「わかった。」
じんわりと見えてきた視界には、明らかに肥大した心臓があった。
胸縦隔比が明らかに半分を超えている。
肥大型、または拡張型の心不全だろうか。
肺の方に目を移すと何やら影のようなものが見えた。
これは...ガンだろうか?
見た目にはガンで間違いないだろう。
多発性でないところを見ると転移性のガンではなく、肺が原発巣のようだ。
「ありがとう。少し心臓の音を聞こう。」
そう言って私は聴診器を胸に当てた。
心音はかなり聞き取りづらかった。なぜなら音がかなり弱まっていたからだ。
つまり心臓の音を阻害するものが胸の中にあることになる。
それに心尖部の拍動が外側にずれていない。
これはつまり心臓そのものは肥大していないことになる。
ということはさっきの心臓の肥大は、心臓そのものの肥大ではない。
心臓の周囲の肥大、要するに心膜腔の肥大ということになる。
このショックの原因は心タンポナーデによる心臓の閉塞であろう。
だがこの心タンポナーデの原因は何だ?
現時点で考えられるのは2つ。
1つはさっき発見された肺癌の心膜転移が起きたことによる心膜腔内の液体の貯留。
もう1つは心不全が起きていることによる心破裂だ。
しかし心不全は少し否定的である。
半年前からの息苦しさが心不全によるものであれば、肺に水がたまりもう少し曇っているはずである。
なので息苦しさは肺癌によるものの可能性の方が高い。
ただ、それでも完全に否定することはできない。
再び扉が開いてシシリーが戻ってきた。
「他の症状なんだけど、たまにせき込んだ時に血が出てくることがあったって言ってた。あと、シガーをよく吸ってるらしいよ。」
「そうか、痰と一緒に血が混ざっていたんだね。」
そうするといよいよガンの心膜転移だろうか。
心不全、特に左心不全でも血痰はあるが、その場合の痰ははピンク色の泡立ったものとなる。
まずこれを見て血が混じった痰とは説明せず、もっと別の表現が出てくるはずだ。
それにシガーは肺癌のリスク因子。肺癌のせんが濃厚だろう。
「ありがとう。そうしたらシシリーはいつでも回復術を使えるようにしておいてくれ。僕は今から針を刺して胸の中にたまった液体を抜こうと思う。」
「液体?」
「うん。心臓の周りに液体がたまってしまっているんだ。それを抜かないと心臓がうまく動けなくなってしまう。僕もこんなことしたことないから、失敗したら針をすぐに抜き取る。そうしたらシシリーがすぐに傷を閉じてくれ。穴は小さいから、シシリーならすぐに閉じられるはずだ。」
「わかった。」
さて、ここからが問題だ。
心膜腔に針を刺す、つまり心嚢穿刺を行ったとして、もし万が一にも心破裂による心タンポナーデであれば私たちの技術では治すことは難しい。
シシリーが心臓の破裂部位を完全に修復できるほどに回復術を使えるとは思えない。せいぜい心不全の進行を止めるのが限度といったところだろう。私のもといた世界と同じように手術する手もあるが、私にはそんなことできない。
とはいえガンの心膜転移であったところで、急場はしのげても治すことはできない。
私はとりあえずがむしゃらに心嚢穿刺を行った。
鳩尾のあたりから針を頭側に向かって45度の角度で差し込む。
前の世界のようにエコーを使いながらではなく完全に自分の感覚だけで刺していく。
少し手ごたえがあった。
針に注射器を取り付け引っ張ると、血性の液体が出てきた。
とりあえず心膜腔には達したようだ。
注射器を外すと、針の穴を通って心嚢液がしみだしてきた。
拍動性がなく、ただただコンスタントにしみだしている。
つまり、針は心臓の壁を貫かずにうまく心膜腔の中でとどまっているし、原因も心破裂ではなさそうだ。
血性の心嚢液を見る限り、やはりガン転移だろう。
液体がある程度抜けると、ルキッソさんは元気になってきた。
血圧も少しずつではあるが、回復してきた。
針を抜き取りシシリーに針の指し口を閉じてもらった。
「優しい回復術師の皆様。夜分遅くに本当にありがとうございました。妻が一応夜食を作りましたので、よろしければ食べていってください。」
ムーサさんは、血相を変えて診療所の扉をたたいていた男だが、今となってはほっと一安心した様子だった。
私たちはお言葉に甘えて夜食をいただいた。
何やら様々な木の実を煮詰めてジャムのようにしたものだった。
しかし甘くはなく、薬味のきいた刺激的な味の料理だ。
どうやらエルフ族にとってはなじみのある料理のようで、シシリーはうまそうに食べていた。私の口には少し合わなかった。
「今日は本当にありがとうございました。ただ一つ聞きたいのですが、父の病気はどのようなものなのでしょう?」
ムーサさんが切り出した。
「ルキッソさんの肺には腫瘍があります。」
「腫瘍?」
「はい。もともとは自分の細胞だったものが暴走して、無秩序に増殖をしてしまっている状態です。」
「でもそれが今回のこととどんな関係が?今までの息苦しさとは今回違うみたいでしたし。」
「その腫瘍が、心臓の周りにある膜を侵し始めたのです。その反応として体液がその空間にたまり、心臓を圧迫していました。」
「それじゃあまたこうなると?」
「はい。残念ながら今の僕たちではどうすることもできません。」
「そうですか...」
ムーサさんはうつむいた。私もクラテもシシリーも何も言えなかった。
「でも、それでも今日は急場はしのげたわけですし、本当にありがとうございました。この後の治療は家族で話し合っていきたいと思います。」
「こちらとしてもできる限りの協力はしたいと思いますので、何かあれば連絡をください。」
夜食を食べ終わると私たちは診療所に帰った。
東の空が白み始めていた。
私はヘルメスに手紙を持たせて飛ばした。
エドワードへの手紙と、ルサス先生への今回の件の報告と応援を求める手紙だ。
そして私はベッドに戻った。
もう一時間後にはまた起きないといけないのだが...
ん?『教えて!レピア君』のコーナーですか。
皆さんお久しぶりです。
アヴィです。
僕は今、北の戦線で回復術師見習いとして働いています。
とはいえ後方勤務なので、そこまで過酷ではありません。
ただ、私の面倒を見てくれている回復術師の先生は僕の扱いがかなり雑です。
何の説明もなしに急に患者さんを投げてきたりして、毎日がハチャメチャです。
一度、爆薬で体が吹き飛ばされてみるに堪えない状態になっている人が運ばれてきたときに、先生に処置について質問、いや、あれは詰問ですね、それを受けてたじたじになってしまいました。
それをエドワード君を介してレピア君に手紙で送ったのですが、
そんなこと別に大したことじゃない。
自分にもそんな時期があったなー
とどこか達観したような、懐かしんでるような、そんな返事が返ってきました。
一体レピア君は今までどんな経験をしてきたのか。
レピア君...恐ろしい子!
さて、今回はこれくらいで。
『教えて!レピア君』終わりです。
それじゃあまたね。バイバイ!




