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血で香る花

 その花は、毎日血を吸って咲いていた。


 一日ひとつの心臓を、その心臓を絞った血を、栄養にして咲いていた。


 その花は神の花だった。神のささやかな楽しみのため、なぐさみのために咲いていた。


 世界にはもういくさはなかった。あまりにいろいろやらかす人間たちに嫌気がさし、神様が天上から降りてこられ、直接『統治』をお始めなすって……だから戦はもうなかった。


 世界はもはや、ユートピアだった。もうはや戦も災害もない、何もうれいやいさかいはない。


 ……ただ、『神の花』のために小さな死は必要だった。一日ひとつの心臓、そのための死者は必要だった。


 神は従者をひとりおき、その者に大きめの手鏡を与えた。従者にされた幼い少女は、毎日決まった時間に手鏡をのぞき、そこに映った人間の胸に手を伸ばし……、


 ――少女の小さな手のひらは、鏡ごしにその者の心臓をえぐり抜き、それを絞った血を吸って、よりいっそう鮮やかな花びらを赤くし、花は香り立ち咲き誇り、そのさまを見て神様はお楽しみなさるのだ。


 なんの、たいした犠牲でもない。今までだったら一日に何万、何十万と消えていた命が、たったの一日ひとつで済むのだ。小さな代償、それと引きかえに大いなる平和が毎日まいにち訪れる。今、世界はまさに『神の治めるユートピア』……。


 人々はそう考えていた。考えていたが内心どこかで、それを疑問に思っていた。もちろん花の生贄には親がいる、兄弟や友人がいる……もしかしたら恋人がいる、妻や夫がいる、子どもがいる、孫がいる。


 押し殺した『遺された者』の恨みはつのり、神への違和感もつのりつのって、人々はやがて従者の少女へその想いを転化した。


 少女は道で誰と行きあっても、あいさつのひとつもしてもらえない、かえって顔をそむけられ、ちっと小さく舌打ちされる。少女はもう、とっくに自分をあきらめていた。しょうがないと想っていた。


 しょうがない、もともと親なしの孤児院育ちのわたしだもの……神様に選ばれて毎日ごはんをもらえるだけで、寝る場所を与えてもらっただけで、身にあまる幸せと思わなきゃ……。


 そう想いつつ少女は毎日、手鏡ごしに誰かの心臓を抉り抜き、その心臓を絞った血を甘く香り立つ花にそそぎ、小さなつめは三日月形に黒くおぞんだ血に染まり、そうして日々を生きていた。


 ……そんなある日、少女は道で小さなへびがケガをしているのを見つけた。そばには血に染まったこぶしくらいの石があった。


 誰かがヘビを石で殴りつけたのだろう、子ヘビはふたつに裂けた舌をぴくぴくさせて、今にも死にそうに息をしている。


 ……少女はそっと手を出して、指先で死にかけの子ヘビに触れる。神のもとで暮らす少女は、もういくらかは人外だった。殺すことも、治すことも、ある程度ならもう出来た。


 子ヘビのケガは見る間に治り、残ったのは無傷のヘビと、なお血に濡れた石だけだった。子ヘビは少女の目の前で、みるみるうちに幼い少年の姿になって、美しくにっこりいかける。


「……ありがとう、助けてくれて」

「……あ、あなたは……?」

「ぼく? ぼくはこのへんの土地神なんだ。向こうに小さな湖があるでしょう? ぼくはそこに住んでる蛇神……今はもう本物の神様がいらっしゃるから、ぼくの力なんてほとんど消えちゃってるけどね……」


 そう言って、少年の姿の土地神は照れくさそうにはにかんだ。


「……で、久々にこのへんを散歩していて、ただの子ヘビと思われて人間に殺されかけたこのぼくを……きみが、助けてくれたんだ……」


 幼い姿の蛇神は、そう告げてそっと白くうろこの浮いた手を伸ばし、少女の手をやわく握ってその指先に口づける。


「……これからちょくちょく、きみに逢いに来ても良い?」

 そう言って微笑う彼の瞳は、きらきら輝くこんじきだった。少女はまるで夢見るような気持ちでうなずき、神殿に帰ってから気がついた。


 ……つめのあいだに三日月形に黒く固まっていた血の染みが、すっかりきれいに消えていた。


* * *


 ……ふたりの『蜜月』が始まった。といっても毎日のように出逢った道で行きあっては、少し話をするだけで、別に何がある訳でもないのだけれど。


「きみが悪い訳じゃないよ。ただのお役目なんだもの……」


 少女が『血の花』と『心臓を抉り抜く』話をすると、蛇神はそう言ってさみしそうに微笑んだ。


 ああ、本当にこのひとだけだ、こんなわたしとまともに話してくれるのは……。神様はわたしを『たいして役にも立たない召使い』としか思っていない。わたしには本当にこのひとだけだ……。


 そう想う少女の考えに気づいたように、蛇神はそっとこちらのひたいに触れる。


「……きみは、あんまり誰かを深く想わない方がいい。神様ってのはやきもち焼きみたいだからね、きみの想いに気づいたら何をするか分からない……」


 やきもち焼きっていうのは、『本物の神様』のことかしら? でも大丈夫、あの方は本当に心から、わたしのことなんてどうだって……。


 そう考えて蛇神にとろけるように微笑みかける。気づかうようにこちらを見つめる、宝石みたいな金の目に、こちらの姿が映っている。


 ……幼いだけの魅力のない自分の姿が、幸せそうに映っていた。


* * *


 ――翌日、鏡に映ったのは愛しい少年の姿だった。あの蛇神の姿だった。


 少女は今さら思い知る。本物の神様は、やはりお怒りになったのだ。その身勝手なやきもちで、ふたりのささやかな恋を裂こうと。蛇神の心臓をこの幼い手で抉り取らせて、その心臓を絞った血を『神の花』にそそがせようと――


 幼い金色の澄んだ瞳と、鏡ごしに目が合って。少年の姿をした蛇神は、泣き出すように微笑ってくれた。


 少女は、そっと手を伸ばす。震えながらも手を伸ばす……己の胸に手を伸ばす。幼い胸に、白くなったつめを伸ばして、自らの心臓を抉り抜き……いささか人外になった身の力をふり絞り、悶えながらのたうちながら花のもとにたどりつき……


 血を、絞る。自らの心臓を絞ってしたたる赤い血が、したしたぽたぽた花にしたたり、喜びのためか怒りのためか、『定められた血』ではないしずくを浴びて、花ははちからすくすくあふれ出し、見る間に新しくつぼみをつける。


 花はみるみるなおさら大きく咲き誇り、ひとつひとつ花の数が増えるごと、人間たちの心臓はぱちぱち弾けてみな倒れて亡くなって……、


 人間も死に、生き物も死に、心臓を持つものはみな滅び、花にまみれた世界で手をたたきはしゃぐ『本物の神』の心臓もぱんと弾けて、神の魂も消え去って、ただ青い星はから見ても花の色に赤くなり、そうしてそれがおしまいだった。


 もう青い星は花だらけ、花ばかり咲く赤い星となりはてて、神もいない、花以外には何もない……、


 美しいだけの、赤いだけの星のかたすみ、たったふたつの命があった。


 金色の瞳をした子ヘビが二匹、生き残りの神様みたいに、淋しく愛しいつがいみたいに、花ざかりの星のかたすみ、くるくる絡み合い息をしていた。


 どこか鉄臭い血のにおい、甘く香る花の星が、今も宇宙のどこかにある。今でも鼻につくように、甘くあまく香っている。……

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