奇跡
「──治せるの?」
レオナには目の前の少女に彼の傷が治せるとは思えなかった。それができるのは、神器である【神導カリドヴール】を使うフィオナ・アリオンしかいないと知っていたからだ。
魔王軍にも【神導カリドヴール】に見染められた魔族がいたそうだが、彼女でさえこの傷は治せなかっただろうというのが、レオナの見解だった。
「治せます」
どこまでも無感情な瞳でレオナを見つめ、そう断言したオリビアに、レオナはルシェフから離れる選択をする。
レオナから見たオリビアの魔力は、人間のものとは少し在り方が違っていた。
神威のようなものさえ感じられる魔力から、オリビアが精霊やより高位の存在ではないかとさえ錯覚させられる。
レオナは自身にこの傷の完治は不可能であることが理解できてしまっている。藁にも縋る思いだった。
「ごめんなさい……」
ルシェフの前に膝をつき、涙声で小さくそう漏らしたオリビアは、杖を手に祈りを捧げた。
彼女が瞼を閉じるのと同時に、足元には一つの魔法円を中心に三つの小さな魔法円が描かれ、淡い光を放つ。
それから間もなく、彼女の周りに精霊が集まり始めた。
この場にいるメンバーで精霊の実体を見ることのできる者はいなかったが、それでも精霊と形容すべき存在が、空から、木々の隙間から、地中からすらオリビアの元に集まってきていることが気配からわかった。
「精霊の加護……⁉︎」
「……」
オリビアはレオナの驚嘆にすら目もくれず、自身の感情を殺したままに、淡々と祈りを捧げる。
今の彼女に、神への信仰などというものはなかった。
信仰がないだけならまだしも、彼女は自身の力を忌み嫌ってさえいる。
この力がなければ、彼が再び戦場に駆り立てられることがないことを理解していたからだ。
──いっそ祈りを止める勇気があれば、彼女は本当の意味で彼を救うことができただろう。
これは彼女が何度も繰り返した葛藤だ。
彼女は確かに外傷を完治させることはできたが、それでも癒せない傷がある事を知っている。
その傷は、彼女がどれだけ祈ろうと、決して癒えることのない傷であることもわかっていた。それに彼が苛まれていることも。
それでも、彼女が祈りを止めることはない。彼女には旅の道中で彼とした約束があったからだ。
◇ ◇ ◇
「セレイナ。もし次に俺が倒れても必ず治してくれ」
「──え?」
虚を突かれた彼女は、驚いた顔で目の前にいるレオルの表情を窺う。
「君の力にはいつも助けられている。──だから、君は何も思い詰める必要はない」
レオルは全てを見透かしていた。彼女が抱える葛藤も悩みも後悔も不安も、その全てを。
それはこの二人が長い旅を共にしたからであったし、何より、方向性は違えど、この二人には共通点が多かったからだ。
「だから、俺から頼む──」
「待って!それ以上は……!」
慌てて紡がれたセレイナの制止に、レオルは少し申し訳なさそうにぎこちない笑みで返す。
その言葉が彼女を迷いを消すことのできる言葉であり、その上で彼女を苦しめる言葉でもあることを知っていたからだ。
それでも、彼には戦わなければならない理由があったし、魔王軍との全面戦争に勝つためにレオルの力が欠かせない事を、彼自身が一番理解していた。
「──次俺が倒れても、必ず治してくれ」
一番言わせてはいけない言葉を言わせてしまった。セレイナは涙を堪えるので精一杯だった。
──本当、彼に戦うことを強要するこの世界にも、彼の言葉がなければ満足に祈ることもできない自身の弱さにも嫌気がさす。
一番辛いのが誰だったかなど、考える必要すらなかったのに。
いっそ自身にこんな力などなかったら、と考えない日はない。
それでもセレイナがレオルを癒すのは、彼との約束によるものだけではない。それよりももっと根本的な衝動も含まれていた。
彼と同じ時を過ごしたかった。もっと言えば、レオルに生きていて欲しかったから。
だから、これはエゴだ。故に、彼女の口から出るのは謝罪だった。
──いつか約束した争いのない平和な世界を二人で過ごす。
そんなあるはずもない夢物語を夢見ながら、彼女は祈り続けていた。
◇ ◇ ◇
記憶を取り戻すに際して女神との約束を思い出していたオリビアは、何故自分たちが再び集められたのかを知っている。
だからこそ、祈ることに躊躇いはあったが、それでも彼女は無心で祈りを捧げた。
彼女の本心とは裏腹に、精霊は懸命に働き、彼の欠損した腕が再構築されていく。
精霊の力を存分に借りることのできる彼女の祈りは、最早治療ですらないだろう。
「何、これ……⁉︎」
今目の前で行われているのが、魔法なのか祈祷なのか、はたまた呪術の類か。それすらもレオナにはわからなかった。
彼女がこの現象を言葉で表すとすれば、正しく“奇跡”が相応しいだろう。
驚きながらも、レオナはある少女の話を思い出す。一時期勇者と行動を共にしていた伝説の聖女のことを。
曰く、彼女は一夜にして町で流行る疫病を止めた。
曰く、最前線の治療を全て彼女一人で行えていた。
更には死者を蘇らせたとすら噂されていた。
──それも、神器の力に頼ることすらなく。
そして、彼女は魔王軍との激戦の末に亡くなったこともレオナは知っていた。
「ねぇ、金糸雀ちゃんは何をしてるの?」
「治療、です……。多分、任せておけば大丈夫かと」
何をしているのか、なんてレオナが聞きたいくらいだった。レオナには、それくらいオリビアが複雑な魔法を行使しているように見えた。
実際、治療は精霊が行なっていたが、その指示はオリビアの魔法円によって描かれていた。
その魔法円はレオナの見てきたどんなものよりも複雑に描かれている。これは、ルシェフと同じ起源の力を持つオリビアだからできたことだ。
ルシェフの力が外に向いているのなら、オリビアはその逆、彼女は内側に力を働かせることができていた。
【四重詠唱】の正体が正しくそれだ。
ただ、今回に限りオリビアは【四重詠唱】を可能にした彼女の能力本来の使い方をしている。
内側に四人の人格を持つ彼女は、一つの魔法の処理を四人で分担して行うことで、ただの祈りを人間には到達し得ない高位の次元へと昇華させていた。
静かに目を閉じるオリビアを、カールは鬼のような形相で睨む。──まるで積年の仇を見るような目で。
「──ねぇ、あの杖、何なの?」
カールの視線に気づいたニコは、彼とは目を合わせずにそう尋ねる。表に出さなかっただけで、ルシェフ以上にニコはカールの存在を怪しんでいた。
「……」
「──あなたのこと、ルシェフに話すよ?」
ニコの脅し文句に、カールは難しい顔をする。何故バレたのかカールにはわからなかったが、ニコは既にカールの素性を割り出せていた。
「彼女のために作られた魔剣です」
詳細をぼかしたカールの言葉に納得できない様子のニコは、いっそ彼女の名前を出してしまおうかと悩んだが、それを実行には移さなかった。
「──今回は味方、なんだよね?」
「それは保証します。不測の事態ですし、状況に応じては私の力を使うことも厭いません」
「わかった」
ニコはそう呟くと、何事もなかったようにオリビアたちの元へと歩き出した。




