第十七章……失態
二原公園から、異様な緊張感が伝わってくるのを感じた。
一見、どこに刑事が潜んでいるか分からない。さすがベテラン、と感心しながら俺は目立たないように湯原先輩を見つけようとした。
現在、五時二十四分。遊具などで遊んでいた子供たちは、母親に連れられて続々と帰路へつき、あっという間に、子供たちの姿がなくなった。
そんな中、一人だけ不自然な様子で紙袋を抱えた女性が立っていた。あの女性の子供が、誘拐されたのか。
「おい、川原」
囁くような声が、後ろの茂みから聞こえた。湯原先輩だ。
俺は忍び足で茂みに近づいた。
「ほら、隠れろ」
言われて、俺は茂みの後ろに身を隠した。
「あと十分だ」
その言葉に、俺は頷いた。
「もう分かっていると思うが、あれが娘を誘拐された女性だ」
落ち着かない様子で立っている女性を、湯原先輩は指差した。
「いいか、一斉に飛び掛るんじゃないぞ。俺たちは、誘拐犯の逃走ルートを塞ぐんだ」
緊張で、額から流れてくる汗が止まらない。暑いせいでもあるのだろうが、それ以上に緊張のほうが大きいかもしれない。
腕時計に目をやると、時刻は五時三十二分を示していた。犯人が現れるまで、あと二分。
そう思った矢先、公園に一人の女の子が現れた。
「なんてタイミングだ」
嘆くように、湯原先輩は呟いた。あと二分で、誘拐犯が現れるというのに。あの女の子の身が危険だ。
「あの、湯原先輩」
「なんだ?」
俺が呼びかけると、湯原先輩はイラついた口調で言って、こちらに顔を向けた。
「あの女の子、どこかで見たことないですか?」
「あ?」
俺は目を凝らして、もう一度現れた女の子をよく見てみた。そうだよ。やっぱし、あの女の子だ。
「誰だよ?」
「本当に知らないんですか、湯原先輩」
俺の言葉が気に食わなかったのか、湯原先輩は俺の肩を叩いた。
「教えろよ」
「前、チラッと見たんですけど、國藤の娘ですよ」
「何?」
俺は、國藤の母親と娘が事情徴収を受けているのを、前に見かけたことがある。その時、父親を殺されてか、女の子の妙に悲しい表情が印象的だった。
今の彼女も、前に見かけた時と変わらず悲しそうな表情を浮かべている。よほど、父親が殺されたのがショックだったんだな。
「けど、この誘拐とは関係ないだろう」
「そうでしょうけど……」
言いながら、俺は國藤の娘をもう一度見た。
「あれ?」
國藤の娘に、一人の男が近づいてくるのが見えた。
「どういうことだよ」
その男の顔が確認できた途端に、腸が煮えくり返った。
國藤の娘に近づいてきたのは、大胡だったのだ。
あいつは、國藤を殺すだけじゃ飽き足らず、娘にまで手を出そうとしているのか。そうだとしたら、絶対に許せない。
今ここで、逮捕してやる。
「おい、どうしたんだよ」
俺の様子がおかしいことに気づいた湯原先輩は、心配そうに言ってきた。
「誘拐犯が現れるまで、一分を切った。準備をしろ」
くそ、どうしてこんな時にやつは現れるのだ。もしかして、全て俺をはめるための策略なのか。
「現れたぞ」
湯原先輩が、俺の肩を叩いて女性のほうを指差した。顔を向けてみると、一人の男が女性の方へ近づいていくのが見受けられた。
「あれが、誘拐犯だ」
俺がここへ呼び出されたのは、誘拐犯を捕まえるためだ。だから今、大胡のほうへ飛び出すわけには行かない。
そう言い聞かせても、やはりどうしても気になってしまう。俺は、大胡のほうへ視線を移した。少しだけなら、大丈夫だろう。
大胡は、國藤の娘に何か喋りかけている。國藤の娘は、大胡の言葉に相槌を打つだけだった。
だが次の瞬間、大胡と國藤の娘は公園の出口へと向かって歩き始めた。
まさか、殺すのか。駄目だ。そんなことはさせない。絶対に止めなくては。
その矢先、失敗は許されないと、湯原先輩の言った言葉が頭の中で反芻した。今ここで飛び出せば、誘拐犯に気づかれて作戦は失敗に終わってしまう。
駄目だ。冷静になれ。失敗してはいけないのだ。
そう自分に言い聞かせても、やはり本能は押さえつけることができなかった。ほぼ無意識の状態で、茂みを飛び出して大胡のほうへ駆けて行ったのだ。
「おい、川原!」
湯原先輩の怒声が、茂みから聞こえる。しかし、俺は止まらなかった。
「大胡!」
俺は、大胡の肩を力強く掴んだ。大胡は歩を止めて、ゆっくりとこちらに振り返った。
「おう、どうしたんだよ、健人」
大胡の口調は、白々しかった。
「こんなところで何しているんだよ?」
「お前がこれ以上罪を重ねるつもりなら、俺はお前を逮捕する」
俺の言葉で、女性に近づいていった誘拐犯の男が急いで走り出したのを、横目で捕らえた。
公園の各所で隠れていた刑事たちも、男を捕らえるために一斉に飛び出した。
「あ?」
「この子に手を出すことは、絶対に許さない」
「ちょっと、何言っているの?」
俺たちを交互に見ていた國藤の娘が、ようやく口を開いた。
「あんた、勘違いしているよ」
「由香」
大胡は、厳しい目つきを國藤の娘に向けて言った。國藤の娘は、口を閉ざして俯いた。
「たく、一体なんだよ。用がないなら、俺はもう行くぜ」
俺を一瞥してから大胡は言い、その場を立ち去ろうとした。
「おい、ちょっと待てよ」
俺の言葉などまるで耳に届かないといった様子で、あっさりと大胡は行ってしまった。
あいつは、知っていたのか。ここで、身代金の取引が行われるということ。知っていたから、俺が本能的に飛び出してくることを見越して、國藤の娘をここへ呼び出した。
「帰っちゃったよ、黒総先生」
置いてきぼりにされた國藤の娘は、ため息をついて独り言を呟いた。
「じゃあ、あたしも行くから」
俺のほうへ顔を向けて、國藤の娘は言った。
「ちょっと待って」
立ち去ろうとする國藤の娘を、俺は反射的に呼び止めた。
「少しだけ、時間いいかな?」