最後の鍵
第二章 失われた文明編
第88話 最後の鍵
前書き
扉には、
二つの意味があります。
外へ出るためのもの。
そして。
何かを、
中へ入れるためのもの。
開かなければよかった扉もあります。
けれど。
一度開いてしまった扉を、
閉じる者も必要です。
そのために作られたものを、
人は――
鍵と呼びます。
⸻
赤い眼が、一斉に開いた。
一つ。
二つ。
十。
百。
巨人の内部を覆う黒い壁。
そのすべてが、ノアを見ていた。
【敵性反応】
【全周囲】
【個体数――算出不能】
「ノア!」
ダニエルの叫びと同時だった。
黒い触手が殺到する。
ノアは床を蹴った。
直後。
立っていた場所が砕けた。
一本。
二本。
三本。
身体を捻る。
避ける。
腕で弾く。
掴む。
「――!」
引き千切る。
黒い液体が飛び散った。
しかし。
床へ落ちた触手が蠢く。
まるで生き物のように這い。
壁へ戻り。
再び繋がった。
【再生確認】
【通常破壊:効果低】
「面倒」
ノアが呟いた。
その言葉に。
ダニエルが一瞬だけ目を見開いた。
「……お前」
「そんなことも言うようになったのか」
「?」
「いや」
ダニエルは微かに笑った。
「いい」
「その方が」
「ユリアは喜ぶ」
ノアの動きが。
一瞬だけ止まる。
ユリア。
その名前。
聞きたいことは。
山ほどある。
だが。
今は。
時間がない。
⸻
『七番目』
声。
黒い壁全体から響いてくる。
『こちらへ』
「拒否」
ノアは即答した。
沈黙。
ほんの僅か。
そして。
『なぜ』
ノアは触手を一本かわす。
「行きたくない」
『理解不能』
「自分も」
ノアは拳を振り抜いた。
触手が砕ける。
「少し前まで」
「そうだった」
⸻
ダニエルが目を見開く。
向こう側の存在は。
沈黙した。
『七番目』
『お前は』
『我々のために造られた』
「違う」
『違わない』
「自分は」
ノアの胸部。
微かな光。
「ノア」
『名称に意味はない』
「ある」
『識別記号にすぎない』
「違う」
『E-07』
「ノア」
『E-07』
「ノア」
奇妙なやり取りだった。
だが。
ノアは一歩も譲らない。
名前。
昔。
ユリアがくれたもの。
そして今。
リリ。
エルナ。
ガルド。
ピップ。
ヨランダ。
ガレス。
ミナ。
たくさんの人が。
その名前を呼んだ。
名前は。
記号ではない。
ノアには。
もう分かっていた。
「自分は」
「ノアだ」
⸻
その瞬間。
黒い空間が歪んだ。
怒った。
ノアには。
そう感じられた。
感情判定機能ではない。
解析結果でもない。
ただ。
そう思った。
『ならば』
『壊す』
黒い壁が。
一斉に膨張した。
「ノア!」
ダニエルが叫ぶ。
「下だ!」
ノアは跳ぶ。
直後。
床が割れた。
巨大な顎。
歯。
いや。
歯に見える黒い結晶。
床そのものが口になった。
ノアを飲み込もうと閉じる。
空中。
回避不能。
【推進器出力】
【17%】
噴射。
身体を強引に横へ。
ガギンッ!
左脚。
結晶が掠める。
【左脚部装甲損傷】
【機動性能低下:8%】
ノアは壁へ着地。
そのまま走る。
重力方向。
無視。
黒い壁を蹴りながら。
ダニエルの方へ。
⸻
「ダニエル」
「何だ!」
「どうすれば」
「これを止められる」
ダニエルの表情が変わった。
「……」
「答えて」
「ノア」
「それを知ったら」
男は苦しそうに。
言った。
「お前は」
「ここから出られないかもしれない」
「問題ない」
「問題ある!」
初めて。
ダニエルが怒鳴った。
「問題あるんだよ!」
ノアが止まる。
ダニエルの目から。
涙が流れていた。
「お前たちは」
「そういうふうに作られた」
「命令なら」
「自分を捨てられる」
「人間が生きるためなら」
「何の疑問も持たずに」
「自分を壊せる」
ダニエルは。
ノアを睨む。
「それを」
「我々は」
「勇敢だとか」
「尊いとか」
「都合のいい言葉で呼んだ」
ノアは黙っている。
「だが違う」
「最初から」
「選択肢を与えてなかっただけだ」
⸻
四十年前。
第一門計画。
未知世界への接続。
そして。
災害。
研究者たちは。
止めようとした。
軍は。
戦わせた。
Eシリーズ。
失っても構わない兵器。
壊れたなら。
次を作ればいい。
ダニエルは。
それを見ていた。
「ユリアだけだった」
「お前たちを」
「兵器として見なかったのは」
ノアの視界に。
少女。
紙飛行機。
花。
絵本。
『ノア』
『また明日ね』
記憶。
「だから」
ダニエルは言う。
「今度は」
「お前が決めろ」
「命令じゃない」
「俺も命令しない」
「逃げてもいい」
「戦ってもいい」
「ここを捨ててもいい」
「……決める?」
「ああ」
ダニエルは笑う。
「自分でな」
⸻
ノアは。
停止した。
計算。
【選択肢】
【撤退】
生存率上昇。
【戦闘継続】
損傷拡大。
【中枢破壊】
巨人停止可能性。
【ダニエル救出】
成功率不明。
【門への干渉】
結果予測不能。
正解が。
ない。
命令も。
ない。
なら。
どうする。
ノアは。
考えた。
リリなら。
どうする。
ピップなら。
ガルドなら。
エルナなら。
ユリアなら。
違う。
ノアは。
思考を止めた。
それでは。
また誰かの答えを借りている。
「……自分は」
ダニエルを見る。
「あなたを助けたい」
ダニエルの目が。
大きく開く。
「それから」
黒い壁。
赤い眼。
向こう側。
「門を止めたい」
「理由は」
「分からない」
「でも」
ノアは。
静かに言った。
「そうしたい」
⸻
ダニエルは。
目を閉じた。
「……十分だ」
泣きながら。
笑っていた。
「それが」
「選ぶってことだ」
⸻
外部。
戦況は。
さらに悪化していた。
「右側!」
E-03が叫ぶ。
E-02の砲撃。
高速型侵食体が空中で爆散。
「処理」
E-02。
「次」
E-05が座標送信。
「北西四十二度」
「三体」
「了解」
射撃。
三発。
三体。
撃破。
だが。
数が減らない。
地面から。
建物から。
地下から。
次々と現れる。
E-06の弾薬。
【残量:31%】
E-04の演算領域。
【過負荷:73%】
E-01の盾。
【耐久:19%】
全機。
限界が近い。
⸻
『Eシリーズ』
司令部。
『最終警告』
『ただちに退避』
『五分後』
『戦術級焼却兵器を使用する』
E-03が止まった。
「……は?」
E-05が即座に解析。
「広域熱量攻撃」
「対象区域半径二・八キロ」
「命中時」
「E-07生存率」
一瞬。
「0.03%」
E-06。
「却下」
E-03が振り返る。
「おい」
「今」
「却下って言ったか?」
「言った」
「……俺たち」
「壊れてきてないか?」
E-05。
「可能性あり」
「否定しろよ!」
E-04が。
通信の向こうで。
小さく言った。
「でも」
「嫌ではない」
全員。
沈黙。
E-03。
「……」
そして。
「俺もだ」
⸻
E-01だけが。
空を見る。
五分。
時間がない。
「E-05」
「応答」
「焼却兵器」
「阻止可能か」
「司令部認証が必要」
「解除できるか」
「可能」
一拍。
「それは」
「重大な軍規違反」
E-01。
「すでに違反している」
「……」
E-03が笑った。
「隊長」
「お前まで面白くなってきたな」
「意味不明」
「そのままでいい」
⸻
研究所。
セレナはモニターを見ていた。
「五分……」
アルベルトが拳を握る。
「司令部は本気じゃ」
「でもノアが!」
「分かっておる!」
老人の声が。
震えた。
誰も。
どうすればいいか分からない。
その時。
「私が止めます」
若い声。
カイルだった。
観測士。
戦場でEシリーズを見続けていた青年。
「カイル?」
「焼却兵器の観測座標」
「こちらから送っています」
セレナが息を呑む。
「まさか」
「座標をずらせば」
「撃てません」
「そんなことをしたら」
「軍法会議じゃ!」
アルベルトが叫ぶ。
カイルの手が。
震えている。
「知ってます」
「怖いです」
「ものすごく」
それでも。
端末へ手を置く。
「でも」
彼はモニターを見る。
Eシリーズ。
傷だらけの六機。
たった一機を。
待っている。
「兵器が」
「仲間を置いて逃げないのに」
「人間の俺が」
「見捨てるんですか」
⸻
セレナは。
何も言わなかった。
そして。
隣の端末へ座った。
「認証コード」
「私のを使って」
カイルが振り向く。
「主任」
「一人でやったら」
「あなた一人の責任になるでしょう」
「……」
「二人なら」
セレナは。
ほんの少し笑った。
「共犯」
アルベルトが。
深いため息を吐く。
「まったく」
「若者というのは」
別の端末。
老人も座る。
「博士?」
「三人なら」
アルベルトは眼鏡を直した。
「もっと面倒になる」
カイルが。
思わず笑った。
「それ」
「助けになってます?」
「知らん」
老人も。
笑った。
⸻
巨人内部。
ノアとダニエル。
「門を止める方法」
ノアが問う。
「中枢接続を切る」
「場所」
「俺の下だ」
ノアが見る。
ダニエルの身体。
黒い結晶。
配線。
そのすべてが。
巨大な赤い核へ繋がっている。
「あなたも」
「接続されている」
「ああ」
「切れば」
ダニエルは。
答えない。
ノアは理解した。
「死ぬ?」
「……たぶんな」
「なら別の方法」
「ない」
「探す」
「時間がない」
「探す」
「ノア!」
「助けると言った」
ノアは。
ダニエルを見る。
「両方」
「助ける」
無茶。
非合理。
成功率。
低い。
だが。
ノアは。
もう止まらない。
ダニエルは。
呆然と。
その姿を見る。
そして。
突然。
笑い始めた。
「は」
「はは」
「ははは……!」
「?」
「いや」
涙。
「本当に」
「ユリアそっくりだ」
「自分はユリアではない」
「知ってるよ」
「でも」
「諦めが悪いところがな」
⸻
その瞬間。
赤い核が。
強く脈打った。
ドクン。
空間。
歪む。
ノアの視界。
白。
黒。
赤。
世界が。
ひっくり返る。
【空間異常】
【座標取得不能】
【警告】
【警告】
【警告】
そして。
ノアは。
見た。
⸻
巨大な。
扉。
宇宙よりも暗い空間。
星。
違う。
眼。
無数の眼。
こちらを見ている。
その中央。
人影。
銀色の長い髪。
黒い外套。
以前。
戦場を見ていた。
あの人物。
「……あなた」
人物は。
微笑んだ。
『ようやく』
『会えた』
ノアは構える。
「誰」
『名前?』
人物は。
不思議そうに首を傾げた。
『必要なのか』
「必要」
沈黙。
そして。
銀髪の存在は。
少し考えるように。
『なら』
『昔』
『お前たちが私を呼んだ名前を使おう』
ゆっくり。
口が動く。
『アベル』
ノアの内部で。
古い記録が反応した。
【検索】
【ABEL】
【第一門計画】
【機密指定】
【閲覧権限――】
ノイズ。
【閲覧禁止】
「アベル」
『そう』
銀髪の存在は笑う。
『そして』
『ノア』
初めて。
七番目ではなく。
名前で呼んだ。
『私は』
『お前を待っていた』
⸻
ノアは。
静かに問う。
「なぜ」
アベルは。
扉へ手を触れた。
『簡単だ』
『この門は』
『こちら側からでは』
『完全には開かない』
ノアの胸部。
微かな警告。
『向こう側から』
『誰かが』
『開けなければならない』
アベルの指。
ノアを指す。
『そのために』
『お前がいる』
ノアは。
答える。
「開けない」
『そう言うと思った』
アベルは。
嬉しそうだった。
『だから』
『面白い』
ノアの背後。
突然。
映像。
村。
ノアの赤いセンサーが。
大きく揺れた。
見覚えのある。
小さな家。
食卓。
エルナ。
ガルド。
そして。
リリ。
『ノア!』
笑っている。
現在の。
リリ。
「……」
ノアが。
初めて。
一歩後退した。
『お前は』
『あそこへ帰りたい』
アベルの声。
『そうだろう?』
ノアは。
答えない。
『私なら』
『帰してやれる』
村の映像。
リリが。
扉の前で。
誰かを待っている。
『ただいま』
ノアの記憶。
その言葉。
『おかえり』
返ってくる言葉。
胸部出力。
乱れる。
【感情類似反応】
【分類不能】
アベルは。
手を差し出した。
『門を』
『開け』
『そうすれば』
『家族のところへ帰れる』
⸻
ノアは。
その手を見た。
帰りたい。
それは。
否定できない。
リリに会いたい。
エルナの料理。
食べられないけれど。
また食卓に座りたい。
ガルドの。
ぶっきらぼうな声。
聞きたい。
ピップ。
うるさい。
でも。
会いたい。
帰りたい。
それは。
命令ではない。
初めて。
ノア自身が。
強く。
望んでいる。
だからこそ。
ノアは。
アベルを見る。
「一つ」
『何だ』
「質問」
『いいだろう』
「門を開けたら」
ノアは。
村の映像を見る。
「みんなは」
「どうなる」
アベルは。
微笑んだまま。
答えなかった。
その沈黙だけで。
十分だった。
⸻
ノアは。
アベルの手を見つめる。
そして。
静かに。
拳を握った。
「なら」
「帰らない」
アベルの笑顔が。
初めて。
消えた。
「家族を壊して帰るなら」
ノアは構える。
「それは」
「帰るではない」
遠い。
遠い記憶。
ユリア。
そして。
今。
リリ。
二人の少女が教えたもの。
ノアは。
まだ。
心というものを。
説明できない。
けれど。
選ぶことはできる。
「自分は」
「門を閉じる」
アベルの銀髪が。
静かに揺れた。
『……そうか』
次の瞬間。
無数の眼が。
一斉に開いた。
『ならば』
『お前の家族ごと』
『こちらへ連れて来よう』
ノアの内部で。
警告音が。
最大音量で鳴り響いた。
⸻
後書き
第88話では、ついに「向こう側の存在」に名前が与えられました。
アベル。
ただし、これが本名なのか。
人間が付けた識別名なのか。
あるいは彼自身がそう名乗っているだけなのか。
まだ分かりません。
そして重要なのは、アベルがノアを単なる兵器として欲しがっているわけではないことです。
ノアは「最後の鍵」。
第一門を完全に開くために必要な存在です。
さらに今回、ノアは非常に大きな選択をしました。
「帰れる」と言われた。
リリたちのところへ戻れる。
ノア自身、本当に帰りたい。
それでも――
家族を危険に晒してまで帰ることを拒んだ。
これは「命令への反抗」よりも大きな一歩です。
ノアが自分自身の価値観で、欲しいものを諦めてでも守りたいものを選び始めています。
一方、外ではEシリーズ六機がノアを待つために命令へ反抗。
さらにセレナ、カイル、アルベルトまで彼らを助ける側へ回りました。
兵器だったノアの変化が、
Eシリーズへ。
研究者へ。
人間へ。
少しずつ伝染しているのです。
そして次回、第89話――
「七機目を待つ者たち」
ノアがアベルと対峙する一方、外では焼却攻撃まで残りわずか。
限界を迎えるEシリーズ。
命令違反者となった研究者たち。
そして――
これまで最も命令に忠実だったE-01が、初めて仲間を守るために“嘘”をつきます。
第二章後半、ここから七機の絆をさらに深くしていきましょう。




