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REMNANT ― 廃棄予定の旧式兵器は、異世界で家族を得て心を覚える ―  作者: 和泉發仙


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第二十八話 牙と異物


【前書き】


 今回は、村の外――森での出来事になります。


 これまでノアが触れてきたのは、村の中の人間関係や、生活のための仕事でした。


 しかし、この世界には当然、村の外の危険があります。


 魔物。


 旅人。


 他種族。


 そして、まだ正体の分からない“異物”。


 本話では、ハーフリングの旅人を通して、ノアが初めて「この世界の危険」と向き合います。


 ただ戦って勝つ話ではなく、


 魔物とは何か。

 生きているものとは何か。

 壊れているものとは何か。


 その違いを、ノアが少しずつ見分け始める回です。





 森へ入る朝は、村の朝とは違っていた。


 村には、人の気配がある。


 煙突から上がる煙。

 戸を開ける音。

 桶の水が揺れる音。

 リリの声。

 エルナの足音。

 ガルドの短い返事。


 それらは、ノアにとってすでに識別可能なものになっていた。


 だが、森は違う。


 森には、同じ音がほとんどない。


 枝が折れる音も、風で葉が擦れる音も、鳥が飛び立つ音も、そのたびに形が違う。


 湿った土。

 濡れた葉。

 苔の匂い。

 遠くで流れる水音。


 それらはひとつひとつが小さく、ばらばらで、しかし全体として大きな生き物のようだった。


【環境:森林】

【視界:中】

【生体反応:多数】

【警戒:維持】


 ノアはガルドの少し後ろを歩いていた。


 村長の許可が下りたのは、夜に見た“異常な影”を確認するためだった。


 同行者はガルド。


 そして、少し後ろにトマ。


 本来ならトマは来る必要がなかった。


 だが、鍛冶場から村長のところへ道具を届ける途中で話を聞き、自分も行くと言い出したらしい。


 ガルドは最初、断った。


 しかしトマは、


「森の罠道具の場所、俺、少し分かります」


 と言った。


 村の周囲には、小動物除けや魔物避けの簡易な鳴子が設置されている。鍛冶場で作った金具が使われている箇所も多く、トマはその修理を手伝ったことがあるという。


 結果、同行が許された。


 ただし、条件付きで。


「俺より前に出るな」


「はい」


「走るな」


「はい」


「怖くなったらすぐ言え」


「……はい」


 トマは最後だけ、少し小さな声で答えた。


 ノアはそれを記録していた。


【対象:トマ】

【状態:緊張】

【同行理由:罠位置把握】


 森の入口に立った時、リリは家の前からずっとこちらを見ていた。


「ノア、気をつけてね!」


 声は明るい。


 だが、少し不安が混じっていた。


 ノアは振り返り、答えた。


「……気をつける」


「帰ってきてね!」


 その言葉で、内部の信号が小さく動いた。


【語彙:帰る】

【関連:ただいま】

【重要度:高】


「……ただいま、言う」


 リリは一瞬きょとんとして、それから笑った。


「うん!」


 エルナはその隣で静かに手を振った。


 ガルドは何も言わずに歩き出した。


 それが、この朝の出発だった。



 森の中は、思ったよりも暗かった。


 日は出ている。


 だが、葉が重なり、光を細かく砕いている。


 地面は柔らかく、足を置くたびに沈む。人間なら歩きにくい場所だが、ノアにとっては問題ない。


 問題があるとすれば、力の加減だった。


 強く踏めば、土が崩れる。

 根を踏めば、折れる。

 小さな虫や植物を潰す。


【歩行:加減適用】

【地面損傷:抑制】


 ノアは、できる限り足音を小さくした。


 ガルドが横目で見る。


「覚えてるな」


「……加減」


「そうだ」


 トマが後ろから小さく言った。


「ノアって、歩くのも練習してるんだな」


「……歩く、練習」


「俺なんか、歩くのは普通にできるけど」


 そこでトマは足を滑らせかけた。


「うわっ」


 ノアが動くより早く、ガルドが振り返る。


「足元を見ろ」


「はい……」


 トマは恥ずかしそうに俯く。


 ノアはそれを見る。


 普通にできる。


 そう言った直後に失敗する。


 人間は、言葉と行動が一致しない時がある。


 だが、それは嘘とは限らない。


【人間行動:不安定】

【分類:学習中】


 しばらく進むと、木々の間に細い縄が見えた。


 トマが小声で言う。


「あれです。鳴子」


 縄は木と木の間に張られ、小さな金具と乾いた殻が吊るされている。


 何かが触れると音が鳴る仕組みだ。


「昨日の夜、あれは鳴らなかった」


 ガルドが言う。


「つまり、あの影は別の道を通ったか、触れずに進んだ」


「魔物ならだいたい引っかかりますよね」


 トマが言う。


「小さいのじゃなければ」


 魔物。


【語彙:魔物】

【意味:未定義】


 ノアは問う。


「……魔物」


 ガルドが足を止めずに答えた。


「人や家畜に害をなす獣、または獣に近いものだ」


「……獣」


「全部が悪意で動いてるわけじゃない。腹が減れば襲う。縄張りに入れば襲う。子を守るために襲うやつもいる」


 ガルドは前方を見たまま続ける。


「だから、避けられるなら避ける。追い払えるなら追い払う。殺すしかない時は殺す」


【魔物:自然脅威】

【対応:回避/撃退/殺傷】

【判断:状況依存】


 自然脅威。


 敵意とは違う。


 命令とも違う。


 悪意とも違う。


 生きるための行動。


 ノアはそれを記録する。


 さらに森の奥へ進む。


 湿った土に、複数の足跡があった。


 ガルドがしゃがむ。


 ノアもしゃがむ。


 トマは少し離れて見ている。


「狼だ」


 ガルドが言う。


「ただの狼?」


「灰狼だ。魔物寄りだな」


 トマの声が少し硬くなる。


「群れですか」


「ああ」


 ガルドは足跡を見て、森の奥を見る。


「三……いや、五はいる」


【対象推定:グレイウルフ】

【数:五】

【脅威:中】


 ノアは周囲の音を拾う。


 葉の擦れる音。


 小さな呼吸。


 低い唸り。


 いる。


 かなり近い。


「……囲む」


 ノアが言う。


 ガルドの目が細くなる。


「分かるか」


「……音。呼吸。位置」


「トマ、下がれ」


「はい」


 トマはすぐに木の近くまで下がった。


 手には小さなナイフを持っているが、構えは頼りない。


 ガルドは槍を構える。


 ノアは動かない。


【敵対可能性:上昇】

【行動判断:待機】


 灰色の影が、茂みの向こうに見えた。


 低い姿勢。


 尖った耳。


 痩せた体ではない。


 筋肉があり、毛並みは濡れた灰のように暗い。


 目は光っているが、昨日見た異様な光ではない。


 これは生き物の目だ。


 こちらを測っている。


 距離を取っている。


 群れで位置を変えながら、弱い場所を探している。


【対象:グレイウルフ】

【状態:狩猟行動】

【連携:有】


 一匹が唸る。


 別の一匹が横へ動く。


 ガルドが低く言う。


「来るぞ」


 最初の一匹が飛び出した。


 狙いはトマだった。


 弱い個体。


 群れはそれを見ている。


 ノアは動く。


【保護対象:トマ】

【出力:制御】


 全力ではない。


 殺す必要はない。


 灰狼は生き物。


 腹が減っているだけかもしれない。


 縄張りを守っているだけかもしれない。


 ノアは腕を振る。


 直撃ではなく、横から軌道をずらす。


 灰狼の体が空中で回り、地面へ転がる。


【損傷:軽度】

【致死:回避】


 灰狼はすぐに起き上がる。


 足を引きずってはいない。


 だが、距離を取る。


 別の一匹が背後から来る。


 ガルドが槍の柄で打つ。


 刃ではない。


 柄。


 牙を弾き、肩を打つ。


 灰狼が低く鳴いて退く。


「殺すな。まだ引く」


 ガルドが言う。


「……引く」


 ノアは確認する。


 群れは迷っている。


 相手が強いと判断し始めている。


 だが、まだ完全には退かない。


 一匹が再び走る。


 今度はノアへ。


 牙。


 前脚。


 飛びかかる角度。


 ノアは避けず、前に出る。


 首を掴まない。


 骨を折らない。


 体を抱え込むように受け、地面へ押さえる。


【制圧:非致死】

【圧力:最小】


 灰狼は暴れる。


 牙がノアの外殻に当たる。


【外殻損傷:なし】


 ノアは押さえ続ける。


 殺さない。


 壊さない。


 止める。


 やがて灰狼の暴れ方が変わった。


 逃げようとしている。


【敵意:低下】

【逃走意思:発生】


 ノアは手を離す。


 灰狼はすぐに跳ね起き、群れの方へ戻った。


 ガルドが槍を構えたまま、低く声を出す。


 人間の言葉ではない。


 威嚇。


 森に響く短い声。


 灰狼たちは数歩下がり、やがて一匹ずつ茂みへ消えていった。


【戦闘:終了】

【敵群:撤退】


 トマが震えた声で言う。


「……助かった」


「……どういたしまして」


 ノアは返す。


 トマは少し笑おうとして、失敗した。


 怖かったのだろう。


 ガルドは森の奥を見たまま言う。


「今のが魔物だ」


 ノアは灰狼たちが消えた方向を見る。


「……生きている」


「ああ」


「……壊れていない」


 ガルドは少しだけノアを見た。


「そう見えるか」


「……群れ。呼吸。逃げる。痛み、避ける」


「なら、それで覚えろ」


 ガルドは槍を下ろす。


「魔物は危険だ。だが、全部が異常じゃない」


【魔物:生体】

【特徴:痛み回避/逃走/群れ行動】

【分類:生きている】


 ノアは記録する。


 生きているものは、逃げる。


 痛みを避ける。


 仲間を見る。


 群れで動く。


 壊れているものとは違う。


 その時だった。


「……待って」


 トマが小さく言った。


 声が震えている。


「今、聞こえませんでした?」


 ノアも同時に感知していた。


 声。


 人間より高い。


 近い。


 森の奥。


 助けを求める音。


【音声:微弱】

【内容推定:救助要求】


 ガルドの顔が変わる。


「行くぞ」


 三人は走らない。


 森で走れば、足元を取られる。


 だが、速度を上げる。


 木々の間を抜け、倒木を越え、ぬかるみを避ける。


 やがて、小さな空き地に出た。


 そこに、一人いた。


 小さい。


 リリよりもさらに小柄に見えるが、顔立ちは幼くない。


 大人だ。


 小さな種族。


【対象:小型亜人】

【推定:ハーフリング】

【状態:負傷/消耗】


 その人物は木の根元に倒れかけていた。


 茶色の巻き毛。

 泥に汚れた外套。

 片足に血。

 背負い袋は破れ、中身はほとんどない。


 そして、その前に二匹の灰狼がいた。


 先ほどの群れから離れた個体かもしれない。


 弱った獲物を追ってきたのだろう。


 ハーフリングは震える手で短剣を構えていた。


 しかし腕に力はない。


「……来るな……来るなよ……」


 声は掠れている。


 灰狼が一歩近づく。


 ノアは動いた。


 今度も殺さない。


 まず音を出す。


 足元の石を拾い、灰狼の前方へ投げる。


 石が地面に当たり、土が跳ねる。


 灰狼が怯む。


 ガルドが横から槍の柄を地面に打ちつけ、低く唸るような声を出す。


 トマは後ろで息を止めていた。


 ノアは前に出る。


【威嚇行動:実行】

【攻撃:未実行】


 灰狼たちはノアを見る。


 先ほどと同じ匂い、同じ強さ。


 そう判断したのか、一匹が後退する。


 もう一匹も続く。


 茂みに消えた。


【敵群:撤退】

【救助対象:生存】


 ハーフリングはしばらく短剣を構えたままだった。


 まだこちらを敵と見ている。


 当然の反応。


 ガルドは槍を下げた。


「敵じゃない」


 ハーフリングは答えない。


 目だけが動く。


 ノアを見る。


 ガルドを見る。


 トマを見る。


 またノアを見る。


「……あんたら……村の者か」


 声が震えている。


「近くの村だ」


 ガルドが答える。


「立てるか」


「……無理、かもな」


 ハーフリングは笑おうとしたが、痛みで顔を歪めた。


 ノアは負傷箇所を観測する。


【負傷:左脚裂傷】

【出血:中】

【体力:低下】


「……処置、必要」


 ノアが言うと、ハーフリングはびくっとした。


「しゃべるのか、それ」


「それじゃない」


 トマが思わず言った。


 自分でも驚いたような顔をする。


 ハーフリングもトマを見る。


「……悪い。今のは、悪かった」


 謝罪。


 状況判断。


 まだ警戒しているが、敵意だけではない。


 ガルドは布を取り出し、ハーフリングの脚に巻く。


「名前は」


「……ピップ」


「ハーフリングか」


「ああ。旅商いの一行だった」


 ピップは息を整えながら言った。


「……だった、ってのが正しいがな」


 その声に、何かが沈む。


 ガルドは手を止めずに言う。


「何があった」


 ピップは目を閉じた。


「ゴブリンだ」


 トマが息を呑む。


【語彙:ゴブリン】

【意味:未定義】


 ガルドの表情が硬くなる。


「数は」


「十はいた。いや、もっとかもしれない」


 ピップは震える息を吐いた。


「道を塞がれた。荷車を狙われた。俺たちは商人だ。護衛も二人いた。でも、足りなかった」


 言葉が途切れる。


 森の静けさが、その隙間に入り込む。


「仲間は」


 ガルドが静かに聞く。


 ピップは答えるまで時間がかかった。


「……たぶん、もういない」


【状態:喪失】

【対象:仲間】


 ノアはピップを見る。


 仲間。


 群れ。


 リリ。


 エルナ。


 ガルド。


 トマ。


 同型機。


 解体。


 失う。


【語彙:仲間】

【関連:喪失/痛み】


 ピップは続ける。


「俺だけ逃げた。荷も置いて、仲間も置いて」


「逃げたのは悪いことじゃない」


 ガルドが言う。


「生きて伝えたなら、それも仕事だ」


 ピップは笑う。


 今度の笑いは、ひどく苦い。


「そう言ってくれるなら、ありがたいね」


 ノアは言う。


「……ありがとう」


 ピップは少しだけノアを見た。


「いや、今のは俺が言う方か」


「……どういたしまして」


 トマが小さく笑った。


 緊張の中に、少しだけ空気が戻る。


 だが、すぐにノアの感知が別の反応を拾った。


【新規音:接近】

【数:不明】

【方向:北西】


 灰狼ではない。


 足音が違う。


 軽いが、不規則。


 複数。


 金属音。


 小さな笑い声のようなもの。


 ガルドも気づいた。


「ゴブリンか」


 ピップの顔が強張る。


「追ってきたのか……」


 トマが青ざめる。


「どうします」


 ガルドは短く言う。


「下がれ。ピップを守れ」


「はい」


 トマはピップのそばに回る。


 手が震えている。


 だが、逃げない。


 ノアは前に出る。


【対象:接近中】

【推定:ゴブリン】

【脅威:中】


 茂みが揺れる。


 一体、出てくる。


 小さい。


 人間の子どもほどの背丈。


 だが顔は歪み、目はぎらついている。


 手には錆びた刃物。


 後ろにさらに数体。


 全部で六。


【対象:ゴブリン】

【数:六】

【装備:粗雑武器】

【行動:追跡/攻撃意思】


 灰狼と違う。


 群れではある。


 だが、灰狼のような自然な連携ではない。


 互いを押しのけ、笑い、獲物を見る。


 痛みを避けるだろう。


 逃げることもあるだろう。


 だが、そこに悪意に近いものがある。


【分類:知性あり敵対種】

【魔物:亜種】

【悪意:推定】


 ゴブリンの一体がピップを見て甲高く笑った。


 言葉は不明。


 だが、意図は明確。


 弱った獲物を見つけた喜び。


 ノアの内部で信号が変わる。


【保護対象:ピップ/トマ/ガルド】

【敵対:確定】


 ガルドが槍を構える。


「ノア」


「……ノア」


「殺すなとは言わん。だが、無駄に壊すな」


「……加減」


「そうだ」


 ゴブリンが飛びかかる。


 ノアは動く。


 灰狼より遅い。


 だが、武器がある。


 まず刃物を持つ腕を打つ。


 骨を折らない角度。


 武器を落とす程度。


 ゴブリンが叫ぶ。


 別の個体が横から来る。


 ガルドが柄で止める。


 ノアは一体を蹴らず、押し出す。


 木に叩きつけない。


 地面へ転がす。


【制圧:非致死優先】


 だが、ゴブリンは灰狼のようにすぐには引かない。


 痛がる。


 だが、笑う。


 倒れた仲間を踏み越え、別の個体が来る。


【痛み回避:低】

【敵対継続:高】


 違う。


 灰狼と違う。


 生き物ではある。


 壊れてはいない。


 だが、引き際が違う。


 悪意がある。


【魔物分類:知性敵対型】


 ノアは動きを変える。


 武器を落とす。


 脚を払う。


 首を打たない。


 腹部への強打も避ける。


 だが、止まらない相手には少し強く。


【加減:段階調整】


 最後の一体が逃げようとした。


 ガルドは追わない。


「追うな」


 ノアは止まる。


【指示:従う】


 ゴブリンたちは倒れ、呻き、数体は這うように逃げていった。


 死んだ個体はない。


 少なくとも、ノアが観測する限り。


【戦闘:終了】

【敵:撤退/行動不能】


 トマは震えながらもピップの前に立っていた。


 ピップはノアを見ている。


 その目には恐怖があった。


 だが、灰狼を見た時とも、ゴブリンを見た時とも違う。


「……あんた」


 ピップが言う。


「何者だ」


 その問いは、これまで何度も向けられた。


 物か。


 兵器か。


 人ではないものか。


 危険か。


 ノアは答える。


「……ノア」


 ピップは息を呑む。


 そして、かすかに笑った。


「名前を聞いたんじゃなかったんだがな」


 一拍。


「でも、今はそれでいい」


【外部受容:限定】


 ガルドがピップを背負う準備をする。


「村へ戻る」


 ピップは小さく言う。


「ゴブリンの巣が近くにあるかもしれない」


「分かってる」


「荷も……仲間も……」


 ガルドは短く答える。


「今はお前が先だ」


 ピップは目を伏せる。


「……すまない」


 ノアはピップを見る。


 仲間を置いてきた。


 逃げた。


 生きている。


 伝えた。


 ガルドはそれも仕事だと言った。


【生存:情報伝達】

【価値:あり】


 帰り道、ノアは後方を歩いた。


 森の音を拾う。


 灰狼の気配は遠い。


 ゴブリンの気配も薄れている。


 だが、それとは別の音があった。


 昨日の夜に聞いたような、引きずる音。


 ほんの一瞬。


 森のさらに奥。


【未知音:再検出】

【方向:深部】


 ノアは足を止める。


 ガルドが振り返る。


「どうした」


「……別の音」


「近いか」


「……遠い」


 ガルドは少し考えた。


「今は戻る」


「……戻る」


 ピップが背中越しに呻く。


「あれは……ゴブリンじゃないのか」


 ノアは答える。


「……違う」


 ピップの顔色が変わる。


「なら、何だ」


 ノアは森の奥を見る。


 灰狼。


 生き物。


 ゴブリン。


 悪意ある魔物。


 そして。


 あの音。


 壊れているもの。


【分類】

【魔物:生きている】

【ゴブリン:敵対する生き物】

【異物:不明/壊れている】


「……分からない」


 ノアは言った。


「でも、壊れている」


 誰もすぐには答えなかった。


 森の奥で、風が動く。


 それはただの風かもしれない。


 だが、ノアにはそう聞こえなかった。



 村へ戻ると、すぐに騒ぎになった。


 負傷したハーフリング。


 ゴブリンの襲撃。


 森の魔物。


 そして、ノアが助けたという事実。


 村長が呼ばれ、エルナが治療の準備をし、ミナが布を持って走った。


 リリはピップを見て、息を呑む。


「小さい大人……?」


「ハーフリングだ」


 ガルドが言う。


 リリは真剣な顔で頷いた。


「けがしてる」


「だからエルナが見る」


 エルナはピップの脚の傷を確認する。


「深いけれど、すぐ命に関わるものではないわね」


 ピップは苦笑する。


「それはありがたい」


 ノアは少し離れて立っている。


 村人たちの視線が集まる。


 だが、今日はその中に別のものが混じっていた。


 恐怖だけではない。


 疑念だけでもない。


 ハーフリングを連れ帰った者。


 ゴブリンから救った者。


 魔物を退けた者。


【外部評価:再更新】


 リリがノアのそばへ来る。


「ノア、助けたんだね」


「……助けた」


「こわかった?」


 問い。


 ノアは処理する。


 灰狼。


 ゴブリン。


 未知音。


 リリ。


 村。


「……こわい、未定義」


 リリは少しだけ笑った。


「そっか」


 そして、続けた。


「でも、帰ってきたね」


【語彙:帰ってきた】

【関連:ただいま】


 ノアは小さく言う。


「……ただいま」


 リリが笑う。


「おかえり!」


 その声で、内部信号が安定する。


 だが、完全な安定ではない。


 森の奥の音が残っている。


 灰狼でもない。


 ゴブリンでもない。


 壊れたもの。


 異物。


 それがいる。


【脅威:未解決】


 夜。


 村長の家で、ガルドと村長が話していた。


 ノアは外で待つ。


 中の声は小さいが、拾える。


「ゴブリンだけなら対処できる」


 ガルドの声。


「問題は、ノアが言う“壊れているもの”か」


 村長。


「あれが何か分からん」


「森の奥を調べる必要があるな」


「だが、急ぐと危ない」


「分かっている」


 会話は続く。


 ノアは空を見る。


 星が出ている。


 森の方は暗い。


 その暗さの中に、分類できないものがいる。


 魔物は生きている。


 ゴブリンも生きている。


 危険でも、生きている。


 だが、あれは違う。


【異物:生体性不明】

【修復可能性:不明】


 ノアは自分の手を見る。


 灰狼を逃がした手。


 ゴブリンを止めた手。


 ピップを守った手。


 そして、いつか壊れたものを直せるかもしれない手。


「……守る」


 小さく言う。


 一拍。


「……直せるか」


 答えはない。


 だが、問いは残る。


 森の奥で、何かが動いている。


 この世界の魔物ではない何か。


 ノアの過去と、どこかで繋がるかもしれない何か。


 物語は、村の外へ広がり始めていた。







【後書き】


 今回は、初めて本格的に「魔物」を扱いました。


 グレイウルフは自然の脅威。


 ゴブリンは悪意ある知性を持つ脅威。


 そして森の奥にいる“異物”は、まだ分類不能な存在です。


 この三つを分けることで、ノアの中でも世界の見え方が少しずつ整理されていきます。


 また、新たに登場したハーフリングのピップは、今後の世界を広げる役割を持つキャラクターです。


 村の外には道があり、旅があり、他種族がいて、危険があります。


 ノアが守る対象は、少しずつ家族から村へ、村からさらに外へ広がっていきます。


 次回は、ピップから語られる「外の道」と「ゴブリン襲撃」の話。


 そして、森の異物について村がどう動くのか。


 物語はまた一段、外へ進みます。

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