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SAIGA《サイガ》  作者: 大西アキラ
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第47話 「新たな決意」

扉の無くなった出入口。


その黒い空間から。


にゅっと。


大きな掌が出て来る。


次に頭部が。


両眼は白目を剥き、口を大きく開けて唸り声を上げている。


銀色の長い髪は後頭部で束ねてあったのだが、それも解けてしまい、バサバサに乱れて広がっている。


まさしく、銀髪の獅子である。


「グルルッ・・・」


戸倉一心の唸り声が、屋上に響き渡る。


香川浩介は、スクッと立ち上がった。


「どうする気ダ・・・?」


李宗民が香川に尋ねる。


「やるしかねぇ~。このままじゃ俺達二人共~殺されるぜ~」


香川浩介は戸倉一心のいる方向に体を向けた。


(くそっ~!勝てる気がしねぇ~。だが~あの人を止めるには~やるしかねぇ~)


香川はゴクリと唾を飲む。


背中には気持ちの悪い冷や汗が流れ出ている。


「そうだナ・・・。ただ単に・・・やられるわけにはイカナイネ」


李宗民はボロボロの体を動かすと、ゆっくりと立ち上がった。


「お、お前~・・・」


香川浩介は、李宗民を驚きの表情で見た。


心身ともにボロボロのはずである。


口と鼻からは血を流し、両腕は骨折。

肋骨や内臓も損傷しているにもかかわらず、立ち上がってきたのである。


その精神力たるや、さすがは「中華の至宝」・「レッドドラゴン」と呼ばれるだけのことはある。


「な、なぜ~・・・立ち上がる~?」


香川は李宗民を見た。


「あの男を・・・このままにしておいたら・・・俺の仲間や家族の命が・・・あぶないネ・・・。だから・・・ここで、仕留めるネ・・・」


李宗民は、骨折している両腕を顔の前に出して構える。


「さすがは~レッドドラゴン~。男前じゃねぇ~か~」


香川浩介はニチャリと長い舌を出した。


「フッ・・・。こんな状況じゃ・・・笑えませんヨ」


李宗民はニコリと笑うと、戸倉一心の姿を見た。


戸倉一心は、ゆっくりと屋上の出入り口を乗り越えると、空を見上げた。


そして。


ゆっくりと頭部を下ろしてくる。


その視界に。


二つの動く物体を見付けたようである。


唸り声を上げる。


その瞬間。


地面を蹴った。


砂ぼこりがブワッと上がり。


戸倉一心の全身が躍動する。


野生の獅子が全力で走る様に、香川浩介と李宗民に狙いを定めて突進してくる。


「来るぞぉ~!」


「来るネ!」


香川浩介と李宗民が同時に叫ぶ。


戸倉一心は、体を斜めに傾けると、そのまま二人の目の前に近付く。


香川は、その位置を確認すると、すばやく右拳を放つ。


「・・・・・?!」


だが。


その攻撃は空を切った。


戸倉一心は、全速力で突進したにも関わらず、二人の前でピタリと急停止したのである。


そして、その攻撃を避けて、タイミングをずらした。


次の瞬間。


戸倉一心の体がスローモーションの如く動く。


ドパアァーーーン!


「がは・・あっ・・・!」


香川浩介の体が九の字に曲がる。


両足は地面から三十センチ程浮いている。


なんという衝撃であろうか。


戸倉一心の右拳が、香川の腹部を襲ったのである。


「あ・・・がぁ・・・」


(くそっ~!内臓を持っていかれそうだ~・・・)


香川浩介は、崩れ落ちそうになる体をなんとか堪えて、両手を伸ばして戸倉一心の右腕に掴みかかる。


「トエリヤアァーーーッ!」


李宗民は大声を上げると、腰を落として、必殺の右前蹴りを放った。


戸倉一心は、香川の両手から右腕を力で引き抜くと、その反動でぐるんと回転して、裏拳を李宗民の顔面に当てる。


バチイィィーーーン!


「あ・・・グハッ・・・!」


李宗民の頭部が後方に跳ね、体全体が後方宙返りの様に空中で回転したかと思うと、そのまま地面に背中からもんどり打つ。


戸倉一心の動きは止まらない。


李宗民の顔面に裏拳を当てた後。


下半身を跳ね上げると、左足を上空に向けて放った。


バキイィィーーーッ!


「う・・・ぐっ・・・!」


香川の顔面に膝蹴りが突き刺さる。


鼻が折れ曲がり、鮮血がほとばしる。


(勝てるわけがない~・・・)


香川は全身をブルブルと震わせると、膝から地面に倒れ込む。


(戸倉さんに~自我はねぇ~・・・殺される~・・・くそっ!)


すでに地面に倒れている李宗民を見るが、戦闘不能状態である。


「くそっ~・・・」


香川は、両手で自分の腹部を押さえて地面を見た。


黒い影が自分の上空に映り込む。


戸倉一心だ。


(終わったな~・・・)


香川浩介は、両眼をゆっくりと瞑る。


(だが~・・・この人に殺られるなら~本望だ~・・・)


香川はニヤリと笑う。


・・・。


・・・・。


・・・・・。


(ん~?!)


香川浩介は、瞑っていた両眼をゆっくりと開ける。


(どうした~?・・・なぜ~攻撃してこない~?)


香川は、恐る恐る首を上空に上げて、戸倉一心を見上げる。


「・・・・・?!」


香川浩介は、両眼を大きく見開いた。


そこには、確かに戸倉一心がいた。


しかし。


様子がおかしい。


両手で腹部を押さえて、唸っているのだ。


「グウオウゥ・・・!」


息を大きく吸ったかと思うと、体全体を大きく波打たせる。


「ど、どうしたというのだ~?!」


香川は、地面を数歩後退すると、戸倉一心の状態をまじまじと眺めた。


「アグオアァ・・・!」


戸倉一心は頭部を上空に向けると、ピタリと動きを止めた。全身をブルブルと震わせる。


「な、な、なんなのだ~一体~?!」


香川は、すばやく李宗民が倒れている方向に移動する。


「ま、まさか・・・?!」


李宗民が小さい声で話す。


「いったい~どうしたと言うのだ~?!」


香川は不思議そうな表情をして、戸倉一心を凝視する。


「俺の・・・前蹴りが・・・今頃になって効いてきたのダ・・・」


李宗民が深呼吸をして言葉を放つ。


「な、何~?!」


香川浩介は驚きの声を上げた。


だが。


そうなのである!


李宗民が、最初の頃に放ったみぞおちへの前蹴りの効果が、今頃になって現れたのである。

普通の人間なら、その前蹴りを喰らった瞬間に効果が現れて、意識を失うか、正気の沙汰ではいられない筈なのだが、戸倉一心の人間離れした肉体は、その効果さえも遅らせたのである。


「グオォウゥ・・・」


戸倉一心の内臓は悲鳴を上げていた。


李宗民の前蹴りの衝撃は、内臓全体に波紋の様に響き渡り、大きな回転と言う捩れを生んでいた。

みぞおちから伝わる振動は、胃・脾臓・肝臓・胆嚢・膵臓・大腸・小腸・虫垂など、全ての内臓器官に歪みを与えていたのである。


「オグオオォォーーーー!」


戸倉は、一際大きな声を上げると。


上半身を地面に倒す様に前に傾けた。


そして。


胃液を大量に吐き出したのである。


「どうする~?!今の内に~逃げるか~?!」


香川は李宗民に尋ねる。


「駄目ダ・・・この男をこのままにしておくと・・・俺の仲間や家族が・・・殺される・・・」


李宗民は地面に倒れたまま、静かに言う。


「俺に~倒せって言うのか~?!」


(くそっ~!チャンスなのはわかっているが~また目覚めたらどうするのだ~!)


香川浩介は、下唇を噛んで叫ぶ。


(倒すしかないのか~?戸倉さんを~?!)


香川はゴクリと鼻腔から流れ出て来る赤い血を飲み込む。


「ま、待て・・・。何か様子がおかしいゾ・・・?」


李宗民は、戸倉一心を凝視しながら言った。


香川も慌てて戸倉一心を見る。


胃液を全て吐き出した戸倉一心。


背中で大きく息をする。


「ごほっ・・・!ごほっ・・・!」


大きな咳をしたかと思うと。


上半身をゆっくりと起き上がらせる。


そして。


香川浩介と李宗民の方向に顔を向けた。


「あ~!」


香川は声を上げる。


戸倉一心の両眼は光を宿しており、先程までの恐ろしい殺気が嘘の様に消えている。


「うごっ・・・!これは・・・どうしたことですか?」


戸倉一心は腹部を両手で押さえながら、地面に尻から座り込んだ。


意識を取り戻した瞬間、とてつもない腹部の痛みが襲っていたのである。


「と~戸倉さん!正気に戻ったのですか~?!」


香川は、ふらつく足取りで戸倉の前に行くと、両肩に手を置いて揺さぶった。


「香川君・・・痛いですよ・・・」


戸倉はニコリと笑みを返す。


香川は、安心して気が抜けたのか、その場でストンと座り込む。


「負けたネ・・・」


(世の中には・・・まだまだ自分より強い人間がいるネ・・・)


李宗民は、持ち上げていた頭部を地面に下ろすと、大きな溜め息を吐いて、空を眺めた。


屋上の地面から見上げる空は、とてつもなく広かった。


(自分も・・・まだまだ未熟だったと言うことだネ・・・)


李宗民は両眼を閉じると、フフフと笑った。


負けたのに、悔しさは無かった。


いや。


あれほどの力の差を見せ付けられたら、笑うしかないのだ。


そして。


李宗民は思った。


俺はまだまだ強くなれる、と。


いや。


強くならなくてはいけないのだ。


なぜなら、自分の大切な家族や仲間を守る為には。




香川浩介は、戸倉一心の身に起こった、先程の一部始終を事細かに説明する。


「なるほど・・・そうですか」


(ついに・・・私の心に巣喰う悪魔が解放されたのですね・・・)


戸倉一心は両拳を強く握った。


四十年間、自分の意志で縛り付けていた悪魔を解放できた喜び。


だが、それとは反面に、その悪魔を制御できなかった自分自身に怒りを覚えていた。


(しかし・・・なんということですか・・・)


(初めて自分の本当の力を解放したのに・・・自我を保てなかったとは・・・)


今回はたまたま、李宗民の攻撃が功を無し、なんとか正気を取り戻すことができたが、できなければどうなっていたのだろうか。


ギチッ。


心に巣食う悪魔を縛り付けている鎖が鳴る。


ギチッ。


この悪魔を制御することができるのか?


ギチッ。


いや、制御しなくてはなるまい。


自我を失ったままの本当の力など、自分自身の本当の力ではないからだ。


ギチッ。


次こそは、自我を保ってみせよう。


戸倉一心は心に誓った。


「さぁ、行きましょうか」


戸倉一心は、ゆっくりと立ち上がると、屋上の出入り口に向かって歩き出した。香川浩介も、その後に付いて行く。


屋上の地面には、戸倉一心がかけていた金色のメガネが、眩しい太陽の光を浴びて、キラキラと輝いていた。

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