1−3 『証明』
「住野は、なんでノートを見捨てたんだ? 悪いとは思ってるけど、ノートを見つけた時、俺も少し中身を見てしまったんだ。大事なノートなんだって、一目でわかった。
俺にとってのその手帳と同じだ。買い換えればいいとか、そういうものじゃないだろ?」
前のめりになって、つい、責めるような口調になってしまう。実際、心も穏やかではない。
あれだけの情熱を込めたノートを、住野千秋はあっさり見捨てた。なんでだ、どうしてだ。
ここに至って、秀一は気付く。
俺は、住野千秋に『情熱』の価値を否定されたと感じて、それに憤っているのだと。
そんな感情の発露を真正面から受けて、彼女は、自嘲するように笑った。
「そこまで同じで、私の様子もしっかり見てたなら、分かるでしょ」
そう言って、睨むように目を尖らせる。
「つまり、ノートを失うことよりも、漫画を描いていることを知られることの方が嫌だったと?」
「そういうこと」
秀一の胸中に暗澹たる思いが渦を巻く。あのノートに刺激を受けた者として、それを軽んじられるのは気分の良いものではなかった。
大切なものならもっと大切にしろよ、と叫びたくなった。
「なんで」
そう短く口にするのが精一杯だった。
「なんでって…………そうだなー、やっぱり、似合わないからかな」
「似合わないって」
「私は、吉野くんの言う人気者ってやつだからさ、そういう、本気ってやつ、似合わないの」
「そんなことで」
「だったら! 最初に吉野くんが私のノートを見たとき、どう思った? 似合わないって思ったんじゃないの? 思わなかった、ってハッキリ言える?」
住野千秋の口調が、捲したてるようなものに変わる。似合う、似合わないといったものが、そんなに大きなものなのか、秀一にはわからない。
しかし、秀一は黙るほかなかった。似合わないとは当然思ったし、どころか、ノートが住野千秋のものであるということさえ疑っていたのだから。
「ほら。ほとんど関わりのなかった吉野くんでさえ、そう思う。それが私のイメージなんだよ」
黙りこくる秀一に、彼女は続けた。
「誰にも言ってないことだけど、私って実は、人気者になりたくてそれっぽく振舞ってるだけなんだ。始まりは中学の頃かな。小学校の頃から漫画ばっかり描いてて、友達ができなかった。一緒に遊ぼうともしなかったんだから、今思えば当然なんだけど、根暗とか言われてた。それが嫌になったんだよ。
で、一度始めたら、元に戻れなくなった。癖になっちゃったんだ。自然と、周りにはそういう友達が集まるし、まあ、戻りたいとも思わなかったんだけどさ。
とにかく、私は、思ったよりも人気者の才能があったんだよ」
自分で言うのもアレだけどねとはにかむ姿は、誰から見ても可愛らしく映るのだろう。しかし、秀一には、どこか空虚なものであるように思えた。
「じゃあ、なおさら、私のですって言っちゃえばいいだろ。クラスメートにも漫画は好評だったみたいだし、人気者と漫画の兼業も不可能じゃない」
励ますようなつもりで言葉を紡いだ。そのせいか、妙に前向きなことを言ってしまう。自分でも、似合わないと思った。
「無理だよ」
「無理じゃない」
が、適当にでまかせを言ったわけでもない。秀一は、住野千秋が今まで積み上げてきたものを考えて、本当に不可能じゃないとも思っていた。確かに、彼女には、人気者の才能があるのだ。
しかし、彼女は頑なに認めようとはしなかった。何故、と問うと、
「私は、吉野くんが思っているよりもずっと、自分の漫画に自信がないの。
そうしたら、確かにみんな、私の前ではいい言葉をかけてくれるかもしれない。でも、絶対に、本心では似合わないって思ってるの。なに一生懸命になってるんだって。
私の漫画には、私のイメージを変えるほどの力はないんだよ」
と、泣きそうな顔で返ってくる。
確かに、自信の欠片もない表情だった。
秀一の腹の辺りがカッと熱くなる。燃えているようだったが、違う。これは怒りだ。あの時と同等の怒りが、秀一から冷静な思考を奪い去ろうとしている。
しかし、これはチャンスだ。赤く染まりかけている視界を懸命に抑えて、秀一は頭を回す。俺はなぜ怒っているのか。これはどういった感情なのか。
もともとそれが目的でもあったので、なんとか、頭が回る。
そして、一つの言葉に思い至った。
自信がない、と彼女は言った。
様子から見ても、それが事実なのは明らかだ。そこに、秀一の怒りの根元がある。
「ははっ、そうだったんだ。…………我ながら格好悪いなぁ」
思わず、呟いてしまう。
秀一は、住野千秋が目障りだったのだ。
上手くなれば、自信も付く。だから、いろいろ考えるよりもまず、上手くなろう。それが秀一の考えだった。
しかし、住野千秋は、実力は相当の高みにいるのにも関わらず、自信がない。
不安になるんだよ、お前みたいなのがいると。
自分のやってることが正しいのか、わからなくなるんだ。
だから、腹が立つんだ。
思えば、『自分の作品に納得したことはない』と言ってのけた有名作家が大嫌いなのも、同じ理由からかもしれない。
正しいとは言えない感情だというのは、自分が一番わかっている。
だがそもそも、感情に正しさなど必要ないのだ。正しさなんてもの、押し付けられるのは理性だけで充分だと、秀一は思う。
…………もう知りたいことは知れたし、我慢しなくてもいいよな。
秀一の中の正しくない感情は、行き場を失って暴れている。気を抜くと、すぐにでも爆発しそうな予感があった。
住野千秋の顔を見る。目が潤んでいて、長い睫毛が装飾品のように際立っていた。そして、その人気者の面は、秀一を爆発させるのに事足りていた。
「なあ、住野。俺は、実力も何もお前には敵わないけど、絶対、お前みたいにはならない。
似てるとか思ってたけどやっぱり、お前と俺は全然違う。いいや、ハッキリ言わせてもらうけど、一緒にするな、が正しい」
言葉にして発散しているはずなのに、何故か、口を開く毎に感情は増幅されていく。
目を閉じてしまっているのは、秀一の中に、申し訳ないという思いがあるからだ。ただ、その瞼の裏からでも、住野千秋の表情は容易に想像できた。
どうせ、人気者が分かりやすく同情を求める時の表情をしているのだろう。
そう思うと、止まらなくなった。
「俺は、お前みたいな事態に陥っても手帳を優先するし、人気者になんかなりたくもない。そんなもの、いい小説を書けば勝手になれるだろうしな」
明日は終業式の日。そして放送の最終日。
ドリームワールドでの、響子との会話が脳裏に蘇った。
俺、響子。二人の願いが叶って、一石二鳥じゃないか。
秀一は、目を充血させながら、みっともなく喚き続ける。
実力もないのに、言うことは一人前だ。
でも、今はそれで構わない。どうして今まで怖がっていたんだろう。
小説なんて、自信がなくて書けるわけがないじゃないか。心の中で弁護しながら、今までの自分の小ささを住野千秋に押し付けながら。
いいか!
明日!
俺がお前なんかとは違うってことを!
証明してやる!
▲
自分勝手な方法で、一方的に敵視して、一方的に決めつけて、一方的に叩きのめしてやる。
俺はお前なんかには負けない。いや、俺とお前とでは勝負にすらなっていない。
それを証明するのに、努力なんて必要ない。
ただ、それっぽいことを真似してみるだけだ。
住野千秋。お前が人気者を辞められなくなったように、俺が、自信家を辞められなくなる儀式を、明日勝手に執り行う。
お前は何も言わなくていい。何も感じなくていい。
思えば、昔から俺には完璧主義なところがあった。自分で目標を決めて、勝手に満足して、そうやって生きてきた。
…………昔から、自己満足の素晴らしさは知っていたはずなのにな。
ということで、いいよ。
ここはひとつ初心に帰って、レッツゴー、自己満足だ。
感想等お待ちしております。




