3−4 『相談』
コンビニに行って、アイスを買い、帰宅。そして、今日もランニングへと出発する。
響子のお陰もあり、モヤモヤは胸の中の目立たない位置まで押し込まれてはいるが、完全に消えて無くなった訳ではない。
小さな炎が、風が吹いた途端に燃え広がるような、そんな不安定さがある。今は風が吹いていないだけだ。
そこまで自覚はしていて、あえて、秀一は自分の行動は変えない。
それは、考え事をするのにランニング中の空気が合っているように思ったからだ。さらに言えば、二日目にして休みを入れるのは癪だった。
これから長く続けていくつもりの事を早々に休んでいては、流れが失われるし、本当に続けられるのか? と余計に不安になってしまう。そう考えると、どんな理由があれ、やると決めたことは連続してやっておいた方がいい。継続のコツは、継続だ。
それに、これくらいのことが続けられない人間が、小説を書き続けることができるとは思えなかった。
田畑の間を縫うように抜けて、ホームセンター、河口付近と、昨日と同じルートをなぞる。
昨日と違うのは、今日の秀一が、周囲の景色よりももっと遠くを眺めていることだろう。
河口のあたりでは、海の向こう、微かに見える緑の島を。畦道では、街を西側から囲むように聳えている山々を、眺めながら走っている。
綺麗な、心の落ち着く景色に不足しないところが、この田舎町の長所だ。緑も多く、海もあり、どこまでも意識の根を伸ばしていけそうな、そんな風景だ。
腕を振る、足を出す、トン、トン、トン。ランニングのテンポも、なんとなく落ち着きを与えてくれているような気がした。
堤防の横を沿って走る。今日は、少し遅い時間になってしまったからか、ランニングの人数も多い。昨日は見なかったが、釣竿を伸ばしている人も見かける。
息が震えて、掠れるような音が鳴る。その音を引き連れて、国道下を通る、小さなトンネルをくぐる。少し先に、『安井屋』の看板が見えた。
駆け寄って店先で止まり、軽く息を整えてから、ガラガラと立て付けの悪い扉を開けて、入る。カウンターには、当然、あの老婆がいる。何年この店を営んでいるのか分からないが、その姿はあまりにも店に馴染んでいた。
失礼ではあるが、置物みたいだなと秀一は思った。
が、すぐさま、それは間違いであると証明するかのように、老婆が片手を上げてクシャっと笑った。
「いらっしゃい」と迎え入れてくれる。
秀一は、軽く頭を下げて、棚からジュースを取ってきて、カウンターに置いた。
老婆はそれを受け取って、「ピッ」とバーコードを読み取り、「ええと……」と皺だらけの指を小さく動かす。
「一三〇円だね」
指が止まって、一瞬ハッとした顔をした後、老婆が言う。バーコード読み取った意味あるのかなと、秀一は疑問に思った。とりあえず、お金を取り出して、金皿に置いた。
「何か、嫌なことでもあったのかい?」ポツリと、老婆が言った。
「え?」
秀一の動きが止まる。体が無意識に固まってしまっていた。
なぜ? と思う。周囲の人に勘付かれない程度には、うまく感情を抑えることができているつもりだった。
つい、反射的に、老婆の目を見つめてしまう。透明で潤んでいる、老人特有の瞳が、まるで内心を見透かしているかのように、秀一を見つめている。瞬きをすると、目が皺に埋もれていくみたいだ。
「そりゃあ、分かるよ。私が、一体どれだけの間、ここでこうして、子供らの面倒を見てきたと思う? それはそれは、長い間、そうしてきたよ」
自分の観察眼には、割と自信があるんだ、と老婆は笑った。
老人の長所は、笑顔に嫌味を感じられないところだ。
秀一とて、冷静な目で心中を暴かれるのは、いい気はしない。しかし、その笑顔はスッと、心に入り込んでくる。生気が薄れて、笑顔にエネルギーを割く余裕がなくなったからなのかもしれない。余分な感情、すなわち、他意が感じ取れない。
誰かに似ている、と視線を斜めに傾けて、秀一は思う。
すぐに、響子の叔父に似ているのだと分かった。未だ若いにも関わらず、イメージがこの老婆に重なるのは、彼にとって、良いことなのか悪いことなのか。
ただ、秀一にとっては、間違いようもなく、それは『良いこと』であった。
一瞬にして、この老婆が、好ましく見える。人が人を好きになる理由なんて、好きな人に似ているから、で十分なのだ。
「なるほど、それで、僕のことが分かったんですね」
「ああそうさ。今は寂れちゃあいるが、ここは昔、近所の子供の溜まり場みたいになっててね、いつもいつも眺めていれば、わかるようにもなる。
悩み事は私に相談しにくるのが決まりになっているようなグループだって、あったんだよ」
老婆は遠い目をして言う。一目見て、昔を懐かしんでいるんだな、とわかるような目だった。
老人というのは、自身に話ができる機会ができれば、途端に饒舌になるものだ。特に、昔の話は長く、熱の篭ったものになる。その例にもれず、老婆の口も、よく回った。
それは、秀一には、若者が夢について語る姿と重なって見えた。
若者の夢は未来で、老人の夢は過去だ。
「僕は子供に見えますか」
秀一は高校生である。おそらく、この店に来ていたような『子供たち』と比べると、かなり年上に当たるはずだ。そう思って、尋ねてみる。
「私からすれば、三十代くらいまではまだまだ、手のかかる年齢だよ。中には変わった子もいるがね、そんなのはほんの一握りさ」
そして、時計をちらと見た後、「それは置いといて」と話題を変えた。
「どうだい? 私も、占い師じゃないから分からないこともあるけれど、話くらいは聞いてあげられるよ。
……思えば昔も、こんな気持ちで相談に乗ったのがきっかけで、相談所をする羽目になったんだっけね」
秀一はたちまち、この老婆に全てを話してしまいたい衝動に駆られた。
この感情の正体について、この老婆はきっと知っている。それで全て解決というわけではないが、そもそも、自分は何かを解決したいのか? どうにも違っている気がした。
さらに言えば、彼女は響子の叔父にどこか似ている。どこか、と言っても、どちらともそこまで深い繋がりが無い以上、雰囲気、という他は無いのだろうが、とにかく、似ている。
それだけでも、信頼に値すると秀一は思った。
ただ、大人に頼って理解した気になって、はいお終い、で良いのだろうかとも思う。
きっと、人生経験の長い大人たちに頼れば、分かりやすい答えを提示してくれるのだろう。
でも、それで良いのか?
「いえ、もうちょっと、自分で考えてみようと思います」
気付けば、秀一はそう告げていた。
意地もあった。安易に人に頼って得た答えでは、自分が納得できないと思った。良いのか悪いのか、またしても秀一の性質が出た形だ。
「それでも、どうしてもって時は、ヒントくらいは頂きに来るかもしれません」
「だから、答えもヒントも出せるとは限らないよ」
「多分、安井さんなら、簡単に分かっちゃうと思います。そんな気がします」
店の看板を思い出して、「安井さん」と言った。
安井さんは秀一を見て、奇妙な顔をする。
「それなら、ちゃちゃっと聞いちまえばいいのに、意地っ張りな子だねぇ」
きっと彼女は、秀一の相談に乗りたかったのだろう。表情が、残念そうな色に変わっている。その分かりやすい表情の変化は、まるで子供のようだった。
なるほど、年を取っても案外、変わらないのかもしれない。秀一は、早くも、先の安井さんの言葉に納得しかけてしまった。
「意地っ張りは、いいよ。弱虫泣き虫よりは、よっぽど好きだ」
安井さんが、カラカラと笑った。
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