アリシアの好奇心
部屋を出て通路を歩いていると、警護の為にアリシアの前を歩くアボットが訊ねてきた。
「この後、アリシア様はどうなされるのです?」
「そうねぇ……」
少し考えてみたが、侍女達は皆階下で忙しなく働いている上、順に仮眠を取らせなければならない。となると、アリシアは夕食時まで一人で過ごさなければならない。
昨夜遅くからではあったが、しっかりと睡眠を取ったアリシアは、仮眠を取ろうにも眠れそうにも無い。
誰か適当な相手を、と考えても艦の中には男性ばかりで、アリシアの相手をしてくれそうな人物は目の前のアボットとマティアスくらいだろうか。
クリストファーが不在で、ジェフリーも彼の側を離れられない今、二人の仕事は増えているはずだ。そんな彼らに自分の相手をさせるのは気がひけるが、かと言って夕刻まで一人で時間を潰すには艦の中には娯楽と呼べる物は何も無かった。
あと相手をしてくれそうな人物は――。
「瑞蛉殿下の様子を見に行ってみるわ」
アリシアが、にこりと笑ってアボットに伝えると、アリシアを見下ろしていたアボットも微笑み返してきた。
自分達は相手が出来ないが、アリシアを一人で置いておく訳にもいかない。
瑞蛉の部屋ならば、怜蜂が一緒に居るので、彼等がアリシアの相手をしてくれるのは有り難いのだろう。
「そろそろ目を覚まされる頃だと思うから」
瑞蛉の体調も気になる。
熱さえ下がれば問題は無いはずだが、もし万が一目を覚まさない時は、最初の診断を誤った可能性がある。
太医も付きっきりで様子を診ているはずだから、それは無いと思いたいがやはり心配ではあった。
昨夜の奇襲があるので、怜蜂が嫌がる可能性もあるが、駄目な時は大人しく部屋から外の景色でも眺めていよう。
後宮に入ってしまえば、この雄大な景色ももう見ることは叶わないかも知れない。景色だけだが、国が違えば生活様式が違うようにこうまで違うものかと、趣の全く違う景色が流れていくのを見るだけでもアリシアを楽しませてくれるだろう。
そんな事を考えながら甲板まで上がってくれば、気づかなかったが朱河に入っていたらしい。河幅が狭くなっている事に気付いた。
大きな岩が両側から迫り出しており、狭いと言っても公国から一緒にやってきた護衛艦でも余裕で併走出来そうな幅がある。
だが、並走していたはずの四番艦の姿が見えず、アリシアはキョロキョロと辺りを見回してみた。
アリシアの動きにアボットも、四番艦を探して辺りを見回して自分達の艦の少し後に付いて航行する艦を見つけた。
渡し板を外した後、アリシア達が乗っている二番艦の少し後方を航行していたようだ。
これには理由があった。船を併走させるには、それなりに技術が必要である。
同じ速度で航行し、船体同士がぶつからないように適度な距離を取り、そして同じタイミングで舵を切らねばならない。
そんな芸当を一朝一夕で身につけられるはずもない。
セントパルミアの海軍が海上で敵無しと呼ばれる所以は、そんな細かな芸当が出来てこそだった。
それもアボットのような平民出身者にも広く門戸を開いているから為せる事なのだ。
こんな事は、貴族達に傅かれているだけの王には考えもつかないだろう。
ならば、誰の指示かーー勿論マリア・セシリアしか居ない。
公国に居ると、軍事に関してだけでなく、あらゆる場所にマリア・セシリアの痕跡を見る事が出来る。
――この高速艇も、大叔母様の命令で研究開発されたものだし――
セントパルミア公国は、歴代マリア・セシリア達が積み重ねてきた功績の上に成り立っている国だった。反対に、マリア・セシリアが居るから、いつしか国王達は何もしなくなっていったのかもしれない。
「申し訳ありません。多分、司令官代理殿の判断だと思います」
この言葉から、アボットの命では無いことが伺えるが、戦闘中という訳でも無いので気にするほどの事では無い。
広い海上であれば、船体同士がぶつからないようにだけ気を配ればいいが、河川であれば更に両側の河幅も配慮しなければならないのだ。
必要も無いのに、兵達を疲弊させるのは無駄だとマティアスが判断したのだろう。
珍しくきちんと仕事をしているらしい。
しかし、困ったーーアリシアの今の部屋は四番艦にあるのだ。
そして、怜蜂が相手をしてくれなかった場合、自室に戻る積りでもあったので渡し板がなければ移る事も出来ない。
何度も板を渡してもらうのも気が引ける。
ここは、侍女達も待って一緒に移った方がいいのだろうか……アリシアが、少し考えていると、四番艦の舳先にやって来る人影が見えた。
「……怜蜂殿下と鈺鋭殿?」
「艦の探索でしょうか?」
アリシアを見下ろすようにして顔を向けたアボットの言葉に、彼を見上げたアリシアの視線が合うと、二人とも険しい表情になった。
あまり艦内を彷徨かれては困るのだが――見られたく無い物は、全部移動させ一箇所に詰め込んで見張りも立ててはあるが、それでも他国の皇子に強く命じられれば断りきれないだろう。
侍女達を待っている時間は無さそうだ。上手く部屋に戻るよう誘導しなければ……。
アリシアが歩き始めようと、ドレスの裾から小さな靴先を見せた時、四番艦の舳先近くで怜蜂が自分の右腕を高く空へと伸ばすのが見えた。
その後で控えている鈺鋭は動かず、ただ同じように空を見上げている。
アリシアが、側へ寄ろうと思って進めた爪先をその場に留めて彼ら見守っていると、怜蜂の足元に時折動くものが見えた。
「あれは……何かの……影?」
艦の上を旋回しているのか、大きな円を描くように動き回っている。
そしてそれは、次第に描く円が小さくなってきたかと思うと、怜蜂が掲げていた右腕に上手に大きな羽ばたきを繰り返しながら留まった。
――なんて大きな……綺麗な鷲!!――
「見事な鷹ですな」
背後から感嘆の声を漏らすアボットに、思わず振り返った。
「鷹なの?鷲じゃなくて?」
「ええ、鷹ですよ。羽に特徴的な縞模様があります」
鷹と鷲は、基本的に大きさが大きいものが鷲と呼ばれている。
だから、アリシアも大きさから鷲だと判断したのだが、アボット曰く鷲には無い模様があるから鷹である、という。
「でも……」
「大きさだけで言えば雄鷲より少し小さいくらいでしょうか。多分、雌の鷹だと思いますが……」
アリシアが間違えたもの無理はない。
標準的な鷹の大きさを優に超えているのだ。
鷲は、雄よりも雌の方が大きい。
そして、怜蜂の腕に留まっている鳥は、羽を広げていれば瑞蛉より少し小さいくらいに見えるのだ。
そんな大きさの鷹など見たことが無いアリシアにすれば、あれを鷲だと判断してもおかしくはなかった。
ここまで好奇心を顕にする姫も珍しいが、何にも関心を示さないよりかはずっといい。
そして、普通の姫君達が興味を示す宝石やドレスなどより、知識欲が旺盛であるという事は民にとっては嬉しい限りだ。
散財して、国庫を食い潰される恐れは少なくなるし、その知識はいずれ何かの役に立つからだ。
まぁ、世界中から珍しい書物を掻き集めたという王も居るから、どちらがいいかは分からないが、目の前のアリシアだけを見れば、そんな愚かな事をするようには見えない。
そしてその王女殿下は、既に怜蜂殿下の腕の鷹が気になって仕方が無いのか、ソワソワと落ち着き無く鳥を観察するのに夢中で、他人の目など気にもしていないか……。
横に居るアボットは、面白いものを見るようにそれを見ていたが、紅い口唇を興奮にムズムズと動かしているアリシアにとうとう言葉を発した。
「渡し板を架けましょう」
「いいの?」
ぐるん、と音が聞こえそうなほどの勢いで振り向いたアリシアに、「ええ」と答えたアボットだが、笑いを堪えるのに必死だったのは、アリシアの瞳を見るまでだった。
彼女の宝石のような瞳は、中天より傾き始めた陽の光を反射してその都度、色んな色に変化してみせた。
そして、その好奇心にキラキラと瞳を輝かせる彼女の目は、左右で色が違って見える。
――これは……、皇子達に分別があることを願うしかないか……――
光りを反射すると、色とりどりの宝石のように輝く瞳だと思っていたが、見る角度や光の入り具合で左右違う色に見えるなど、世界中を航海してきたアボットでも見た事も聞いたことも無かった。
だが、このような貴重なものを手に入れ、自分だけの物にしたいと考えるのは、どこの国の王侯貴族でも同じだというのは、嫌というほど見て来た。
嫌な予感しかしない……そして嫌な予感ほど当たるものだ。
この姫が元で、大蜃皇国が割れるような諍いが起こらぬ事だけを願うばかりだ、とアボットが真剣にアリシアの行く末を心配しているのを他所に、陽光の下で輝く瞳は怜蜂の腕に留まる鷹しか見ていなかった。




