内緒話-1-
ほぅっと大きく息を吐いたアリシアは、肌の上を滑り落ちる湯を見つめていると、メイヤー夫人が昨夜の事を説明し始めた。
「クーパー船長ですが」
「そうそう、どんな様子?」
「昨夜、姫様達が部屋を出た後、暫く反応がありませんでしたが、イーディス卿の脈が確認出来たあたりで普段通り落ち着きを取り戻されました」
アリシアはクリストファーが倒れた時に、メイヤー夫人にイーディス卿の脈と脈との間隔が大きく、そして微かに脈打つ事を伝えておいた。
アボットは、クリストファーが眠って直ぐに首筋の大きな血管に触れたので脈が止まったと勘違いしたが、集中して数分間触れ続けていれば脈拍があることに気付いただろう。
だが、そんなに長い時間脈を確認すること等無いと踏んでいたのと、ジェフリーの取り乱し様に騙された形となった。
「皇都では、クーパー船長は屋敷から遠ざけておいた方が良いかしら……」
あの演技をもう一度見せてくれたなら、皇国側の不満を零す廷臣達を一瞬で黙らせる事が出来るのだろうが。
あれは演技ではなかった。だからマティアスと何よりアボットを騙し遂せたのだ。
それは後で様子を見に行ってからでも考えよう。
それよりも――。
「それよりも問題なのは、私達の方なのよねえ……」
「我々ですか?」
「どのような問題が?」
不思議そうに首を傾げる侍女達に、アリシアは、昨夜の怜蜂との会談内容を三人に話し始めた。
「艦から邸宅へ入るまでの打ち合わせは、アボット卿と綿密に打ち合わせをした方がよろしいかと」
話を聞き終わったメイヤー夫人が、口を開くとそう言った。
粗方の話は分かった。次は、それに対する行動を練り上げなければならない。それには、ジェフリーとアボットが不可欠なのだが、アボットは兎も角、ジェフリーは使い物になるのか不安が拭えない。
ならば、もう片方、アボットとだけでもきちんと話を詰めておいた方がいいと判断したのだろう。
マティアスには、この後も行き当たりばったりで動いてもらう方がいいと言うのは、全員一致の意見だろうから、最初から話しに上ることもなかった。
「そうね、容態が急変した事にしなければならないから、艦から馬車に移すまでが問題ね」
「その後は、簡単でしょう。我等が皇国側の女官や侍従達が手が付けられないほど、嘆いてみせればよろしいのでしょう?」
「そう、皇国側が手を焼くほど、ヒステリックに。重臣達を宮廷から引っ張り出して、その目の前で禄蝉殿下と申州を罰せよ!と喚き散らして、……怜蜂殿下の元へ、助けを求めるように仕向けないといけないのだけれど……」
ヒステリックに泣き叫ぶ演技……身近にそんな感情的な女性は居なかったので、想像するのが難しいのだけれど、とアリシアが瞳を瞑り、「う〜ん」と悩み始めると、それを見ていた三人の声が綺麗に揃った。
「王妃様ですよ」
ああ!とアリシアは、特徴的な瞳を大きく見開いて納得がいった表情をしてみせた。
忘れていた。そうだった、あの人は自分の思い通りにならなければ泣いたり叫んだり、侍女達に当たり散らしたりと手が付けられないほど癇癪を起こしていたのだった。
アリシアは、母親に好かれてはいなかったので、あまり彼女の側近くに居る事が少なかった。
それに、王妃が暴れていたとしても、アリシアが良く忍び込んでいた図書室は、防火用の分厚い壁に囲われているので、外の喧騒は聞こえてくる事は無かったというのもある。
だから忘れていたというよりも、記憶にないといった方が正しいのかもしれないが。
「それよりも!彩蝣殿下にお輿入れしても、数年で瑞蛉殿下へと代替わりが予定されていると?」
「そうみたい。私達は、滞りなく帝位が瑞蛉殿下へと渡るように、後宮で立ち回ることになるわ」
興奮しているのか、少し高い声で話すマルグリットに、アリシアは落ち着いて言葉を返す。
だが、そうでは無い、とイングリットの声が被さってきた。
「それでは、姫様のお立場は!?」
「姫様は、マリア・セシリア様になられるお方ですよ!」
イングリットの声を追いかけるように、マルグリットも声高に言い募ってきた。
セントパルミアには帰れないのだ。
普通の姫であれば、父親よりも年上の王や有力貴族に輿入れという事は良くある話だ。そして、婚約中に当の結婚相手が亡くなり、息子へと相手が変わることなども、頻繁ではないが普通にある話だった。逆に王子が先に亡くなってしまったために、王に急遽相手が変わった幼い姫なども居たりする。
だがアリシアは、次代のマリア・セシリアだったのだ。
決して自国を出ることも、他国に嫁ぐことも禁じられた特別な姫であった。
相手が歳若い皇子に変わったことは、良かった。だが、その皇子は余命僅かな上、アリシアの身分の保証も無いまま、次の帝位継承者の話をしてくるなど、馬鹿にされていると双子達は憤慨しているのだ。
「例え、後宮第二位の貴妃様に封じられるとは言え、公妾です!」
一夫一婦制の西側でも、男児にしか王位継承権の無い国も数多くある。
そのような国では、王妃が子供、特に男児を産めなかった場合、王に限り"公妾"という大臣達にも認められた愛妾を持つ事が許されていた。
この公妾が生んだ子供は、王が実子であるという宣言をしなければ、王の子としては認められることは無いが、実子と認めた男児には、王位継承権を有する嫡子と同じ扱いとなった。
だが、公妾が生んだ男児の後に王妃が男児を産めば、勿論王妃の子供が正当な嫡子として、どんなに幼くとも王位継承第一位となるのだった。
一夫一婦制で、しかも女児にも王位継承権のある公国と、一夫多妻が普通の皇国とでは、文化の相違と一言で片付けてしまう事が、双子達には納得出来ないのだろう。
それは、彼女達の目尻に悔し涙が浮かんでいることからも伺える。
「二人とも落ち着いて。天帝の妃嬪は、全て"妃"よ、全員王妃と同じ」
「いいえ、皇后以外は全て公妾と同じです!!」
アリシアの言葉を遮り、叫ぶように言い切ったマルグリットの台詞に、イングリットが感極まったかのように泣き始めた。
「姫様は、マリア・セシリア様なのです!王妃様よりも高位なんです!!」
「それが大国とは言え、東の果ての皇国に嫁ぐなんて……本来なら皇后として迎えられるべきなのに、それが貴妃であろうと……公妾なんて、バカにし過ぎです!!」
終にポロポロと子供のように涙を零しながら叫ぶ二人に、メイヤー夫人も困り果てているのが、双子の向こうに見える。
だがアリシアは、泣きながら自分の肌や髪を洗い流す双子を困ったように見つめると、優しく微笑み掛けた。
「マルグリット・バークレイ、イングリット・バークレイ……」
その声に顔を上げた二人は、優しく微笑んでいる口元とは裏腹に、冷たい光を湛える宝石のような瞳に射抜かれ、知らず身体が強張った。
「お前達にもう一度問うわ、――私は誰?」




