夜半(よわ)の訪問-3-
ここまでの会話で何を思いついたのか、怜蜂の瞳にきらりと光が宿った。
名案でも思いついたのかと、アリシアが見ている先で手に持っていたカップの中身を一気に飲み干してニヤリと笑う。
『ならば大蜃皇国は、苦もなく有能な宰相候補を手に入れられたと?』
そして居住まいを正した怜蜂が、自分の胸ほどの身長しか無いアリシアに拱手の礼を取り頭を深々と一度下げて顔をあげた。
『それでは、公国の宰相殿に一つお尋ねしよう』
怜蜂が発した言葉は少し茶化したような口振りだが、その瞳はアリシアの些細な動作も見逃さないと視線が外れることは無い。
『このままでは、彩蝣皇子側は天帝妃を危険に晒し、あまつさえ公国の司令官殿を失ったと皇都で糾弾される運命にある。この窮地を脱する方法は有りや?』
なるほど、私の力量を試すのに打って付けという訳か、とアリシアは苦笑を零すより他なかった。
ここで怜蜂を唸らせられる程の策を提示できなければ、これ以後重要な作戦にも混ぜては貰えないだろう。
怜蜂自身が、申州勢力を叩く方法に気付くよう誘導するつもりであったが、何処まで話したものか。
アリシアは、手の中のカップに口唇を付けると、考えながらゆっくりと燕下した。そしてもう一度、今度は口の中いっぱいに茶を含むと、怜蜂の見守る中、突然瑞蛉に覆い被さった。
まさかアリシアが、瑞蛉に口付けるなど思いも寄らなかった怜蜂は、固まって動きを止めた。
その間にもアリシアは、熱でかさついた怜蜂の口唇に舌先を這わせ、細く頼りない首の下に腕を差し込んでいた。
簡単に綻んだ瑞蛉の咥内へ、溢れないようにゆっくりと自分の口の中からお茶を移していく。
冷たいお茶に驚いたのか、瑞蛉の意識が少し浮上する。
『ン……っ、……ぅ』
愚図るような瑞蛉の声音に、漸く怜蜂の強張りも溶ける。
『娘娘!?』
瑞蛉は余程喉が乾いていたのか、怜蜂が叫んだ時には大部分を飲み込んでいて、うっそりと熱に浮かされた焦点の定まらない瞳でアリシアを見上げている。
『き、……あにゃ……』
苦い薬湯と違い、アリシアが用意したのは苦味も無いハーブティーだ。しかも淹れてから大分時間が経っていたために冷えてしまっていたのも、熱のある瑞蛉にとっては飲み易かったのだろう。
『冷たくて美味しいでしょう?もっと欲しい?』
『……も、っと……』
狼狽ている怜蜂とは裏腹に、アリシアは瑞蛉を抱き起こすと、もう一つのカップをその乾いた口唇へと当てがった。
不測の事態とはいえ、兄嫁である女性から口移しで飲み物を与えられたなど知れれば、アリシアだけでなく瑞蛉も勿論処罰される。
ここは西側では無いのだ。自国と同じように捉えていては命取りになることもある。
茶を飲み終わった瑞蛉を、ベッドに横たわらせているアリシアに強い口調で警告をする。
『娘娘、ここは貴女の祖国では無いことは肝に命じていただきたい。その行為は、こちらでは"白絹"か"杯"を賜る事になる。貴女だけでなく、――その相手も』
高貴な者は、血を流してはならない――それ故、皇国では天帝より死を命じられる賜死の場合には、白絹で首を括るか、毒杯を飲むかを迫られる。
怜蜂の言葉は、そのことをアリシアに教えていた。
だが、アリシアは何処吹く風といったふうに怜蜂の言葉を聞き流して、まだ荒い息の瑞蛉のおでこや頬にキスをして、そっと囁くように話し掛けている。
『ゆっくりお休みなさい。明日には熱も下がっているわ』
アリシアの言葉を聞いた瑞蛉は、にっこりと赤ん坊のように笑うとそのまま穏やかな寝息を立て始めた。
『娘娘!』
苛立ち紛れに呼びかけてくる怜蜂に、アリシアが応じる。
『先ほど、殿下はわたくしに、"窮地を覆す策が有るか?"と問われました。これが、わたくしの策です』
余りの驚愕に動けずにいる怜蜂を見上げたアリシアは、彼女の策を話し始める。
『相手の意表を突きます』
確かに驚かされはしたが、先ほどの行為は一歩間違えれば、有らぬ噂を立てられる自殺行為だ。
こんな危険な策に乗って自分だけでなく、罷り間違って兄や弟から継承権が奪われるような事態を招くのは得策では無い。
渋面を作る怜蜂の表情から彼の考えが手に取るように分かる。
思わずクスリと微笑んだアリシアは、側の椅子を怜蜂に勧めた。
大人しく言われるままに腰を下ろした怜蜂に、アリシアはゆったりと話し掛ける。
『これまでの申州の動きを、殿下はどうご覧になりまして?』
『申州の動き、ですか?連中の動きと言えば、食事に細工した事と港への道中の刺客の二つだと思われますが……』
『そうです。禄蝉殿下が一緒の時には、口にする物には細工がされていなかったようにお見受けしました』
『はい、申州城に到着した四日前から昨日の昼食までは、何事も無かった。それもあり油断した為、瑞蛉を危ない目に遭わせてしまった』
怜蜂は、布団から出ていた瑞蛉の小さな手を取り、心痛な面持ちで答えた。
瑞蛉を見下ろしていたアリシアの瞳が、怜蜂に向けられる。
『一つ目は、故意であれ偶然であれ意図は不明ですが、二つ目の道中の刺客は、あれは明らかにわたくし達を狙ったものだと言い切れましょう。ですが、おかしくは無いですか?』
領内で皇子二人と天帝妃が姿を消せば、いかに禄蝉が帝位に就いたとしても"申州が手を下したのでは?"、という疑惑を揉み消せるような事柄では無い。
例え帝位に就くまでアリシア達の死体を隠し遂せたとして、禄蝉が帝位に就くには後宮を牛耳る皇太后と宮廷が障害となる。その中でも最大の障壁となるのが、怜蜂の後ろ盾となっている妃達の実家だ。
何故なら、一時彩蝣が帝位に就いたとしても、身体の弱い彼の治世は短い。そして、子供が居ない彼の次は、血筋から言えば瑞蛉だが彼はまだ幼く、妃嬪を一人も持っては居ない。それは、瑞蛉もまた世継ぎとなる子が居ないということになる。
もし、瑞蛉も短命であったならば……短命で無くとも瑞蛉は、怜蜂に随分と懐いていることを考えてみても、怜蜂を取り込めば瑞蛉を傀儡にする事は簡単だろう。
それに彩蝣であれ、瑞蛉であれ、帝位に就いたところで、一人で大臣達を相手になど出来るはずが無いので、必ず怜蜂がその側に付く事は決定事項だ。
ここで怜蜂が彩蝣や瑞蛉の補佐で功績を積み上げれば、いくら母親の位が低いと言えども禄蝉も太刀打ち出来なくなっている。
もし瑞蛉が子供を残さずに死んだ場合、その次は確実に怜蜂に回ってくるという手筈だ。
目の前に権力の座がチラついているのに、諦めるはずが無い。あらゆる手を尽くして怜蜂と瑞蛉を探し出そうとするだろう。
怜蜂が見つからないのであれば、瑞蛉だけでも。
それを諦めさせるには、どうしても怜蜂と瑞蛉の遺体が必要になってくる。
『わたくし達の、特に殿下の遺体を見せなければ、宮廷だけでなく後宮がそもそも納得されないでしょう?ですが、我等の遺体を差し出すとなると……』
『申州への疑惑がより一層強くなり、禄蝉の帝位は遠退く』
こくりとアリシアは頷いていみせた。
『わたくし達を確実に始末出来れば口を封じられますが、もし軽傷であったならば?重傷を負わせたとして、生き残り港まで辿りついてしまったなら?』
『……申州は、自国領内で皇子達と天帝妃を負傷させた罪に問われるでしょう』
そうだ、申州が罪に問われる、引いてはその場に居なかった禄蝉でさえ連帯責任を負わされる。
皇族三人に怪我を負わせた罪で、皇位継承権どころか、まず流刑は免れない。
『禄蝉殿下は、皇位継承権を剥奪されますね』
港までの道中に血溜まりがあった。だが、顓人が一人で始末出来るくらいの人数だ。
いくら怜蜂が瑞蛉を抱いていたからと言って、鈺鋭も居たのだ。我々に擦り傷くらいは負わせられても、殺すまでには至らないはずだ。
『怪我を負わせるだけでは駄目なのです。我々を殺して口を封じなければ……遺体を処分し、殿下方が絶対に皇都に戻らないようにしなければ』
なのに、どれも中途半端な策だ。
殺すでもなく、目に見える傷をつけるでもなく、我々が次にどう出るかを見極めているかのような……。
『本気で殺そうと考えていたのであれば、貝など使わず毒そのものを皿に入れればいいだけです。刺客にしても、殿下の力量を考えれば刺客の人数が少なすぎます……おかしいと思われませんか?』
『猫が鼠をいたぶるが如く、……まるで遊んでいるような』
『そうです。狙うにしてももっと別の策がありそうなものを、何故"申州"内で襲ったのでしょうか?』
黙り込んだ怜蜂にアリシアは立て続けに問いかける。
『何故、禄蝉殿下が出発した後の食事に細工をしたのでしょう?』
『……申州に疑惑の目を向けさせたい者が居る、と?』
『その勢力が味方であれば良いのですが、……皇子達以外の誰かを擁立したい別勢力が存在するのかも知れません』
『可能性を考えれば切りが無い』
怜蜂は、疲れたように頭を抱えて大きな溜め息を溢した。
『誰が味方で誰が敵か分からぬのならば、明らかに分かっている敵から潰していきましょう』
『禄蝉か?』
『はい。先ずは、禄蝉殿下と申州勢にご退場願いましょう』




