第十歩 大人になるということ
成長することは、即ち知るにある。
純粋だった子供が世の中の道理を知り、理不尽を経験し、妥協を続けて濁り、綺麗なままではいられなくなるのが大人になるということだ。
小さな絶望を一つ一つ拾い、降ってくる僅かな幸福に一瞬だけ笑って、夢も希望もない現実の中を足を引き摺りながら進んでいく。
不幸より幸福の方が多い人間は極僅か。一割にも満たない人間だけが、笑って希望はあるんだよとその他大勢の人間に語り掛けてくる。それを鼻で笑ってしまったら、もう君は立派な大人だ。
そんな大人候補の若人達が、今日は巨大なホールで集まっていた。
人数は百人。彼等は揃ってスーツを身に纏い、まるでクローンのように同じ姿勢で椅子に座っている。
何処の会社とも変わらない入社式の風景だ。例えこれが冒険者の為の組織であるギルドの行事だったとしても、日本に住んでいればこの景色からは中々逃れられないだろう。
ホール前のステージには最高責任者の高次警視監を含め、自衛隊や皇宮警察本部から移籍した榊原を含めた二十人の冒険者が居る。
今日の予定は入社式を行い、その後採用通知書に記載されていた部署に各々移動して教育担当の人間に具体的な業務内容を聞くことになる。
仕事も最初から回されてくるが、基本的に新人はお荷物扱いだ。戦力扱いされることもないので初期の仕事量も多くはない。
入社式はトラブルも無くスムーズに進行していき、終わりでも珍しいあれこれが起きなかった。
少々拍子抜けだが、如何にファンタジー溢れる存在が出て来たとはいえ社会基盤が破壊される程の混乱は起きていない。
マニュアル通りが通用するなら、そのままにするのが順当な流れだろう。――故に咲は着慣れぬスーツのまま無表情で冒険者用の部署へと徒歩で進んだ。
他にも冒険者として採用された人間も同じ場所を目指して歩き始め、その手にはギルドに関する情報が記載された資料が握られている。
内容は表面的な紹介に留まり、その中身については詳細が書かれていない。何せ世界の何処を見てもギルド程ダンジョンに関係する情報が豊富な組織はないのだ。ちょっとの情報でも他国からすれば有用となる現在において、政府側は安易に情報を外に見せる真似は出来ない。
お蔭で新人は最初に何をするのかも解っていない状態だ。事務職に進んだ人間であれば他の会社の例を当て嵌めれば良いかもしれないが、冒険者としての最初の仕事を想像するのは難しい。
案内は全て立札で行われ、到着した部屋は最初のホールよりも小さかった。それでも数十人は収容可能なので十分に大部屋なのだが、一部屋で全員を入れようとすると窮屈になるだろう。
僅かな間隔でまたパイプ椅子が並べられ、各々が好きな場所に座っていく。咲は最後方の列に着席し――その隣に迷いなく我妻が座り込んだ。
「ちょっと」
「良いじゃないか。 別に自由なんだから」
「自由なら距離を取ってほしいのだけれど。 学生じゃないんだから」
「……咲。 此処はプライベートの場じゃない。 嫌な相手とも組んで仕事をするかもしれないんだから、今からその調子だと大変だよ?」
「……勝手にして」
咲の言葉を、我妻は理論武装で制した。
彼女は顔を我妻に向けないよう正面に固定し、彼は彼で時折微笑みを向けながらも同様に前を向く。
我妻の内心は歓喜に満ちていた。
試験では実技で良いとは言えない結果になってしまったし、面接も相手が機械的に質問をするばかりで手応えを感じることが出来なかった。
筆記だけは完璧だと思っていたが、冒険者になるなら筆記の結果は二の次三の次だろう。やはり戦闘そのものに光る部分が無ければ戦力として採用はされない筈だ。
我妻は滑り止めとして事務職にも希望を出していたが、咲は冒険者一本で試験を受けている。これでどちらかが落ちれば、一緒の職場で働くことは出来なかった。
だからこそ、咲と同じ部署で働ける結果に彼は喜んだ。喜んで喜んで、こうなったからにはと決意を再度固めた。
我妻は依然、咲を諦めていない。
翔の居ないこの環境。他の男との出会いはあるが、咲には翔との件で恋愛にトラウマがある。
今更彼女が他の男に靡くとも思えず、翔以外に結婚出来る可能性があるとしたら我妻を置いて他にいない。
勿論、我妻は自惚れなどしなかった。咲との間には溝が出来ていて、この溝を埋めるには多大な時間と労力が求められる。普通の女性を相手にするようなプレゼント作戦や飲みに誘うのも咲相手では悪手になってしまい、別のアプローチを行わなければならない。
それでも現状は十分だ。我妻は己に機会が巡ってきたと信じて止まなかった。
座席が予定された人数で全て埋まる。全員の着席を確認してから山田を中心に左右に冒険者達が横に並び、咲達の前に立つ。
山田達も今回はスーツ姿だ。ここまできっちりしている姿はギルドとしてはほぼ初であり、榊原と山田は内心で違和感を強く感じていた。
「全員着席したので話を始めさせていただきます。 私の名前は山田・哲。 現在ギルドで活動する冒険者達の責任者を任せられています」
ギルド全体の総責任者は高次だが、冒険者としての総責任者は山田だ。
榊原は今後増える複数の部隊のリーダー枠の一つを与えられ、辞令を貰った直後は硬直していた。
「今回採用された皆様には、今後戦闘を基本とした部署である冒険課に配属となります。 この部署で先ずはダンジョンに関する基本知識を学んでいただくと共に、実際の戦闘を経て冒険者への覚醒を果たして数々の業務を熟していただく予定です」
山田の説明は丁寧で解り易い。
この新しい職に関する新人達の不安を可能な限り削り、世間でときたま語られる粗野の印象を払拭しようとしていた。
どんな仕事でもやはり信頼関係は必須。互いが互いに相手が社会人として真っ当であると思ってもらえなければ仕事など発生しない。
ギルドには多くの目が向けられている。不手際一つでも大炎上しかねない現在の状況では、尚更職務に真面目であるイメージを強調しなければならなかった。
表面上は山田達は余裕の態度だが、内心では冷や汗を流している。自分の振舞いが大丈夫かは事前に練習をしておいたものの、それでも本番になると不安が湧き出していた。
咲は山田達の説明を聞きつつ、瞳を他の同僚達に向ける。
体格が恵まれているか否か。他とは異なる特徴を有しているか。この面子になった理由を彼女なりに考えてみたが、どうにもバラバラで明確な基準があるように思えない。
可能性があるとしたら実績くらいだろうか。面接では想像以上に何を成したのかを聞かれることが多かった。
そこに一体どんな意味があるのかと思うが、こうも見た目や性格が違いそうであればやはり何かしらの実績を重視していると見た方が取り敢えずは納得出来る。
だが咲は周りに誇れる程の実績を有していない。学校では常に成績優秀者で見た目のお蔭でアイドルのような扱いを受けていたが、高校では勉強ばかりで大会で優勝しただとか何かしらの成果物を作っただとかはまったくの皆無だ。
であれば実績は材料の一つと捉え、後は試験で結果を固めたと思えば納得も深まる。――――そう思った刹那、彼女は一人の人物の背中に視線を固定させた。
あれ、と空気に溶けていく程度に小さい声が漏れる。
心臓が五月蠅く音を鳴らす。目は限界まで開かれ、その背中を見逃すなと脳が命令を発した。
確信は無い。一番前の列に並んだスーツの男性は、咲にとって知っているとは明言出来なかった。
それでもと思う。私はあの背中を知っていると。忘れる筈がないと。
だってあの背中は、あの男は、今も彼女が愛する人物と酷似している。無視することなんて咲には出来る筈もない。
この瞬間、咲の思考は一つに絞られた。だが同時に、その姿は我妻に見られてしまっていた。




