第71話 ハッピーエンドに向かうために
霊廟から戻った後、私はローランさんの知識から得た力とフェニの力を借り、スイさんに回復術を施した。
そして、その後――ものの見事に寝込んでしまった。もともと魔力がほとんど残っていない状態で無理を重ねたのだからそれ自体は特段不思議なことではなかったけれど、今回は発熱まで起こしてしまった。
なので、熱が下がってもしばらくは静養を命じられ、すっかり身体が鈍ってしまっている。
あと、贅沢なことを言う自覚はあるけど、腰が痛い。寝すぎると腰が痛くなるのは、本当なんだなとしみじみと思う。
「でも発熱は知恵熱みたいなもんでしたし、魔力切れは、今回ばかりは……ねぇ?」
「お前、いつもそれで通ると思うなよ」
「……スミマセン」
一応正当な主張もしてみたけれど、明らかにランディさんの機嫌は悪い。いや、でも一応治るまではお説教も一切なかったことを考えればだいぶ我慢してくれたんだと思う。
あと一応私を召喚した黒幕の件が片付いたからか、魔力が足りないままでも熱が下がったことでお弁当販売の許可はもらえた。
ちなみに私が静養している間、せっかく店舗があるのだからと代打でイリナさんがお弁当の販売をしてくださった。イリナさんは私がこのお屋敷で居候を始めてからお弁当作りを手伝ってくださっていたので、私が作ったことがあるメニューもご存知だ。だから過去のメニューから作りやすいものを選んで営業してくれている。
ご迷惑をおかけしたので、その代わりに近々私にできる精一杯の御馳走を振舞わせていただきたいなぁと思う。
……ということで、私も明日は久々にお仕事だ。
「あ、ランディさん。明日お弁当を売り切ったらスイさんと一緒にお花畑を見に行こうと思うんですよ」
「二人でか?」
「はい。二人でです。今が見ごろだって、さっきお見舞いにきてくださったギルバードさんにお聞きしたので」
気分転換になっていいだろう、と、ギルバードさんはちょうどあたり一帯が花の見ごろとなっている場所があると教えてくれた。
それは以前スイさんも教えてくれた花畑のことだと思う。
絨毯みたいに綺麗だと仰っていたので、もしかしたら芝桜のようなものなのかな? なんて思っているけれど、果たして実物はどんなものなのか。
そう私がそんなことを考えていると、大きな溜息が聞こえてきた。
「昼過ぎに行くんだな」
「えっと……ランディさんもお花畑でご飯を食べます?」
「それで構わない」
行くという積極的な発言は聞こえなかったけれど、どうも来てくれるつもりらしい。
「ありがとうございます」
「別に礼を言われることはしていない」
「でも、心配してくださったから来てくれるんでしょう」
別に私も城壁内部の花畑に危険が潜んでいるだとか、そういうことを考えているわけではない。
けれど初めて行く場所なので道のり的な意味では不安がある。一応地図も見てはいるけど、例えば思ったより遠かったらスイさんを疲れさせちゃうかもしれないし。もちろんスイさんは気にしないって言ってくれると思うけど、私は気にする。
だって、今のスイさんは――。
「あの、マヒルさん」
「わっ」
「あ、すみません。驚かせてしまいましたね」
私が考え事をしていたところに、幼く高さを残した声が響いた。
声の主は少しだけ開いた扉から顔を覗かせていた。
黒髪黒目で、肩ほどまでの長さの髪を持つ少女……というより、むしろ幼女である。
三歳ほどの姿に似合わぬほどの落ち着いた言葉遣いが特徴的だ。
「……こいつが勝手に驚いただけだ。気にするな」
「そうそう、ぼーっとしてただけなんです」
「お前、いつ呆ける暇があったんだ」
私より先に返事をしたランディさんは完全に呆れているけれど、こういうときは流してくれてもいいと思う。
「それよりスイさん、どうなさいました?」
そう、今のスイさんはこの場にいる幼女の姿になってしまった。
これにはいろいろあるんだけど……フェニックスの『再生』は、むしろ時間の巻き戻しというのが正解だった。
弱った部分を若いころに戻すなんていうとんでもない芸当は、スイさんをずいぶん幼い姿へと戻してしまったけれど、このことに関してはランディさんもダリウス殿下も『いろいろ面倒事が省けた』と歓迎されていた。
ダリウス殿下も一応スイさんの事情を鑑みて処分は見送りたいと考えてはいたものの、スージー・ナーノンこと月下の妖女としての姿を見ていたものは多く、どう考えてもいらぬ噂は蔓延しかねないとランディさんとギルバードさんを含めたお三方でお考えだった。
けれど幼女に戻ってしまったのなら彼女と同一人物だと思う人間はおらず、誤魔化しがより楽になる。
月下の妖女の姿のままであれば辺境に向かわせればいいという話もあったが、完全に監視の目をなくすわけにもいかず、また前例のない治癒を行っているため、万が一のことが起きても地方では対処できないと懸念されていた。
だからスイさん本人が幼女になったことに戸惑ったり、今後子供の姿でどう金銭を得ていこうかと真剣に考えて焦ったことを除けば、万事解決している状態でもある。
ちなみにスイさんは現在ギルバードさんの義妹となるための手続きの真っ最中だ。
これはギルバードさんからの誘いではなく、ダリウス殿下からの提案であったと聞いている。
それはスイさんが魔術に関する知識をたくさん持っているというのも理由の一つではあると思うけれど、ローランさんと会話したことが関係しているのかもしれない。ただ、その詳細について私はダリウス殿下に尋ねることはしなかった。
「いえ、その。今日のお弁当も無事完売したと、イリナさんがお伝えしてきてくださいと……」
「よかった、ありがとうございます」
「あと、明日……売り子として、アリシア様がいらっしゃると仰っているそうですが……」
「え!?」
「その、マヒルさんが倒れたのならオーナーが頑張らないとって仰ったとの……ことなんですが……」
スイさんの声はだんだん小さくなっていっている。
それはスイさんもまるで『意味が分からないのですが……』と言っているようだった。
「もう元気になったって、すぐご連絡します!! ていうかどうやってご連絡すれば」
「落ち着け。後で俺からダリウス殿下にお伝えさせていただく」
「あ、はい。その、お願いします」
いくらなんでも、休んでいる間に王女様に店番をさせたとなれば洒落にならない。
明日で良かった……と、私は心の底から安堵した。
「そうだスイさん、明日、お花見にいきませんか? 前に行こうって言っていた場所がわかったんです」
「……」
「スイさん?」
きっと喜んでくれると思ったのに、反応が薄い。というより、反応がない。
もしかして、今は行きたくない……とかないよね?
そんなことを思っていると、少し照れくさそうにスイさんは笑った。
「あの、私もこの姿ですし、あんまり『スイさん』は似合わないかなって」
少し照れくさそうに言うスイさんを見て、私は目を瞬かせた。
確かに、外見三歳児に向かって大人が『さん』付けで呼ぶというのは、不思議な感じがする。いいところのお嬢様ならともかく、私もスイさんも庶民だし。スイさんは今後、貴族になるかもしれないけれど……いずれにしても、今のままだと明日の花畑では周囲から不思議な関係に見えるかもしれない。
「あとですね、私、本当の名前は羽に卒業の卒を書いて翠っていうんです。ちょっと皆が発音しにくそうだったので、『スイ』って名乗ってからずっとそうしてたんですけど……」
「えっと……じゃあ……翠さ……じゃなくて、翠って呼んでいいのか、な?」
「はい、真昼さん。お花見、楽しみにしています。あ、私はイリナさんにお菓子を食べようと誘っていただいているので、行ってきます」
笑顔を見せた翠さん……じゃなくて翠がぱたぱたと駆けていくのを、私も釣られて浮かべた笑みで見送った。イリナさんは翠が大人だったことを知らない。だからかなりしっかりした子供を預かっているという雰囲気で楽しんでいらっしゃる。翠も最初は戸惑っていたけれど、楽しそうなので気は合うのかもしれない。
「……あれも身体に異常はなさそうだな」
「ええ。でもさすがに大人の体力はないですけど、順調そうですね」
このまま何事もなく、いままでの分を取り返す勢いで翠には楽しんで毎日を送ってもらいたいと思う。翠は大事な友達だ。
だとすると、私も『真昼さん』ではなく『マヒル』で呼んでもらいたいんだけど……この外見年齢差だと、しばらくは難しいかなぁ。何とか呼んでもらえるように作戦を立てないと。
「ところで、ランディさん。私思うんですけど……翠が詳しいことを何も聞かないこと、どう思いますか?」
私は翠の体調を戻すためにフェニの力を使ったとしか説明していない。
フェニのこともよくわかっていなかった私が突然そんな力を使ったら、不思議だと思わなかったのかな。もちろん調べて分かったとか、今までやったように『なんとなくできた』という可能性を考えたのかもしれないけれど……それでも、まったく尋ねないことが不思議だった。
「……少なくともあの男のことを気付く要素はない。霊魂が残るなど、現に見た後でも信じがたい光景だ」
「ですよ、ね」
「それに知っていたところで、何になる。あれはもういない」
それが、すべてなのかもしれない。
知っていても、知らなくても、その結果には変わりがないのだ。
「ねえ、ランディさん」
「なんだ」
「翠、幼女になりましたよね」
「それがどうした」
「もし、すぐにローランさんが転生してきたら、スイさんに会えるかもしれませんよね」
格好をつけて消えていった人を思い浮かべて私がそう言うと、ランディさんは非常に面倒臭そうな表情を浮かべた。
「そんなことは知らん」
「もう、ちょっとくらい話に乗ってくださいよ」
「気にしたところで何になる。あれの決断だ、俺には関係ない」
もっともなことだけど、少しくらい夢を見たっていいではないか。
そう思ったものの、ランディさんの表情が思いのほか真剣だったのでそれ以上はなにも言わなかった。
「……魔神のことを考えてらっしゃるんですよね」
「……」
無言なのは肯定なのだろう。
あの魔神はすでに封印されていたものだったけれど、今後、あのような存在が現れることも考えられる。
「気にしたところで、今すぐどうこうできるものではない。魔神になる前の魔物の段階で討伐できるよう、探索網を考えることくらいはできるだろうが……すでに封じられていた魔神であれだ。再び魔神が現れたことを考えたら思うところはある」
「そう、ですね」
「ただ、お前が直接どうこうする問題ではない。それをどうにかするために存在するのが軍だ。ダリウス殿下も動いている」
ダリウス殿下が民を危険に晒すことを徹底的に排除しようとしているのは、先日のやりとりで感じられた。前からいい王様になられそうだなと思っていたけれど、思った以上に熱い人でもあることがわかって、なんだか今は少し嬉しい。
「ダリウス殿下はお前に対し近日中にローランから何を教わったかお尋ねになるだろう。わかりやすくまとめておけ」
「まとめるっていっても……なにかをどうかしたいって思った時にイメージが湧く感じなので、言葉にはしにくいのですけど……」
「例えば?」
「フェニの言葉が読み取れるようになりました。あとは……たとえば風の魔術を使うときの風の読み取りが更にやりやすくなったりしました」
そう、私が与えられたのはどちらかといえば『ここはこうしたらいい』と、その場において判断できるような感覚的なものだった。だから、書き出すといってもなんだか難しい。
「……がんばれ」
「あの、はじめての応援がその棒読みって酷いと思うんですけど」
しかし、私が逆の立場でもかける言葉は見つからない気がする。
むしろ棒読みだろうがランディさんから応援の言葉が出ただけで凄いと思うし、拍手喝采すべきものなのかもしれないけれど。
もっとも現状報告であればレポートを書くまでもなく口頭報告だけなので、まったく大変ではないのだけれど。文字もまだ書けないし、ちょうどいいかな。
「ま、でもまずは明日のお花見ですよね。美味しいお弁当、作りますからね」
「何を作るんだ」
「卵焼きやウインナーをたくさんいれて、それからいろんな種類のおにぎりもたくさん作りましょう。大きなお弁当箱にみんなの分を一緒に入れて、分け合って食べるんですよ。唐揚げや焼き豚もいいですね。あ、ウインナーはたこさんにしてみます?」
「……大きな弁当箱で分け合う?」
よくわからないと疑問符を浮かべているランディさんに、私は笑った。
「詳しくは明日のお楽しみですよ」
楽しんでくれればいいけれど、さて、一体どうなるだろうか。
はじめての形式ではあるけれど、焼肉を楽しんでくれたランディさんなら、きっと楽しんでくれると思う。
「あ、そうだ」
「……まだ何かあるのか?」
「明日は一緒にランディさんもおにぎりを握りますよ。おばあさんにお出しするお料理の練習も、そろそろ始めなきゃいけませんからね」
そう私が言うと、ランディさんは一瞬虚を突かれたような表情を浮かべられ、その後、長い息を吐いた。しかしその後、その顔にはほんの僅かな笑みが載っていた。
それは私にとってはとても意外なことだった。てっきり、また面倒なことを言い出したとでも言いたげな表情を浮かべられると思っていた。
でも、これは外れて嬉しい予想だった。
「ねえ、ランディさん。これからもたくさん楽しいことをして、美味しいものを食べましょうね」
「唐突だな」
「思ったときに言っておかないといけませんからね」
そして、私は一度軽く深呼吸をしてから宣言した。
「楽しい時をたくさん感じて、守りたいって思うものを増やしたいなって思ったんです。そうしたら、強くなれる気もしてきたので」
これからも予想外のことはなにかと起こるかもしれない。それが大きな事件になることだってあるかもしれない。
何事もなければ一番いい。
でも、もしも何かが起こったとしても翠やローランさんが世界を守ったように、大事な人たちを守りたい。なにより、守ろうとするだろうランディさんの背中を守りたい。
私はハッピーエンド以外は好まない。
だから、何かがあってもいつまでもそこに向かえるように、今はまず、平常の中にある確かな幸せを感じていたいと強く願った。
第二章、以上になるため、いったん完結とさせていただきます。
ありがとうございました。
第三章開始は、お待ちいただけると幸いです。




