#41
“Lost His Marbles”
「ハカナ、テメー……」
彼が今、最も見たくない顔だった。知らずうちに彼の声に怒気が混じる。こいつが現れてからは碌なことが起こっていない。彼はそうハカナを睨み付けた。
シンゴの足の怪我。
レキナの神性の浪費。
そして、失敗してはならない作戦の失敗。
……セレンの思考のパズルが繋がろうとしていく。その形は酷く歪だ。接合性なんてあったものではない。出鱈目に、無理矢理にくっ付けて完成させたものだ。しかし、如何に歪んでいようとも、今のセレンにはその形がもっとも自然に思えた。
セレンの内から黒い感情が生まれる。己すら焼き焦がすようなその感情は、ハカナにとっては理不尽なものだろう。だが、セレンにそれを止める術はない。
「テメー、まさか……」
燻ぶっていた疑念が確信へと代わる。行きあぐねていた激情は、はけ口を見つけた。セレンの心の内に、炎が湧き上がるような抗い難い衝動が奔り、彼の視界を赤く染めていく。
「オレたちを売りやがったのかッ!」
衝動のままに叫び、セレンはハカナの胸ぐらを掴んだ。足の痛みを忘れるほどの、抑えがたい怒りが彼を突き動かす。堰を切ったような感情の奔流。セレンはハカナに襲いかかろうとして……次の刹那。
「――――――」
視線が合わないまま、だらしなく涎を垂らしている白痴の口から、言葉が紡がれた。
「なっ……」
その言葉は正しく音を成していない。だが、胸ぐらを掴みハカナと相対していたセレンは、それを間近で聞いてしまった。
ぐらり、とセレンの瞳が揺れ、表情には様々な変化が訪れる。焦燥、後悔、懺悔、……そして『■■』。
彼の怒りはその全てによって、塗り潰されてしまった。セレンの瞳孔は収縮され、現実ではない光景を彼は目の当たりにする。
「あ……ああぁ……」
セレンの耳に、ハカナのものでは無い別の声が聞こえた。懐かしい声だ。聞きたかった声。もう二度と聞くことは無いと思っていた声。だが、その声に紡がれるのは、彼が聞きたくなかった言葉だ。それはセレンが最も『■■』するものだった。
彼の視界を埋め尽くすのはかつての影法師。拭い切れぬ過去の無様な記憶。愚かだった自分。アウトサイダーとは別、かつての仲間たち。震えるだけだった己の身体。
セレンの胸中にあるのは罪の意識。『視』ることしか、出来なかった。そして、ただ独り、生き残ってしまった。
それは彼が忘れようと、必死に目を逸らしていたものだ。
『お前の眼は、汚れていることを知っている上で、それから目を逸らしているヤツの眼だ』
ザンカが先程言った通りだ。見せつけられ、目を逸らせなくなったセレンの心は、罪悪感で満たされている。目を逸らし続けていた故に、彼は押しつぶされ、耐えることが出来ない。
「違う、違う! オレは……オレ、は……」
気が狂ったようにセレンは首を振る。普段の彼からは想像が出来ない姿だ。いくら振り払おうと藻掻いても、彼の前から幻影は消えない。
既に追い越したはずのものたちが、目の前に居るハカナに重なっていく。セレンの知る複数の顔が、彼を責め立てるように怨嗟の言葉を繰り返している。
「やめろッ! やめてくれ!!」
その顔の中の一人が、怨嗟に染まった顔でセレンに問いかける。
『何故、お前一人だけが生き延びている?』
「――――あ……あああああああああああ!!??」
次の瞬間、狂乱した獣のような咆哮が耳朶に響いたかと思うと、途端にセレンの意識はプツリと断絶する。
……最後に彼の視界に映ったのは、固く握られている己の拳だった。




