#31
“Sin In Life”
『お前には、生きる意志があるか?』
シンゴの問いにすらハカナは答えられていない。なんで生きているかなんて、彼に口にすることが出来る筈もなく。ザンカの問いにもただ震えて、家畜のように黙することしか出来なかった。
やれやれ、とザンカは拳に付いた血を拭い、ハカナに向かって凶暴そうに笑う。そして、それまでの侮るような声からトーンを落とし、三白眼に昏い意志が宿った。
「……イイ事を教えてやる。生きるってのは汚れることだ。
人が何かをやる時。別の誰かを必ず蹴落としている。蹴落としたヤツは気付かない事が多いが、やられたヤツにとっちゃあそうじゃない。そういった汚れだ。目に見えない『汚穢』。
生きている限り、人は嫌でもその汚れが付く。穢れてしまう。ソイツは決して、洗い流す事が出来ない」
「な……なにを……」
「ハッ。察しが悪いなァ、兄ちゃん。あんまり手間取らせてくれないと俺としてもスゲェ助かるんだけどな。
……俺たちが欲しいのはお前たちが連れてる神仔についての情報だ。イイじゃねーか。それを教えてくれたら命は保障してやる。ホントだよ」
「ッ!?」
「……生きるってのは汚れ続けることだ。なァ? お前もそう思うだろう? なァ?
仲間を売ったっていう汚れがお前につくだけだ。なァに、簡単なものさ。生きている限り、似た様な汚れは嫌でもその内に付く。自分でも気付かない内にな。
ハハッ! 同じぐらいに汚れるのは遅いか早いかの違いしかありゃしねェって!」
そんな『汚穢』で満ちた言葉で、目で、意志でザンカはハカナに語る。そうするのが最良であると。そうするしかお前が生きる道はないとばかりに。しかし……
「僕は……何も、知らない……」
ハカナがアウトサイダーのことで知ることなんて数えるぐらいなものだ。シンゴが語った内容もこの世界の事ばかりで、彼ら自身のことは何も聞けてないに等しい。
すかさずザンカの拳が再びハカナを襲った。
「あ? なんだそりゃ? そういうこと、俺は言ってないだろう? 何かの冗談か? それとも、もっと痛い目みたいか?」
ザンカはボウガンと共に殺意をハカナに向ける。
……だが、いくら待とうとも顔を伏せたまま、ハカナの反応はない。ザンカは訝しんで首を捻った。
「……ん?」
「ザンカ」
「どした、姐さん?」
「推定。彼は気絶している」
ツバメはやはり微動だにせずに淡々と言う。ハカナの体からは力が抜け、ぐったりとしていた。昨日から重なる疲労。悪夢による睡眠不足と精神衰弱。彼の体はとうに限界を迎えていたのだ。
「はァーーーー!?」
ザンカは鳩が豆鉄砲を喰らったかのように呆気にとられた。ハカナの頭を揺さぶってはみるものの、起きる気配はない。
「マジかよ。信じられねェ。弱すぎ。こいつ、本当に生き残りの連中か? 間違ってたらこれ、俺がまるで恥ずかしいヤツじゃん」
「肯定」
「独り言に反応するのやめよう!?」
ザンカの慌て振りとは真逆にツバメは無表情のままだ。やれやれ、とザンカは溜め息をつく。おそらくは彼らにとってはこれが普段のやりとりなのだろう。
「はぁー……。どうするよ? これ? 折角、お嬢の頼みが楽にクリア出来ると思ったのになァー……」
「…………」
「姐さん?」
「疑問。何故、彼はこの場にいる? 彼がこの場に居ることは不自然だ」
「あーん……? それは最初から俺も思ってたことだけどよ? この世界にいるヤツが裂け目に近づくなんざ、滅多にやることじゃない」
ザンカはそう言いながら断崖絶壁を見遣る。広がる世界の終わり。この世界の絶望、その一つ。落ちたら文字通り、終わりだ。好き好んで近付く者などまずいないだろう。だからこそ、二人のみで行動する彼らが通り道として選んだわけだが。
「予感。嫌な気配がする」
「……姐さんが、予感? 珍しいこともあるもんだな」
ツバメのコナトゥスを知るザンカは、首を傾げて彼女の次の言葉を待った。 ハカナを抑えたままツバメは目を瞑り、しばし沈思黙考する。
「提案。私たちは可及的速やかに『家』に戻るべきだ」
「ここまで来て? まぁ、姐さんの判断ならそれはイイんだけどよ。こいつ、どうすんの。……始末しておくか?」
ザンカは外套の内に隠した、腰に提げている大振りのナイフをチラつかせる。それに対して答えは決まっているとばかりに、即座にツバメは首を横に振った。
「否定。それは我々の役割ではない。……彼を連れて帰れば良い。その後、然るべき手段を持って情報を聞き出す。それがこの状況においての最適解と私は判断する」
「あぁ、なるほど。流石、姐さんは頭イイな!」
ツバメの言葉にザンカはハカナを一瞥し、ニヤリと笑う。そうなれば、気絶しているのも都合がいい。
彼女の提案通りザンカはハカナを背負う。彼が歩を進めようとしたところで、ツバメは無機質に言葉を発した。
「……それと、もう一つ」
「どした、姐さん。まだ気になるところがあるとか?」
「否定。訂正を、要求する」
「んん? 訂正ってなんの?」
「私が彼を捕縛したのは力ではなく、技術だ」
「……はァ? それ、何か違うの?」
「……訂正を要求する」
言葉は無機質なままだが、ザンカは得も言われぬ圧を感じた。どういう訳かツバメは殺気立っている。
これはまずい。理由はわからないが、彼女にとってこれは死活問題であることだけはザンカにも察することが出来た。
これは彼女の警告だ。そしてザンカはそれを無視することがどんなことになるかを、彼女との付き合いの長さにより知っていた。
「訂正、訂正します! 姐さんは技術で彼を捕縛しました!」
「……訂正を確認。それでいい」
彼女が納得した様子を見て、ザンカは肩を竦め安堵した。




