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降り注ぐ言の葉の花は束ね得ぬ想いに似て  作者: 深海聡
第2章 光ある場所へ

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アングレカムは闇夜に光を宿す

 星ひとつない闇夜に、濃密な花の香りがする。

 それだけで、ミランダは足がすくみそうになった。

 あの夢の中で嗅いだ香りとは違う、花の香り。

 違うとは分かっていても、ふとファルファラが佇んでいるような気がしてしまう。

 走って行って探し回りたい衝動と、縫い留められたかのように動かない足と。

 感覚がかき乱される。

 グラグラと、感情に揺らされるままに感覚が揺れる。

 じっとりとにじんで来る汗を悟られないように服を握りしめながら、ミランダは必死に地面を踏みしめる。

 ―――キモチワルイ。

 眩暈がする。

 不調を悟られないように、ミランダは足を踏みしめ、伸ばした背筋を保って唇の端を引き上げる。

 折角の招待を、台無しにしたくないから。

 大丈夫、大丈夫。心の中で繰り返す。

 高い場所から見下ろす人の波の、向けられる期待と悪意が綯交ぜになった熱気。

 大丈夫、大丈夫。あの時も、大丈夫だった。

 今回は、お友達に招待されただけ。

 だから、大丈夫。

 怖いこともないし、失敗しないか心配することもない。

 ファルファラがいなくても、大丈夫。

 もう手を引かれなければ歩くこともできないような、そんな子供じゃないから、大丈夫。


『あなたは、わたくしの光。この国にとっての光です。――だから、大丈夫ですね?』


 そっと手を取り、微笑んだファルファラの柔らかな手の感触を覚えている。

 その声音も、耳の奥で消えない。

 剣を握ることができなくなったファルファラの、幾回りか細くなった指の温度も。

 化粧を施しても隠し切れない顔色の悪さに、乾いてひび割れた唇に、それでも笑みを浮かべたファルファラの痛いほどの指の力強さを。

 あの時、大丈夫だと言ったのだから。

 それに、折角の招待を台無しにして、がっかりさせたくない。

 深く息を吸い、吐く。

 しっかりと足を踏みしめて、立つ。

 自然に見えるようにファルファラと何度も練習した笑みを浮かべて、ミランダは背筋を伸ばして足を踏み出した。


「どうぞ、こちらへ」


 雪に埋もれた温室の扉を開ければ、そこは十分な温もりを維持した空間で、寒さを感じづらいミランダはともかく、付き添いとして来た侍女たちがほっと息をつく様子に、ミランダは自然と体の強張りが解けるのを感じた。

 笑みを浮かべてミランダを招くのは、ロザムンドとその”姉”である娘だ。

 どことなく面差しの似ているふたりを見比べて首を傾げるミランダに、いたずらが成功した子供のようにロザムンドと彼女は笑う。


「初めてお目に掛かります。冬の女王よ。わたくしはアジュガ。ロザムンドとは従姉妹同士で、実の姉妹よりも似ていると言われております。以後、お見知り置きくださいませ」


 ミランダは思わず、「従姉妹」という言葉を口の中で転がす。

 チクリと、胸が痛む。

 表情を乱さないように気を付けながら、何気ない仕草で勧められた椅子に座る。


「素晴らしい温室ですね。アジュガ、ロザムンド。お世話をされている方の愛情を感じます」


 何気なく口にした言葉に、心が彷徨いだす。

 夢の中の庭園は、丹精込めて育てられた花にあふれていた。

 造られた庭は、造り手の心を映すと誰かが言っていたのを思い出す。

 ではあの庭は、ファルファラのどんな心を映していたのだろう。

 それを思うのは、今であってはならないはずなのに。

 どうしても、どうやっても、思いが巡り巡ってそこへと戻っていく。

 この感情が、後悔というものなのだろうか。

 ミランダは、気を抜けば溢れてしまいそうな感情に付けるべき名前も分からず、途方に暮れた。


「お褒めにあずかり光栄ですわ」


「ありがとう存じます」


 頬を染め、微笑み合う良く似た顔立ち、雰囲気の少女たち。

 その光景に、胸がざわめく。

 欲しがっても手に入らないものがあることを、ミランダはよく知っていた。

 嫉妬、羨望、憧憬、哀惜。

 溢れようとする感情を、ミランダは抑え込む。

 この手にないものを、求めても仕方がないことはよく知っている。

 一緒にいてと願っても、願うほどに、この手からすり抜けて消えていく存在を、どう求めればいいのだろう。

 ティーカップに触れた指先が震えるのを見て、ミランダはカップを持ち上げるのをあきらめた。

 感情というものは、寄せては返す波のようだと思う。

 凪いだはずの波が、ふとした拍子に思い掛けない高さで打ち寄せて、油断した靴先を濡らすように。

 しっかりと蓋をしたはずの感情が、胸の奥で溢れ出ようとしている。


『無理をしてはだめだよ』


 不意に、ふわりと揺らぐ熱気がミランダの肌をかすめていく。

 注意深く見つめる赤褐色の瞳の、全てを見通すような強い視線を感じる。

 これは、エオルの気配だ。

 揺らぐ背を、ぐっと支えられる。


『大丈夫。リラ、私のリラ。あなたは大丈夫』


 そう。大丈夫。

 エオルの気配がささやいて来る言葉を、心の中で繰り返す。

 何度も何度も、言い聞かせた。 

 何度も何度も、言い聞かされた。

 大丈夫でなければならない。

 たったひとりの死に、こだわってはいけない。

 当然の結果、当然の状況にいつまでも立ち止まり、振り返っていてはいけないことだから。

 ちゃんとしなければと思うほどに空回る心を、揺らぐ感情を、全部分かっているかのように、エオルは今いちばん必要な言葉をくれる。


『どれほど離れていても、私にあなたは見えるし、この存在は傍にある』


 ミランダの不安定な力をなだめるように、エオルの力に包まれる。

 広げられた外套にすっぽりと包まれるような、そんな安心感に自然とミランダの震えが収まっていく。

 今度は自然と笑みが浮かぶ。

 ミランダが安定したのが分かったのか、エオルの気配が遠ざかっていく。

 それを少しだけ寂しいと思いながらも、ミランダは目の前に座るよく似た少女たちに微笑み掛ける。

 大丈夫。ちゃんと、分かっている。

 失くしてしまって何をどうしたって戻ってこないものもあるけれど、こうして新しい出会いもあるのだから。

 そして。離れていても途切れぬ絆が、いつだって支えてくれるから。

 揺らぐ背中を、進めなくなってしまった足を、暖かな気配がいつでも後押ししてくれる。

 思うだけで、胸の底から暖かくなるような感情。

 エオルがいれば、目指す光を見失わずにいられる。

 そのことが、こんなにも心を温めてくれる。


「良い香りですね。これは、何の花ですか?」


 何気なく口にした疑問に、嬉しそうに少女たちが顔を見合わせて微笑む。


「星蘭ですね」


「ちょうど今夜あたり開花しそうでしたので」


「ええ、それでお招きしようと」


 お気に召して何よりですわと、嬉しそうな笑みを浮かべる少女たちにミランダも笑顔になる。

 深く息を吸って、甘い香りを味わう。


「こちらですわ」


 ひと抱えはありそうな鉢をミランダのために運んできたアジュガが、鉢の向きを整えてミランダに花がよく見えるようにする。

 小さな星の形をした花が、いくつも螺旋を描いて空を駆け上っていくように見える。


「――ああ、そうなんだ」


 気づけば止める間もなく、思わず言葉が零れ落ちていた。

 急に、視界が開けたような気がした。

 前に近所のおばあさんが話してくれたのを、ふと思い出す。

 亡くなった人は、星になるという。

 星になって、私たちを見守り、暗い夜には道に迷わないように照らしてくれる。

 だからきっと、だからきっと、大丈夫。

 シンと冷え切った、真っ黒なインクを流したような空に、静かに瞬く星に手を伸ばす。

 どれほど隔てられても、触れることも、言葉を交わすことも、会うこともできなくても。

 ファルファラがくれた言葉も、そこにいたことも、消えたりしない。

 あの日、確かにファルファラから託された思いがあるから。

 約束したから。

 だからまっすぐに、迷わずに、歩かなければいけない。


「空に昇る星みたいですね」


 零れそうになった涙を、瞬きをして抑える。


「可愛らしい、小さな光みたいですね」


「ミランダ様にぴったりです」


「本当に」


 口々に紡がれる賛辞に笑みを浮かべながら頷き、ミランダはそっとその花の香りを嗅ぐ。

 甘やかな香りを胸いっぱいに吸い込み、ミランダは少しぬるくなってしまったお茶に口をつける。


「素敵な時間をありがとうございます。よろしければ、またお誘いくださいませ」


 カップを置いて微笑んだミランダに、視線を交わし合ったロザムンドとアジュガが、花がほころぶような笑みを浮かべる。

 安堵の滲むその笑顔に、ミランダは初めて自分自身が心配されていたことに気づいて。

 本当の姉妹のように微笑み合うふたりを見ても、もうミランダの胸が騒めくことはなかった。

 ただそこには心地よい温もりがあって、久し振りにぐっすり眠ることが出来そうだと、ミランダは真っ暗だった空を見上げた。

 そこにはいつの間にか、チラチラと弱弱しくも、確かな輝くを放つ星が瞬いていて。

 ミランダは言葉もなく、ガラス越しに輝く星を見上げた。

 もしも、この美しい夜に何かを祈るのなら。

 ただただ、この優しい人たちの幸福を祈りたい。

 ミランダの頭上でただ静かに、星は瞬いていた。

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