第8話 最低な俺はしえるを絶望的なまでに悲しませる
俺達は暗い非常階段を降り続けた。しえるの手にしたマグライトの灯りだけが頼りだ。十数階分を降下すると、非常口の隙間から光が洩れている。
男の子は苦しげに息を吸い、かすれた声で言った。
「……ここ」
ドアを開けると、驚いたことにそのフロアには電気が通じていた。
「シェルター?」
しえるは周囲を見渡した。
「いや」
俺は床から天井まで真っ白い通路を進みながら言った。
「医療施設のようだな。しかし、妙に豪華な内装だ。ゆったりとしたスペースに最先端医療設備を完備。耐震対衝撃構造の地下施設は核攻撃にも完璧対応。独立動力炉で電気・空調も二百年の安心設計。選ばれた『あなた』のためのコールドスリープカプセル。新しい世界で、素晴らしい目覚めを!」
「なにを読んでいるの?」
しえるは訊いた。
俺は受付カウンターにパンフレットを戻した。
「ここは特権階級・富裕層のための延命施設だ」
「コールドスリープって?」
「正確には低温低代謝睡眠だ。バイタルをぎりぎりまで下げて寿命を延ばす」
突き当たりの大きなドアを開けた。ドーム状の室内は薄暗く、白い円筒形のカプセルが古代墳墓のように並べられている。
「その結果がこれだ」
しえるはカプセルを覗き込んだ。男の子は眼を閉じてしがみつく。
「……腐ってる」
内部は濁った赤黒い溶液で満たされている。
「何人かはまだ生きてるな」
俺はカプセルを調べて回った。
「いたぞ!」
妹はすぐに見つかった。上蓋の開いたカプセルがふたつ。その一つに、裸の幼女が身体を丸め、震えている。
「……まずいな」
「衣類、医薬品、食料」
しえるは男の子の髪の毛を撫でた。
「どこにあるか、わかる?」
「こっち」
男の子は小さく答えた。
しえるはごっそり抜けた髪の毛を床に落とし、ドームから通路に出た。
いくつかの小部屋を回り、幼女に服を着せ、保存水を飲ませた。薬剤室の冷蔵ケースから救命医療キットを発見した。バイタルセンサーを胸に貼ると、妹はオレンジ、兄は赤を表示した。俺は二人を床に寝かせ、圧搾注射器で強心剤を投与した。
幼女が身体を痙攣させ、ごぼりと胃液を吐いた。
「そこに座って抱きかかえろ、顎を肩にのせて」
俺はしえるに幼女を預けた。
「背中をさするんだ」
しえるはいわれた通りの動作をした。幼女は咳き込みながらまた胃液を吐き出す。
「ああ」
しえるは残念そうに言った。
「戦闘服が汚れちゃった」
床に寝かせた少年のバイタルセンサーが警告音を発し、明滅した。
「AEDを取って来る」
俺は急いで診察室に向った。
戻って来ると、しえるは女の子を抱えた姿勢のまま、こちらをぼんやり見上げた。
俺は横たわった少年の前に座り込んだ。
「停止したよ、さっき」
しえるは言った。
「この子、死んじゃったね」
俺はがくりと肩を落とした。
「これ以上の処置はできなかった。僕は医療情報を持っていないし、船とのリンクも切れているから対人医療データにもアクセスできない」
銀髪の少女は書類を読むように言った。
俺は腕を伸ばし、男の子の虚ろな眼を閉じた。
「おそらくカプセルから出た時点で深刻な状態だったと思う。発見した時のこの子は、今にも倒れそうに歩いていたから」
「……うるさい」
俺は低く唸った。
「黙れ」
「仕方ないよ。君にも僕にも責任はないよ」
「黙れ!」
俺は怒鳴った。
「ぶん殴るぞ!」
しえるは眼を見開いて俺を凝視した。
「どうして怒るの?」
「……」
「どうして僕を怒るの?」
「……」
「ねぇ?」
「……」
「答えてよ」
「……」
「ひどいよ」
しえるは叫んだ。
「ひどいよ!」
俺は黙って立ち上がった。本当に殴りそうだった。
「非常口に行っててくれ。食料を取って来る」
俺はしえるから眼を逸らした。
「地上に戻るぞ」
備蓄倉庫に乾燥食品のパックがあった。俺は箱を抱えて通路を進み、入って来た非常口に急いだ。
ドアの前にしえると幼女の姿はない。非常階段の中に入って見上げると、頭上の暗闇に小さなマグライトの光芒が揺れている。
「あの馬鹿女!」
俺は本気で怒った。
「勝手に先に行きやがった!」
俺は二人の後を追った。暗闇の中で箱を抱え、流動素体の脚を操作して階段を上がるのは困難を極めた。結局追いつくことはできず、俺は地上階のドアを開いた。
しえるは幼女を片腕で抱え、ガラスの散乱するフロアに立っていた。
「おまえ……?」
「僕が途中で倒れると思った?」
銀髪の少女は冷たい目で俺を見た。
「残念でした」
少女は床から小型の装置を拾い上げた。
「これ、中継増幅装置」
「……」
「僕が倒れたら置いて行くつもりだった?」
「……」
「そういうのが楽しいんだ?」
「……」
「君って最低」
しえるはくるりとターンすると、ビルの外に出て行った。
俺は脚を引き摺りながら後を追った。機動戦闘車は後部の乗降扉を開いたまま待機していた。
「乗る?」
しえるは操縦席から言った。
「それとも食料だけ置いて行く?」
俺は黙って乗員室に乗り込んだ。背中を突き飛ばすようにして扉が閉まる。
装甲車は発進した。
俺はしばらく迷ってから、箱をシートに置き、そろそろと車長席に身体を伸ばした。
しえるは幼女を腕に抱えたまま、前方を映すディスプレイを見つめている。
シートに座り、静かにベルトを締める。表示されている地図を見ると、装甲車は何度も角を曲がりながら都市部を抜けようとしていた。陸地戦艦が通行できる直線ルートが一本だけ示されている。
揺れる車内に、モーターの駆動音と幼女の苦しげな息づかいだけが聞こえる。
俺はそっと横の席を盗み見た。
女の子はストローのささった飲料水パックを大事そうに持っている。その胸元も、しえるの胸も、吐瀉物にまみれていた。
「……この子も、だめみたい……」
しえるはつぶやくように言った。
「船に戻れば、対処法が」
俺は小さく言った。
「船には戻れない」
しえるは、はっきりと言った。
「偵察を続ける」
重苦しい無言の時間が長く続いた。
やがて、しえるはぽつりと言った。
「……ごめんね……」
俺は、はっとして視線を向けた。
しえるは膝に抱えた幼女の顔に視線を落としていた。
「……ごめん……助けてあげられなくて……」
「……おまえのせいじゃない」
俺は小さく言った。
「話しかけないで!」
しえるは弾けるように叫んだ。
再び、長い沈黙の時が流れた。
すでに装甲車は砂漠地帯に入り、砂に覆われた道路を南下し続けている。太陽は西に低く傾き、オレンジ色に染まった砂漠に装甲車の黒い影を長く伸ばした。
「君は」
唐突に、しえるは言った。
「人間だよ」
俺は言われた通り黙っている。
「知識はともかく、人間の性格が移し込まれている」
幼女が力なく咳き込んだ。しえるはこちらに片手を伸ばした。
「注射器を」
俺はアンプルを交換した圧搾注射器を手渡した。強心剤を打たれた女の子は眼を閉じ、苦しげな寝息を立て始めた。
「人間は間違いを起こす」
夕闇が濃くなり、太陽が地平線に没した。しえるは視覚を赤外線映像に切り替える。
「たくさんの間違いを起こす。それが人間だ」
「俺も……」
俺は声を絞り出した。
「同じだ」
「僕は君を人間として認識することにした。だから君が間違いを起こすのは当然だ。だって人間なんだから」
「……」
「君は沢山間違いを起こした。そしてこれからも沢山間違いを起こすだろう」
「……」
「でも僕は大丈夫。何をいわれても気にしない。だって君は人間なんだから」
「……」
「僕は大丈夫。なんともない」
「おまえ……」
俺は少女の横顔を見た。
「泣いているのか?」
「君は、本当に、馬鹿だな」
しえるは小さく笑った。
「作業体が泣けるわけないだろ」
俺の眼には少女の頬が光っているように見えたのだ。
「ああ、そうだ。人間ならこう言うのかな」
「え?」
「本当は、泣いているんだ」
「……」
「心の中で」
俺はシートの上で真っ直ぐに身体を伸ばし、前方に折り曲げた。
「すいませんでした」
「……」
「すまなかった、しえる」
「……」
「おい?」
「……苦しいよ」
「……」
「悔しくて、情けなくて、苦しくて、たまらない」
「……」
「こんな気持ちでいたら、壊れちゃうよ」
「……しえる……」
「……お願いします」
「……」
「……僕をこれ以上悲しませないで」
しえるは声を詰まらせた。
「……君を嫌いになりたくない」
俺は更に身体を折り曲げ、深々と頭を下げた。
「本当に、すいませんでした」
しえるは眼をきつくつむり、唇を噛みしめている。
「本当に本当に本当に本当に本当に、すいませんでした!」
百万回繰り返しそうだったが、なんとか自制心でブレーキをかけた。
「俺は馬鹿だ。うんこだ。認める。でも改める。もうひどいことは言わない」
俺は堰を切ったように言葉を発した。
「約束する。それでも俺は馬鹿だからまたなんか言うかもしれない。そしたら殴ってくれ。蹴ってくれ。戦車で轢いてもいいし爆破してくれてもいい。いやむしろそうしてくれ。お前を傷つけるような馬鹿は存在しないほうがいいんだ。もうおまえを悲しませたりはしない。約束する。本当に約束する」
俺は大きく息を吸った。
「だから俺を、嫌いにならないでくれ!」
「……」
しえるは片手で顔を覆い、震える吐息を漏らした。
「しえる!」
「……本当に?」
しえるは、かすれた声で言った。
「……もう……ひどいこと言わない?」
「本当だ!」
「……ひどいことしない?」
「しない! 絶対に!」
「……」
「本当だ。信じてくれ!」
「……君は嘘つきだ」
「嘘じゃない」
「証明して」
「できるわけないだろ!」
俺は思わず叫んだ。
しえるはじっとりした眼で俺を睨んだ。
「あ、いや、その」
俺は狼狽えた。
「おまえを守る。大事にする。この車輛の整備と掃除もする。ぴかぴかにしてやる」
「それだけ?」
「塗装を塗り替えよう。ソーラーパネルも交換する。タイヤはまだいいよな。あと閉鎖装置も修理して好きなだけ撃てるようにしてやる」
「それだけ?」
「ええと、あとおまえの戦闘服を洗濯する。ヘアスタイリングとか、メークもする。汚れたらボディの洗浄もする」
「エッチ」
「あ、いや、それはものの例えで」
「それだけ?」
「まだだめか?」
俺は呻いた。
「もういいよ」
しえるはぷいと前を向いた。
「どうすればいいんだよ!」
俺は悲鳴を上げた。
「さぁ、どうしよっかなー」
しえるは低くつぶやくと、ディスプレイに眼をやった。
「頼むから、もう許してくれ」
俺は懇願した。
「……」
「わかった。言うよ。言えばいいんだろ」
「……」
「俺は、おまえが好」
「待って!」
しえるは手で俺を制した。
「なんだよ!」
「なに、あれ?」
前方の砂漠から、細い光の筋が垂直に立ち上がり、すぐに消えた。
「また光った」
少女は眉根を寄せた。
「二発目だ」
「二発……」
しえるはすぐに気づいたらしい。
「レーザー砲か?」
「うん」
装甲車はぐんとスピードを増した。
「行こう」
「しかし、なんで砂漠のど真ん中でレーザーが……」
「わからない。でも危険だ」
しえるはディスプレイを凝視し、表情を引き締めた。
「今夜は止まらないよ」




