レディ アンド ガーディアンズ;2
俺は、ただトイレに行きたかっただけなんだがな。
何で、こんなことになってしまったのだろう。ナゴヤ・セントラル防衛軍、カガミハラ駐屯地軍政部警察隊所属のメカヘッド巡査曹長はぼんやりと考えていた。
完全に迷ってしまっていた。それに歩き疲れていた。
スポーツ観戦とか、競技場とかに不慣れだから、そもそもオーサカ・セントラル・サイトに土地勘がないから。そういう事も大きな理由だとは思うが。この町そのものが持つ雰囲気にも、慣れない。……何というか、近いのだ。人との距離感が。
ドーム競技場内の、決して広くない廊下を往来する人同士の距離感さえも、なんとなく近いような、気がする。人が押し寄せてくるような圧迫感というか、息苦しさを感じて、判断力が鈍っていたのも確かだ。だからって、何で、俺はこんな……
目下の闘技場内では、アオ投手が投げたボールがキャッチャーミットに突き刺さった。ガラスシート越しでも届いてくる、銃声のような破裂音! 彼女のボールが音速を超え、空気の壁をブチ破った証だ。
「『ストラーイク! ……アウトォ!』」
インカムに拾われた審判の声が、スピーカーからVIPルームの中に飛んでくる。そして会場内のどよめき声。実況者の声が、それらに負けじと響き渡った。
「『すごい! すごいとしか言いようがありません! 何なんだあの剛速球は?』」
「まあ、本当にお見事ですわね! あのピッチャーの方!」
目の前で、白いワンピースに身を包んだ若い娘が両手を合わせてニコニコしている。年のころは二十歳になるかならぬか、といったところだろう。無邪気な明るさと上品さを兼ね備えた振る舞いに、メカヘッドは感心していた。
ウチの“お嬢”も、これくらいお上品であったらどれだけ楽か……いや、それはないか。
髪を明るく染め上げ、スカジャンとダメージ・ジーンズ、トゲトゲのアクセサリーを好んで身に着けるあの娘が、お上品に振舞おうとしている姿を想像し……なんとも気味の悪い! メカヘッドはすぐに、思い浮かんだイメージを振り払った。
「うふふ。いかがですかしら、ムラマサ理事? わたくしが見込んだ選手は?」
目の前の“お嬢様”は上機嫌で、ソファに腰掛けている壮年の男に声をかける。
「これだけのボールを投げる選手が所属しているチームですもの、今年の優勝候補とされているのも、当然だとは思いませんこと?」
「まあ、確かに……確かに、とんでもないボールだ。人間離れしている。文字通り、な」
ムラマサ理事と呼ばれた男は額に青筋を立てていたが、努めて平静を装っている風だった。ふう、と息を吐きだすと、胸を張ってソファから立ち上がる。
「しかしだねケイカお嬢さん、ヤキューというものは、個人の力だけではどうにもならんもんだ。一般的な組織経営と同じさ。いくら投手が上手かろうと、点が取れなければ……」
壮年の男がぺらぺらとまくし立て始めた時、快音が響いた。実況者が叫ぶ。
「『打ったァ! ナゴヤ・セキュリティズの一番打者赤池ソラ! 一打席目一球目で、早々にイイ当たりだ!』」
場内がざわめく。ケイカも胸を張って、ムラマサ理事に向かい合った。
「いかがですか、ムラマサ理事? これなら、得点の方も期待できそうですわね?」
ムラマサ理事は両手を握り込んで「ぐぐぐ……」と小さく唸っている。ケイカは相手の顔を覗き込んで、にっこりとほほ笑む。
「それでは先ほどのお約束、何卒お忘れなきようにお願いいたしますね? もしも“ナゴヤ・セキュリティズ”が“セントラル・ダービー”を優勝した時には……」
「ああ、わかっとる、わかっとる!」
ムラマサは不愉快そうに声を上げ、開いた両手を頭上に掲げた。
「“ナゴヤ・セキュリティズ”が優勝したら……約束した通り、年末の特別番組に君が推薦するアーティストの枠を確保しようじゃないか! ミュータントだろうが、なんだろうが、君の希望をなんだって聞いてあげるとも!」
「確かに言質を頂きましたわ。お忘れなきよう……うふふふふ」
「もちろんだとも、ははは……」
ますます機嫌よくほほ笑むケイカと、とうとう不機嫌を隠さなくなったムラマサ理事。
“ミュータント保護団体”の代表と、オーサカ・セントラルの財界を牛耳る企業連合の大立者が密室で顔つき合わせて、愉快なおしゃべりなぞするはずがない! 面倒事の臭いしかしないぞ、勘弁してくれよ……
メカヘッドは背筋にぞわりと走る居心地の悪さに身震いした。悪だくみや裏工作は、自分で舵を取るから楽しいのであって……見ず知らずの人間の、それも全く縁のない土地の厄介事に巻き込まれるのは勘弁してほしい。
「あの、お手洗いを使わせていただき、ありがとうございました。ワタクシはその、友人を待たせておりますので、これで……」
「あら、あら! お待ちになってくださいな!」
ケイカはにこやかな表情を崩さずにメカヘッドを呼び止める。
「せっかくおいでになったんですもの、オーガニック・シャンパンはいかがです? それともフレッシュなオーガニック・フルーツがお好きかしら? このお部屋についているサービスなので、お気兼ねなくお召し上がりになって」
てきぱきと動き回り、メカヘッドの周りに果物と酒瓶、オードブルの類が山のように積みあがっていく。
「い、いや、その……」
たじろぐメカヘッドに、ケイカはずいと顔を近づけた。
「お願い申し上げます。わたくし共は今、大切な相談をしている最中なのですが……立ち会っていただけるような方がいらっしゃいませんでしたの」
「ワタクシに、証人になれっていう、事、です、か……?」
ほらきた! 厄介事がきた!
「他のセントラルの防衛軍関係の方なら、心強いですわ。わたくしの側にも、ムラマサ理事の側にも、利害関係はありませんもの。……ねえ?」
「まあ、そうだな。口約束だけでは、後からどうとでも言い逃れすることができる」
ムラマサ理事は「ふうむ……」と勿体つけた風に、自らの顎を撫でた。
「私からも頼むよ、君。なあに、仕事に障るようだったら、こちらからナゴヤ防衛軍に話を通す用意があるから……」
逃げ道まで塞ぎにきた! なんで最初に名乗っちまったんだ、俺のタワケ!
「ハハハハ、お構いなく。有給はまだ残ってますから!」
メカヘッドは乾いた笑い声をあげながら、腰を浮かせかけていたソファに再び沈み込んだ。
「いやあ、いいソファですなあ! ここでしばらく、お二人の話を聞かせてもらいながらヤキュー観戦を楽しむとしますよ、ハハハハハ……」
胃が痛くなるような試合観戦がはじまった。セキュリティズの選手たち……投手のアオが三振を奪うたび、打者のパワーアシスト・スーツ装着者チーム“トライシグナル”が得点するたびにケイカは無邪気に喜び、ムラマサ理事は不満も露わに眉間にしわを寄せる。
壁際のソファに腰掛けたメカヘッドは、ひたすらオーガニック・オレンジの皮をむいては、中身を口の中に放り込んでいた。
「『……これにて試合終了!』」
アオ投手が最終打者を難なくねじ伏せると、実況者が叫ぶ。
「『11対0で、ナゴヤ・セキュリティズの完封勝利です!』」
実況者の声に、メカヘッドは胸をなでおろす。よかった、ようやく終わった……
「やった! やりましたわ、メカヘッドさん! ムラマサ理事も、見ていまして?」
ニコニコしながら喜ぶケイカ。ムラマサ理事は首をすくめながら、ぱち、ぱちとまばらに手を叩いてみせた。
「ええ、ええ、見ていましたとも。まずは一回戦、おめでとうございます」
「はい! このまま優勝めざしていきますわ」
「おっと、まだ第一試合が終わったばかりですよ? 順調にいけば、オーサカとナゴヤは決勝戦でぶつかることになるんだ、まずはお互いのチームが勝ち進んでいくことを祈りましょう」
ムラマサはそう言いながら、ブリーフケースを手に立ち上がった。
「それでは、本日はこれで失礼しますよ。同時に進めないといけない案件が、いくつもありますのでね……」
大股でせかせかと歩き去っていくムラマサ理事。ドアが音を立てて閉まると、メカヘッドもようやくソファから立ち上がった。
「やれやれ、それではワタクシもこれで失礼しますよ……」
出口に向かおうとするメカヘッド。ケイカは小走りに駆け寄ると、メカヘッドの前に立ちふさがった。
「お待ちになって!」
「またぁ?」
思わず率直な不満の声を漏らすメカヘッド。
「……ああ、いえ、失礼しました! ですが、今度は何です? いい加減、友人のところに戻りたいんですが」
「ご友人、というのは“ストライカー雷電”という方ではなくて?」
ケイカの言葉にメカヘッドはぎょっとして、くたびれていた背筋を伸ばす。
「どうして、その名前を?」
「存じ上げておりますわ。“ストライカー雷電”様のカガミハラやナゴヤ、そしてオーサカでのご活躍も。ミュータントの方々を守るために闘ってきたことも、よぉく存じ上げておりますとも。うふふ……」
そう言って、ミュータント保護団体“平穏なる木漏れ陽の会”代表のケイカ・ナゴノは静かにほほ笑むのだった。
(続)




