9・おっさん、モンスターを退治する
イノイック近郊の森。
そこを——この辺りでは見慣れない——美女が走っていた。
美女の後ろには、獰猛なモンスター。
「グギャァァァァアアアアア!」
モンスターは森中に響き渡るような声を出して、美女を追いかけてくる。
どうして、私だけこんなに不幸にるんだろう——。
美女はモンスターに追いかけられながら、そんなことを思った。
やっとのことで、あの場所から逃げ出したのに、こんなことになるなんて。
自分は非力だと分かっている。
だから、モンスターに追いつかれてしまえば自分なんて——。
「キャッ——!」
ここまで来るのに疲れもあったのか、足がもつれて転んでしまう。
「グギャァァアアアアア!」
それを見て、モンスターは歓喜の雄叫びを上げる。
美女はガタガタと震え、モンスターを見上げながらこう叫んだ
「だ、誰か——助けて!」
それを叶わぬ願いだと分かっていても——。
◆ ◆
「ふう……こんなところか」
イノイック近くの森。
俺は薬草を摘むために足を運んでいた。
「やっぱ薬草を摘むってのはスローライフだな……」
前回の湖の主事件で、懐事情は少々暖かい。
だが、あれはもう少し別のところで使いたいと思ったので、貯金することにしている。
なのでお金を稼ぐ手段となったら、もっぱらこうして薬草を摘むくらいだ。
「これだけあったら、結構良い金額になるだろう」
俺は近くに摘まれた一万束の薬草を見て、一人そう呟く。
スローライフに関することが過度に実現する。
今まで十年以上。
役立たずだと思っていたスキル【スローライフ】であるが、どうやら女神いわく、そういう能力が隠されているらしい。
そのスキルのおかげで、俺はちょっとばっかし楽にスローライフを実現出来ている。
「そろそろ帰るか。ってか持って帰るの大変だよな」
異空間にアイテムを収納することが出来る『アイテムバッグ』でも買おうか。
いちいち、何往復もして薬草を持って帰るの大変だし。
いや、アイテムバッグは高価なアイテムだ。
となるとあまり無駄遣いしたくないし……。
そんなことを考えていた時。
「だ、誰か——助けて!」
森にそんな澄み渡るような声が響いたのは。
「えっ? 一体、どういうことだ」
一瞬、思考停止に陥ってしまう。
「グギャァァァアアアアアアア!」
さらに続けてモンスターらしき声も聞こえてきた。
「も、もしかして誰かモンスターに襲われているのかっ?」
この森にはあんまりモンスターがいないはずなのに!
だが、考えている暇はない。
俺は自然と誰かの悲鳴の先へと駆け出していた。
急いで駆けた場所にいたのは……、
「キ、キングベヒモス!」
でかい!
キングベヒモスは獰猛な牙を輝かせ、暴れ回っていたらしい。
周りの木々がなぎ払われ、戦場のようになっている。
「た、助けてください!」
キングベヒモスに視線を奪われている時。
胸に何者かが飛び込んできた。
俺はそいつの両肩を掴み、離して顔を見る。
「き、君は……?」
「私はリネアと申します! モンスターに襲われていまして……」
琥珀色の瞳をした美しい女性であった。
思わず見とれてしまう。
「俺は——いや、自己紹介は後だな。とにかく今はこいつをやっつけないと」
女性を俺の背中に隠すようにして、モンスターを見据える。
キングベヒモス。
勇者パーティーにいる頃、何度かやり合ったことがある。
とても凶暴なモンスターで、人を見れば間違いなく襲いかかってくる。
その強さはSランク冒険者が複数人いて、やっと退治出来るくらい。
……だっけな?
いや、勇者のジェイクの冒険者ランクはSSSだったので、キングベヒモスくらい一撃で倒していたが。
しかし。
「俺が簡単に敵う相手じゃないよな」
「グギャァァアアアアアア!」
キングベヒモスは今にも襲いかからんばかり、大口を開けている。
俺は戦闘力が皆無なのだ。
勇者パーティーにいた頃から、戦闘中の俺の役割は『邪魔にならないように隠れながら応援する』だったしな。
だからここで俺が出来ることは。
「とにかく、ここは逃げるぞ!」
本当はカッコよく倒したいところだが、勝てないものは仕方ないのだ。
俺はキレイな女性——リネアの手を取って、キングベヒモスに背を向けた。
しかし——瞬間、キングベヒモスが俺達の前に回り込む。
「クッ、早い……」
キングベヒモスの恐ろしいところは、それだけの巨体ながら、俊敏な動きを見せるところである。
キングベヒモスが前足を上げ、牙を振るってきた。
「——っ!」
それがやけにスローモーションに見えた。
死ぬ時、やけに周りの風景が遅く見えると聞く。
これはそれなのか?
ああ、俺はこんなところで死ぬのか。
俺はただスローライフをしたかっただけなのに……。
——いや、俺は死ねない。
まだまだ俺のスローライフは始まったばかりなのだ。
それに、俺がここで死んでしまったらこの美女も同じように殺されてしまうだろう。
そんなことになってしまっては、死んでも死にきれない。
——ここでキングベヒモスの足下に薬草でも生えてきてくれれば。
薬草に足を取られて、転んでしまうかもしれない。
そう考えていた矢先、
ニョキッ。
ニョキニョキニョキニョキニョキニョキニョキニョキニョキニョキニョキニョキニョキニョキニョキニョキニョキッ!
なんと。
キングベヒモスの足下に薬草が生え、さらにその巨体をすっぽり覆えるような大きさまで成長したのだ。
「グギャァァアアアアア!」
その薬草は触手のようにうねり、キングベヒモスをそのまま拘束し、強く締め付けた。
「グ、グギャァァァァ……」
キングベヒモスの声がだんだんか細いものとなっていく。
やがて。
「…………」
目の色を暗いものとし、微動だにしなくなった。
「え、えーっとこれは……?」
薬草に拘束され、吊されているキングベヒモスを見ながら、自分の頬を掻く。
——薬草が成長し、キングベヒモスを倒してくれたということか。
これもスキル【スローライフ】のおかげだろうか。
《そうよ! だから言ったじゃない。あんたのスキルは使い方次第では魔王すらも——ってもう交信出来ないのっ?》
頭の中で女神の声も響いてきたが、すぐに途絶えた。
キングベヒモスに薬草が絡まって、一種の幻想的な銅像みたいになってる。
自然豊かな森の中に、ひっそりと佇む銅像。
そんな感じで、見ていると心が洗われていくようだ。
こういう心の洗浄みたいなのも、スローライフでは必須だろう。
とにかく一件落着だ。
「あ、あなたは……もしや名のある魔法使いでしょうか?」
「いや俺はただのおっさんだ」
「おっさん……?」
リネアが息を整える。
「えーっと、改めて自己紹介だね。俺の名前はブルーノ——」
改めてリネアをよく見て。
そこで言葉が詰まってしまう。
「き、君は……」
光り輝くような金色の髪。
髪から飛び出るような尖った耳。
強く抱きしめたら壊れてしまいそうな儚さ。
俺はこういう人達のことを、なんていうか知っている。
「もしかして……エルフなのか?」
俺の問いかけに、エルフ——リネアは首を縦に動かした。