75・その頃の勇者
一方、その頃勇者ジェイクは……。
「あら、あの汚い人は誰かしら?」
「なに言ってんのよ! 勇者ジェイク様よ!」
「えーっ! あの人が? もっとカッコ良かったのに……今は髪はボサボサだし、ただのおっさんみたいだわ……」
ジェイクが街中を歩くと、そんな囁き声が嫌でも耳に入ってくる。
(あ、あいつ等……ボクをなんだと思ってるんだ……!)
怒りが込み上げてきて、今すぐ鞘から剣を抜いて斬りかかりたくなる。
……はっ!
いけないいけない。
クールダウンクールダウン。
そんなことしてしまえば、仮に勇者であってもなにかしらの罰が与えられてしまうだろう。
それに、そんなことをしてなんになる?
ボクの陰口を叩いたヤツに斬りかかったとして、それでみんなの心が変わってくれるか?
冷静さを取り戻す。
(なんで、ボクはこんなに怒りっぽくなってしまったんだろう……)
死んだ魚の目をして街中を徘徊しながら。
ジェイクはイライラを抑え、そんなことを考えていた。
(そういや、最近外食しかしてないな……)
無論、ジェイクにとって外食にかかる食費など大したものではない。
しかし——不味いのだ。
ああいうものは、たまに食べるのだから美味しいかもしれない。
何回も食べていると、いかに——あのブルーノの料理が優れていたかはっきりしてくるのだ。
(あいつめ、一体どこに行ってるんだ! 今度、顔を見たら叩き潰してやる!)
ブルーノの顔を思い出しただけで、腹が立ってくる。
——無論、ブルーノをパーティーから追放したのはジェイク本人であったが、都合の悪いことは頭から消去していた。
「邪魔するよ」
ふらふらと歩き回り、やがて辿り着いたのは街にある唯一の武具屋だ。
「いらっしゃいませ……え、えーっと」
「ジェイクだ」
「あ、ああ! そうですよね! ジェイク様ですよね! いやいや、いつもモンスターを退治していただいてありがとうございます!」
最初は疑わしい目でジェイクを観察していた店主。
しかしすぐに目の色を変え、手をモミモミとしながら近付いてきた。
「それにしても……どうしたんですか?」
「なにがだ?」
「いや……酷い姿に見えますが。前見た時はもっと違っていたような……」
「ボクがかい?」
「はい」
そう言って、店主がジェイクの前に鏡を差し出してくる。
ボサボサの髪に、ポツポツと生えた無精髭。
服は何日間も洗濯していないため、所々汚れが目立ち襟はくたくた。
今まで小綺麗にしていたため隠せていたが、結局のところジェイクもただの三十路のおっさんなのだ。
いや、ただのおっさんどころか——これでは浮浪者にも見える。
(それもこれもブルーノのせいなんだ——)
内心悪態を吐く。
今までパーティー内において、家事や洗濯等は全てブルーノにやらせていた。
パーティー内での経理的な処理もブルーノ。つまり雑務を全てブルーノに背負わせていた。
そのブルーノがいなくなって、全て他のみんなで分担しなければならなくなった。
最初はこんなもん簡単だと思っていた。
誰でも出来ることだと思っていた。
しかし自分で手を付けて、その面倒臭さと大変さに三日で匙を投げた。
しかも今となってはベラミもライオネルもいないので、全てジェイクがしなければならない。
(お手伝いさんを雇うべきかな……)
そんなことをジェイクは考える。
だが、昔——お手伝いを雇って、そいつが金を持ち逃げしてからあまり利用したくない気持ちもある。
それになにより、手配するのが面倒臭い。
「いや、一週間くらいダンジョンに潜っていたんだ。そのせいで、洗濯だとか風呂に入ることも出来なくてね……」
店主にはそんなことを言って、適当に誤魔化す。
「そ、それはそうでしたか……! すいません!」
仰々しく店主が頭を下げる。
「それで……良い武器はないかな、と思って来たんだけど……」
「さようでございますか。どうぞご自由にご覧くださいませ」
「うむ」
ぶらぶらと狭い店内を歩き回る。
武器は良い。
何故なら武器は彼を裏切らないからだ。
どんなに扱うことが困難な武器であっても、全ての武器を使いこなすことが出来る【勇者の証】があれば、簡単に振るうことが出来る。
「なかなか良い武器を置いているね」
「さすがジェイク様、お目が高い。それは神竜の鱗で作った剣でございますぞ」
「ほほう? それは凄いじゃないか。さて、一本買わせてもらうおか——」
そう言って、財布を取り出そうとする。
しかし、その時に初めて——ジェイクは財布を持って来ていないことに気が付いた。
「おい、ブルーノ——」
そう言いかけて、止まる。
財布はいつもブルーノに持たせていた。
それは信頼していた、だとかそういうことじゃない。
ただ財布には端金しか入っていないし、仮にそのまま逃亡してもすぐに捕まえられる自身があったからだ。
(そういや……今はブルーノはいなかったんだっけな)
ブルーノがいた頃は、会計なんて面倒臭いことは全てやってもらっていた。
差し詰め、それはまるで召使いのようだ。
全く。
肝心な時にいないんだから!
自分でブルーノを追放した事実——それをちょいちょい頭から抜け落ちてしまうジェイクであった。
「……どうやら財布を忘れてきたようでね」
「さようですか」
「宿屋に置いてあるから、取ってくるよ」
「…………」
この時——武器屋の店主はなにも言わないが、内心では「武器屋に来たのに、財布を忘れるなんてドジすぎないか?」と思っていた。
あまりにも、自分の中のジェイクのイメージとかけ離れているのだ。
(本当に……ジェイク様なんだよな?)
懐疑心が出始めてきた店主である。
「それにしても——店主。神竜の鱗ってのは、どこかで神竜が出現したということかな?」
そんなことはつゆ知らず。
ジェイクは情報収集もかねて、世間話を振った。
「え、ええ……正しくは神竜には『遭遇』はしていないみたいなのですが……」
「遭遇はしていない? なのにどうして鱗なんて貴重品を手に入れられたんだ」
「神竜が近くを通過してみたいです。その時に、鱗が何枚か剥がれ落ちたみたいで……」
「成る程」
神竜——。
ドラゴンの中でも最も尊い存在と言われている。
神竜と呼ばれるドラゴンは『白竜』『黒竜』『赤竜』『青竜』『黄竜』の五体いると言われている。
あまり人前には姿を現さず、ひっそりと暮らしているだとか。
なのでこの辺りを通過する——それだけでも、ビッグニュースになりえるのだ。
「神竜がこの近くをね……」
「そのようです」
「ふふふ、なにか起こる前兆かもしれないね。これも良い機会だ。神竜を探すとでもしようか——」
「お言葉ですが、ジェイク様。この近くを通ったのは、大分前だと言われています。神竜の移動能力を考えれば、もっと遠く——例えば辺境の地なんかに行ってると思いますが」
「まあ暇潰しだよ。そんな遠くには行くつもりなんてないけどね。ここらへんを適当に歩き回ってみるさ」
勇者ジェイクであっても、未だ神竜とはご対面を果たしたことがない。
神竜を倒しちゃったりなんかしたら、これ以上の名誉を得ることが出来るだろう。
もっとちやほやしてくれるかもしれない。
「じゃあ行くとしようか」
そう言って、ジェイクは武器を後にした。
「……結局、武器は買ってくれないのかよ」
ジェイクが店からいなくなったのを見計らって、ぼそっと店主は悪態を吐いた。
——結局、しばらく探し回っても神竜は見つからなかったので、ジェイクは探索を諦めるのであった。




