5・おっさん、釣りを始める
「ディック、おはよう」
起きてから。
俺はマリーの様子を見に行くため、ディック達の家へと訪れていた。
「おお……おっさ——ブルーノ——」
「だから『おっさん』で良いと言っただろ?」
「むむむ。やっぱりマリーの命の恩人だから、おっさんとは呼びにくいが——まああんたがそれで良いっていうなら、おっさん——あの小屋はどんな感じだい?」
ディックは家の屋根へと昇って、なにやらトンカチとトントンと叩いていた。
腕まくりし、頭にはタオルを巻いている。
「良い感じだ。ちょっと汚れているけど、まあそれは掃除すればいい」
「悪いな……もっと良いとこを紹介してやりたかったけど」
「気にするな。それに——これもスローライフっぽくて、これはこれで良い」
「すろーらいふ?」
ディックはトントンとやる手を止めて、首をひねる。
「おっさん、前も言ってたけど『すろーらいふ』ってのはなんなんだ?」
「スローライフってのは、必要最低限のものだけを貰ってゆっくり生活することさ」
「それのなにが楽しいんだ?」
「ディックも大人になれば分かる」
そんな会話をしていたら、
「おっちゃん!」
家の中から何者かが飛び出してきて、俺の腰のところに体当たりをかましてきた。
「おっちゃん、ありがとう! おっちゃんのおかげでマリーの病気が治った、って聞いたの!」
頬を俺の腰に擦りつけるようにスリスリしている女の子。
「マリーちゃん、元気そうでなによりだよ」
そう。
昨日まで渇血症に侵されていたマリーちゃんである。
喝血症の時は顔が青白く生気のないものであったが、今はピンク色の頬をしており、元気はつらつとしている。
これが元々のマリーちゃんの姿なんだろう。
「そういや、ディックの方こそなにをしてるんだ?」
「家の補修だよ。マリーが病気の時は、雨漏りしててもなかなか手を付けられなくてな」
「成る程な。ディックもスローライフっぽくて良いじゃないか」
自分で大工をする。
それが職人技じゃなくても十分。
俺も今の家でやってみようか。
改修したら、あの家もさらに住みやすくなるだろう。
考えるだけでワクワクしてきた。
でも……。
「そういや、おっさん。これからなにをするつもりだ?」
「うーん、あまり深く考えていないけど、今日のところは釣りをしようと思ってね」
「釣りか。良いじゃないか。あの湖には魚も豊富らしいし」
「おお、それは良いことを聞いた——それで釣り竿かなんか買うお店はないかな、と思ってね」
「釣り竿か……ちょっと待ってろ」
ひょいっと家の屋根から飛び降りるディック。
そのまま家の中へと入っていき、二本の竿を持って戻ってきた。
「よくマリーと一緒に釣りに出掛けてたんだ。良かったら、これを使ってくれよ」
「おお! ありがとう!」
正直——お店を聞いてもお金がないので、薬草を摘んで稼ぐところから始めないといけなかったので、ディックには助かる。
「おっちゃん、釣りをするの?」
マリーが俺の腰に手を回したまま、顔だけを上げる。
「そうだ。よかったらマリーちゃんも来るかい?」
「うん! 行く!」
子どもらしい笑顔の花を咲かせるマリーちゃん。
「ディック」
「ああ、もちろん良いぜ。で、でもマリーを口説くんじゃねえぞ? い、いくらおっさんでもそれは許さないからなっ!」
「ハハハ! マリーちゃんとはいくつ歳が離れていると思ってるんだい」
少なくても二十は離れているだろうし、マリーちゃんを『女』として見ることは出来ない。
とっても可愛い女の子だから、後十年もすれば美人になると思うが。
「むーっ!」
「痛い痛いっ! マリーちゃん、どうして手を噛んでくるんだいっ?」
慌てて振り解くと、右手にはマリーちゃんの歯形が出来ていた。
「……マリーだって、あと四年で成人だもん。結婚出来るんだもん」
この世界の法律では、十四歳で『成人』と見なされ、結婚することも出来る。
とはいえ、結婚に関するルールはその国や領地によって様々で、あくまでふわっとしているものであるが。
でも。
どうしてマリーちゃんがそんなことを言うのか。
分からずに、首をひねる。
「ま、まあ……とにかくマリーちゃん、釣りしに行こうか!」
「うん!」
マリーちゃんが再度、腰に手を回してくる。
もしかして、このまま歩かないといけないのかっ?
歩きにくい。
「ああ——そういや、おっさん。一つだけ言い忘れていたことがあった」
一転。
最後にディックが真剣な声音で、
「あの湖には『主』と呼ばれる存在がいると言われているんだ——まあ誰も見たことないし、ないと思うけど——そいつにもし出くわしたら、全力で逃げろ。
そうしないと、おっさんなんかあっという間に食われちまうんだからな」
◆ ◆
早速、マリーちゃんと俺の家がある湖までやって来た。
「でも……釣りってどうすればいいんだ?」
そういや、やったことがない。
「糸の先に餌を垂らすの! 餌は虫とかでいいと思うから!」
「成る程」
マリーちゃんに教えてもらった通り、近くの虫を捕って糸の先にある針に通す。
「そして、この虫がついたものを遠くまで放り投げるの!」
ひゅいーん。
マリーちゃんが竿を振ると、糸の先に付けられた虫が湖の中心くらいで落下した。
「成る程。それで虫を餌に魚を釣るわけだな」
「楽しいの! おっちゃんもやってみるの!」
マリーちゃんと同じように竿を振る。
——十分後。
「わあい! 早速、お魚ゲットなの!」
マリーちゃんが喜びながら、魚をバケツに入れている。
「さすがだよ」
とはいっても、マリーちゃんの釣り上げたものは小魚。
これではお腹も一杯にならないに違いない。
しかし——。
「俺の方は……釣れそうにないな」
マリーちゃんが最初の一匹目を釣ったというのに、俺の方は魚が近付いてくる気配もしない。
「仕方ないよ。お兄ちゃんが言ってたけど、釣りってのは気長に待つものだと言ってたの。水の流れでも見ながら、ゆっくりと待つのが良いと思う!」
「そういう考え方もあるのか」
まさにスローライフっぽいじゃないか。
そうなのだ。
別に釣れなくても問題ないじゃないか。
釣れなかった時は、近くの山菜でも採ればいい。
時間に縛られる必要もない。
俺はぼーっと水面を眺めていると、
「おっ」
「糸が引いているの! おっちゃん、早く竿を引いて!」
「ほい、きた!」
くっ、魚って結構重いんだな。
竿を引いて、糸をたぐり寄せる。
「——ふんがっ!」
地面からなにか引っこ抜いた時と同じような感覚。
結構、大物なんじゃないか?
そう思って、釣れたものを見てみると、
「お、おっちゃん! 凄いの!」
「えっ?」
——糸の先には十匹の魚が釣れていた。
「す、凄すぎるのっ! 一気に十匹の魚を釣るなんて……」
それを見て、マリーちゃんは愕然とした。
「一気に十匹も釣るのは珍しいことなのか?」
「珍しいもなにも……初めて見るよ! だって、糸の先には一匹の小さな虫しか付いていないんだよ? それなのに十匹も釣り上げるって……どういうことなのか分からないの」
ふむ。
これもスキル【スローライフ】のおかげで、他の人よりちょっとだけ上手くいったんだろう。
「釣りってのも案外楽しいんだな。この調子でどんどん釣り上げるぞ!」
「分かったの!」
「そして……今日のディナーは魚料理だ!」
「魚料理! マリー、お魚大好きっ!」
そのまま俺達は釣りを再開したが、程なくして俺が百匹目の魚を釣ったところで今回は終了した。