16・おっさん、ジジイにぎゃふんと言わせる
「な、なにをするんですかっ!」
リネアの悲鳴が聞こえてきて、すぐに視線をカウンターに向ける。
「フハハ、良いではないか良いではないか」
見れば、おじいさん——いや、喫茶店潰しのジジイがリネアの尻を撫でていたらしい。
「なんだ、その反抗的な目は?」
ギロッと目を向けられる。
しかしうちの店員——リネアを困らせるようなヤツに怯むわけがない。
しっかりとジジイの目を見据える。
「ククク……良いではないか。ここのウェイトレスはなかなかの美人のようだ。それだけでこの店の評価も上がるというものよ——フハハ——ゴ、ゴホゴホッ」
ジジイが高笑いをしたが、すぐに咳き込んだ。
「ク、クソ……」
「ブルーノさん!」
殴りかかろうとする俺を、リネアが制してくる。
「私のことは気にしなくていいですから。美味しいコーヒーを入れて、あのジジイを黙らせましょう」
そう言って、リネアがニコッと笑みを見せた。
だが、温厚なリネアでさえジジイをジジイと呼んでいるのだ。
内心怒っているに違いない。
俺の方はリネアの笑顔を見て、少し頭が冷えてきたが、それでも怒りは完全に収まらない。
くっ、先ほどの光景がフラッシュバックして、コーヒー作りに集中出来ない。
ダメだ——。
もしかしたら、このままではジジイに『美味しい』と言わせることが出来ないのかもしれない。
《それで良いのよ。あんた、スキルに身を委ね、願望を露わにしなさい。
怒りによって集中力をなくしている……つまりスキルに身を委ねている状態。きっと最高のコーヒーが出来るはずだわ》
女神がなにか言っているが、ろくに耳に入ってこない。
「お待たせしました」
そう言って、ジジイの前にコーヒーを置く。
「うむ、なかなか香りはいいではないか」
ジジイの目の色が変わる。
「香りが合格だ。しかし肝心なのは味じゃ」
とジジイは早速、コーヒーを口にする。
——ああ。
もしかしたら、ダメなのかもしれない。
あんまり自信のあるコーヒーを出すことが出来なかったし……。
目を瞑りたい。
しかしそんなことをしたらダメだ。
ジジイの顔面を目に焼き付けなければ。
「——っ!」
カップから口を離し、ジジイが目を見開く。
そして——。
「う、旨ぁぁぁぁあああああああああい!」
と。
椅子から立ち上がって、そう叫んだのだ。
「な、なんだこのコーヒーは……! 芳醇な香りに、奥深い味わい。体の芯まで温かくなるような。懐かしくもあり斬新な味……! こ、こんなコーヒーを儂を飲んだことがないぞ!」
興奮気味にそう語る。
ジジイはそのまま震える手で、一気にコーヒーを飲み干してしまったのだ。
「お、お代わり!」
そう言って、ジジイはカップを差し出してきた。
しかし。
「ジジイ——いや、お客さん」
「ん? 気のせいかな。ジジイと言ったように聞こえ——」
「あなたに出す二杯目はない。リネアに悪戯をした代償は大きい。この店から出て行ってくれ」
隣でリネアがハッとした顔になる。
「そ、そこを頼む! 一杯飲んだだけで、もうお主のコーヒーの味が忘れられなく——」
「ジジイ、さっさと出て行った方がいいぜ。このおっさん、かなり怒っているみたいだから」
「そうなの!」
ディックとマリーちゃんも加勢してくれる。
「ちょ、ちょっと……ブルーノさん。そんなことをしたら……」
リネアはそう口にするものの、表情はどこか嬉しそうだった。
「——クッ。し、仕方ない。今日のところは帰ろう」
ジジイは体を小さくして、喫茶店から出て行こうとする時。
「ちょっと待てよ、ジジイ。リネアに言うことはないか?」
「す、すまなかった。また来させてくれ——いや、また来るからコーヒーを入れてください!」
そう言い残して、ジジイが去っていた。
「ふ、ふう〜、良かったぁ」
ジジイが店内からいなくなって、どっと体に疲れがのし掛かってくる。
他人に対して怒るなんて。
こんな経験、あまりしたことがなかったからだ。
やはり慣れないことはするもんじゃない。
「ブルーノさん、私のためにありがとうございました」
「いやいや気にするな」
「で、でも……これのせいで悪い評判が広まったりしないですかね?」
「あっ」
そういや、あのジジイは喫茶店潰しと言われているんだった。
ジジイが悪いことを吹聴すれば、誰もお客さんが来なくなるかもしれない。
「やっぱもう少し冷静になるべきだったかな」
「いや、オレはあれで良いと思うぜ」
「おっちゃん、カッコ良かったの!」
ディックとマリーちゃんがそう慰めてくれる。
開店一日目はディックとマリーちゃん、そしてあのジジイしかお客さんが来なくて、一抹の不安を覚えるのであった。
——しかしそれが取り越し苦労だったことが翌日に分かる。
何故なら。
喫茶店『すろーらいふ』の前に長蛇の列が並んだのだから。
◆ ◆
「こ、これはどういうことだっ?」
五・六席しかない店内であったが、あまりの繁盛っぷりに椅子を増やして、一度に十人まで相手にしている。
「おいおい、押すな押すな!」
「ちゃんと並んでくださいなの!」
臨時で手伝いをしてくれているディックとマリーちゃんが叫んでいる。
「なんでこんなに人が……」
「ブルーノさん。お客さんから聞こえてきたんですけど、どうやら昨日のジジイが原因のようです」
すっかりリネアもジジイ呼びしているんだな。
俺はコーヒーを作る手を止めず、耳だけをお客さんの方へ向ける。
「あのコーヒー男爵バルトロメが認めた喫茶店はここか!」
「コーヒー男爵が感動して涙を流したらしいぞ!」
「う、旨い! これはバルトロメが絶賛していたというのは本当のようだな!」
リネアの言う通り、どうやら昨日の一件が原因のようだ。
「ホッホホ。なかなか繁盛しているではないか」
お店に入ってきた人物に全員の注目が集まる。
「ジジイ……」
ジジイが歩くと、さーっと人が左右に分かれていく。
「儂はジジイという名前じゃないんじゃがの?」
そう言いながらも、ジジイはどこか上機嫌である。
「この行列はジジイが?」
「そうじゃ。儂がやったことだ。儂が一度声をかければ、これくらいは朝飯前だ。フハハ、礼はいらぬぞ。そんなことよりコーヒーを——」
「余計なことをするな!」
そう一喝すると、ジジイが「へ?」と口を半開きにする。
「お、俺が目指していたのはこんな繁盛している店ではない……こじんまりとして、一日に二人か三人しかお客さんが来ない。でもリネアと一緒なら頑張れる——ってな感じのスローライフ的なお店にしたかったんだぁぁぁあああああ!」