134・おっさん、豚汁でみんなを幸せにする
★ ★
(懐かしい匂いだ……)
蓋を開け、豚汁が目に飛び込んできた瞬間——シリルは懐かしさを感じていた。
今はゼニリオンという商業都市で暮らしてはいるが、シリルは元々辺境の地暮らしだ。
そこでメキメキと料理の腕を伸ばし、将来は世界一のコックになってやる、と思ったものだ。
(あの田舎では、よくこういうものを飲んでいたものだ……)
だが、こんなもので認めてはならぬっ!
所詮、三流コックが作った料理なのだからな!
ブンブンと首を振り、バカな考えを頭から吹っ切る。
ずずずっ。
豚汁を口にすると、優しい温かみが口の中に広がった。
そして意に反して、叫んでしまったのだ。
旨い——と。
◆ ◆
具だくさんの豚汁。
今回、デリシアルのオーナー、シリルに出した料理名がそれである。
『そうカッカせずに、これを飲んで落ち着け』
という気持ちを込めて、作らせてもらった。
豚のバラ肉にごぼう、人参やこんにゃくといった具材をふんだんに投入している。
味噌の匂いが店内に満ちていた。
シリルは一心不乱に豚汁を飲んでいたが……。
「シリル……?」
突如、シリルの瞳から大粒の涙がボロボロと零れてきたではないか。
「ぐっ。わ、私は……一体、今までなにを……」
嗚咽なんかも聞こえたりする。
みんなが戸惑っている中、片手にお椀を持ったままでシリルは続ける。
「長らく忘れていた……こんな感覚を。お金に目がくらんで、私はずっと過ちを繰り返していただけなのかもしれないな……」
そしてシリルはずずずっと豚汁を口にして、
「申し訳ない。今までの無礼を謝る。すまなかった」
と立ち上がり、俺と向かい合って頭を下げたのであった。
「目を覚ましてくれたか?」
「ああ。昔のことを思い出したよ。ずずずっ」
「そうか。それは良かった。もう邪魔はしないと誓えるか?」
「ずずずっ。当然だ」
「とにかく豚汁をテーブルに置こうかっ?」
ずずずっ。
言ってみてはみるものの、シリルは豚汁を離そうとしなかった。
こうしている間にも、豚汁をずずずっと口にしている。
「みなもすまなかった」
「オーナー……」
相変わらずお椀を片手に持ってはいるが——シリルは元デリシアルのコック達一人一人に頭を下げていた。
「今までのバカな私を気が済むまで、罵ってくれ」
なんてことを言いながら。
「ど、どうしてデリシアルのオーナーが改心したのっ? 百八十度性格変わっちゃってるじゃん!」
ビネガーがその光景を見て、目を丸くしていた。
「さあな……昔のことでも思い出したんじゃないか?」
「昔のこと?」
「ああ。誰にだって故郷はあるんだからな。今回はたまたまあの豚汁が、シリルの郷愁を駆るものだったんだろう」
まあ——悪人は最初から悪人というわけじゃなかったのだ。
それが人生の荒波に揉まれて、ちょっとずつ変わっていっただけで。
——とりあえず、一件落着といったところかな?
——その後、デリシアルは規模をこじんまりとしたものにして、再出発を果たしたとか。
◆ ◆
「私もさっきの豚汁が飲みたいです!」
シリルがお店を去っていくと、リネアが俺の肩を掴んでそう声を上げた。
「豚汁を?」
「はいっ! 丁度お昼休憩の時間ですし!」
リネアは「まだかまだか」と言わんばかりに、瞳を輝かせている。
「よし、分かった。みんなもいるか!」
「「「もちろんっ」」」
店員も声を揃える。
シリルに出した余りもあることだし、丁度良いだろう。
俺は厨房に行き、早速人数分の豚汁を作った。
「はい、おまちどおさま」
お盆に豚汁、そして白ご飯とたくさんを載せてみんなの前に持っていく。
「わあ、美味しそうですっ!」
リネアがテーブルから身を乗り出して、今にも豚汁にがっつきそうになっていた。
「じゃあみんな……いただきます!」
「「「いただきます!」」」
みんなが元気よく言って、豚汁に箸を付ける。
「「「……!」」」
豚汁を口にして、みんなは目を瞑って固まっていた。
「旨ぇ……田舎に残してきたお袋を思い出す」
「こんな美味しくて安心出来るものがこの世にあったなんて」
「オレ……今まで辛いことが多かったけど、生きてきてよかったよ」
みんなが口々に豚汁の感想を言う。
中には涙を流している者もいた。
うん。それだけ満足してくれるなら、料理を作った甲斐があったというものだ。
「俺も飲んでみようかな……」
湯気が良い感じに食欲をそそられた。
俺はゆっくり豚汁を口に付ける。
——自分で作っていて言うのはなんだが、一瞬頭が真っ白になってしまった。
そしてぼんやりと浮かんでくるのは、田舎の光景である。
勇者パーティーのジェイク、ライオネル。そしてベラミ。
三人で木の棒を持って、よく勇者ごっこをしていたものだ。
この豚汁は子ども時代の楽しかった頃を思い出させたくれた。
ゆっくり豚汁をテーブルに置く。
「次はご飯だな」
豚汁の具材に白ご飯がよく合った。
郷愁に駆られながら豚汁定食を食べていると、あっという間に時間が過ぎてしまった。
「「「ごちそうさまっ!」」」
みんなが手を合わせる。
もちろん、お椀の中はキレイに空になっていた。
「…………」
「ん? どうした。リネア」
リネアを見ると、箸を置いてなにやらぼーっとしていた。
「……い、いいえ。なんでもありません。とっても美味しかったなって、思ってただけです!」
だが、俺を呼びかけるとハッとなったようにして、リネアらしい笑みを作った。
「リネアに喜んでもらえると嬉しいよ」
「もちろんですよっ! ブルーノさんの料理は最高です!」
さっきのリネアのぼーっとした表情は気になるが、大したことはないんだろう。
「おっさん……本当にありがとう。こんな美味しいご飯を作ってくれて」
気付けば、ビネガーが俺の元まで寄ってきて、そう口にした。
「どうしたんだ。そんな改まって」
「いや……これでおっさんの料理が最後になるかも、って思ったらちゃんとお礼をしないとって思って」
ビネガーの名残惜しそうな顔。
両手には空になったお椀が持たれていた。
「……最後じゃないぞ」
「えっ?」
「昨日も言っただろ。出来るだけ、ゼニリオンには訪れるって。今度は俺の大切な人も含めて、だ。『さよなら』なんて……よそよそしい」
「お、おっさん〜」
そう言うと、ビネガーは感情を爆発させたようにして、俺に抱きついてきた。
ぐすっ、ぐすっと嗚咽を漏らす音も聞こえた。
「ブルーノさん。昨日のことってなんですか?」
あっ。
リネアがニコニコと笑みを浮かべながら、顔を近付けてくる。
「なんかビネガーちゃんと仲良くなってませんか?」
「ビネガーちゃん……? お、お前もしかして……ビネガーが女だということを最初から見抜いていたのか?」
「へえ? なにを言ってるんですか。どこからどう見ても可愛らしい女の子じゃないですか」
「そ、そうだよな……」
俺は全く気が付かなかったけど。
「それよりもブルーノさん。言ってください。昨日ビネガーちゃんとなにかありましたよね? さあ、さあ!」
「そ、そうだ! まだ豚汁が残っていたんだ! ごちそうさまって言ってしまったけど、オカワリ必要な人いるかっ?」
「ちょっと待ってください、ブルーノさん! 誤魔化さないでくださいっ!」
急いで厨房の方へ逃げると、リネアが追いかけてきた。
レストランは幸せそうな笑い声に包まれた。




