10・おっさん、エルフを摘む
その後、俺はエルフのリネアを連れて、ディックとマリーちゃんの家へと戻った。
「とうとう女の子——しかもエルフまで摘んでくるなんてな」
ディックがニヤニヤと笑みを浮かべて言う。
「おいおい、人聞き悪いことを言うなよ。俺はただ人助けをしただけだ」
「キングベヒモスを倒したんだろ? おっさん、そろそろ正体を明かしてもいいんじゃないか?」
「正体?」
「ああ。マリーから聞いたが、どうやらおっさん、湖の主を倒したらしいじゃないか。それに今回のキングベヒモスも倒すなんて、まともじゃない。実はSSSランク冒険者とかじゃないのか?」
ギクッ。
いや、別に俺はSSSランクではない。
ってか俺自身は元Dランク冒険者である。
だが、一瞬勇者パーティーに在籍していた、という事実がバレたかと思って表情を固まらせてしまう。
しかし——すぐ取り繕うように、
「なに言ってんだ。湖の主とやらは釣りをしてただけだし、キングベヒモスも薬草が急生長してくれたおかげなんだ」
「……薬草が急生長した、と言われてもなにがなんだかよく分からんが……」
ディックがジト目を向けてくる。
なんとか誤魔化すことが出来たか?
元勇者パーティー在籍なんてバレたら、悠々自適のスローライフを遅れないからな。
「今回のことも薬草を摘む、っていういかにもスローライフっぽいことをしていたおかげなんだ。つまり——エルフの女性リネアを助けられたのもスローライフのおかげだ」
「……そのスローライフというのがまだいまいち分かってないが、おそらく違うんだろうなというのはオレでも分かる」
そう言って、ディックはリネアに目をやって、
「それにしても、このエルフなかなか目覚めないな」
リネアはベッドで寝かされている。
相当疲労が溜まっていたのだろうか。
キングベヒモスを倒した後、すぐに気を失ってしまったのだ。
時折「うーん、うーん」とうなされているようであった。
小粒の汗が首筋に浮かんでいる。
——見れば見る程、美しい女性だ。
エルフというのは美男美女揃いと言われるが、まるでこの世のものじゃないような美しさである。
「むーっ、お兄ちゃん。エルフのお姉ちゃんの方ばっか見てる」
と頬をぷくーっと膨らませたのはマリーちゃんだ。
「そういえば——俺が渡したお金はどうしてんだ?」
湖の主を倒した際に頂いた例の端金である。
「ああ、あれならまだ中身は見ていない。マリーを将来学校に通わせてやろうと思ってな。そのための貯金だ」
ほほう、なかなか妹思いのお兄ちゃんだ。
まあ学費程度なら、俺が渡したお金だけで十分足りると思うが。
「あ、あれはマリーの結婚費用にするのっ!」
「お、おいおい、マリー! 結婚なんて早すぎるぞっ! な、ななななにを言ってるんだ」
慌てるディック。
まああの端金は二人の好きなように使ってくれればいい。
そんな感じで騒がしくしていると、
「ん——こ、ここは?」
リネアの瞼が開かれ、俺達にそう問いかけてきた。
「気が付いたか」
「て、敵は! モンスターは!」
「安心しろ。モンスターなら倒したから」
「キングベヒモスを——ああ、そういえば」
だんだん記憶が鮮明になってきたのか。
リネアは仰々しく頭を下げて、
「あ、ありがとうございます! キングベヒモスを倒した見事な魔法! あなたは大魔導士かなにかですかっ?」
「止めてくれ。俺はただのおっさんだ」
「お、おっさん……?」
リネアが首を傾げる。
動作・言葉の一つ一つがお人形さんみたいで、思わず見とれてしまう。
「それで、この子達はディックとマリーちゃん」
「よろしくな!」
「よろしくなの!」
二人がそれぞれリネアと握手をする。
「さて——まずは一つ一つ説明させてもらおうか」
説明する。
ここはイノイックという辺境の街だということ。
キングベヒモスを倒してから、リネアをここに連れてきたということ。
もう危険はないから、安心して欲しいということ。
説明を終えると、リネアは安堵の息を吐いて、
「良かった……私は逃げ切れたのですね」
「逃げ切れた?」
そういえば、エルフがこんなところをほっつき歩いているなんておかしい。
エルフというのはエルフだけで街や村を形成し、そこで暮らしているため、滅多なことで人目に現れることはない。
そのため、エルフと出逢うってのはなかなか貴重な経験なのだ。
まあ俺は勇者ジェイクと旅をしていた時に、何回か出逢ったが。
「はい——実は私、追われていたのです」
「キングベヒモス——じゃないよな」
「はい。ちょっと外に出てみたくなって……エルフの村から出て……その際に人間にさらわれてしまって」
「さ、さらわれたってっ?」
一気に話が物騒になる。
俺の問いかけに、コクリとリネアは頷いて、
「そのまま人間に捕らわれていたのですが、隙を見て逃げ出してきました。ですが途中で見つかり、追われていて——目的もなくただ走り回って——」
「そうしていたら、キングベヒモスに遭遇してしまって、ということなのか」
「はい」
なかなか不運な子である。
「でも——どうして追われていたの?」
目をクリクリとさせて、マリーちゃんが尋ねる。
「エルフは人間とは違い、生まれながらにして膨大な魔力を持っています。おそらく、その魔力が理由なのでしょう」
確かに。
リネアの言う通り、その魔力のおかげでエルフは『魔法』にも精通していると言われる。
反面、それを悪用しようとする悪い人間がいることも事実であるが。
「なかなか苦労していたんだな」
「はい……」
「だが、もう安心して欲しい。ここなら、きっと君のこともバレないはずだから」
イノイックは王都からも、魔王城からも離れた辺境の地なのである。
人口もそれ程多くない。
「わ、私のことを匿ってくれると?」
真剣な声音で、リネアが問う。
「ああ——良いよな。ディックもマリーちゃんも」
「当たり前だ! 困った女性を放っておける程、オレも男を捨ててねえよ」
「マリーも! おっちゃんが籠絡されないか心配だけど……人が増えたら楽しいから全然良いの!」
二人も歓迎してくれている。
その様子を見て、リネアはうっすらと瞳に涙を浮かべ、
「——ありがとうございます! 私、私、こんな親切にされてどうすればいいか……」
「どうもこうもしなくていいぞ」
見返りだとか、貸しだとか。
そういうのはスローライフにはいらない。
好きな時に好きなようにやる。
エルフのキレイな女性を助けたければ助ける。
これぞ、スローライフの醍醐味だ。
「そういえば、まだあなたのお名前を聞いていませんでしたね」
「俺か? 俺ならおっさんって呼んでくれれば構わない」
「いえいえ! い、命の恩人にそんなこと出来ませんよ! あなたが良くっても、私がそんなこと絶対出来ません!」
「うーん、そうか……」
頭を掻いて、俺は渋々こう口にした。
「ブルーノだ。ただの三十路のおっさんのブルーノ。これで良いかな?」