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 芽吹く緑の匂いを孕んだ風が、窓掛(カーテン )を揺らす。

 ランドール侯爵家の屋敷、赤薔薇の庭園を望む部屋──その窓辺に、娘が佇んでいた。

 海碧色(コバルトブルー)の瞳は咲き初めの薔薇を見つめている。朝露に濡れて重たげに、けれどもうつくしく咲き誇ろうとするあざやかな花たちを。


 王都を騒がせた指名手配者が捕まって五年。当時は毎日のように話題をさらっていたオーウェンの名も、いまでは忘れ去られ、風化して久しい。ロマンス詐欺などとふざけた手口の絶えたこの時代、かつての騒動を憶えている者も、思いを馳せる者もいなかった。

 ただひとり、彼女を除いては。


「気に入ってもらえたかな。この部屋は」


 そよ風の吹きこむ窓辺に立ち、眼下に広がる庭園を眺めていたノラは、ウィリアムの声に振り向いた。

 眉下で切り揃えた亜麻色の前髪がふわりと揺れる。彼女の表情をさえぎるものは何もなく、愛らしい笑顔のほころぶさまが陽光のもとであらわになる。

 左耳の上には、小さな貝殻を連ねた髪留め(バレッタ)


「ええ、とっても素敵なお部屋です。あたたかくて、窓から見える景色もきれい。これからここで暮らせるなんて……わたしはなんて幸せ者なのでしょうか」


 声を弾ませたノラの口元にふと、苦笑がにじんだ。

 うつくしい調度品で統一された部屋のなか、ひとつだけ異なる趣の家具がある。淑女が使うには不似合いな──傷つき、塗装の欠けた長櫃(ながびつ)が。


「ごめんなさい、こんなに大きなものを持ちこんで」

「どうして謝るんだ。それは君の宝箱なんだろう? ならば私にとっても宝物だ」

「ウィリアムさま……」


 目頭が熱を持つ。

 そう、傍目にはがらくたに見えたとしても、そこにおさめられているのはノラが愛してやまないものだ。かつて少女だった自分が抱きしめた、きらめく思い出のかけらたち。好きな本や、白薔薇の押し花で作った栞、可愛い絵柄のクッキー缶、小さくなってしまったお気に入りの服、古びたテディベア、そして──。


「君の大切なものは、私も大切にするよ」


 身にあまる幸せと、ウィリアムへの愛で胸がつかえる。はにかんだノラの顎を、すっかり武人らしく精悍に成長した彼の硬い指が持ちあげた。

 互いのくちびるが重なりあう。

 どんなときも甘く優しいウィリアムのふれかたが、ノラは大好きだ。王室師団直属近衛騎士、第二師団長──そんな立派なひとの伴侶になれたなど、いまだに信じられない。


 やがてふたりはくちづけをほどいた。

 隙間なく寄り添い、笑みを交わす男女の左薬指で、精緻な彫金の施された指輪が光る。


「おいで、ノラ。あらためて屋敷を案内しよう」

「……はい!」


 最愛のひとに優しく手を引かれ、ノラはかろやかに歩きだす。──そこにはもう、うつむくばかりだった内気な少女の面影はない。





 満月の夜、詐欺師は忽然と姿を消した。むしられた白薔薇の花びらのような、紙切れ一枚を残して。

 彼は知らない。戯れに関わったひとりの少女の人生を変えたこと。五年経ったいまもまだ、あの羊皮紙(ヴェラム)の一片が、長櫃におさめられていることだって。


(オーウェン。あなたのおかげでわたし、幸せよ)


 彼の名をたぐり寄せるたび、ノラの身体には勇気が湧く。背筋をのばし、顔をあげて歩く明るさも。

 いつだってそばにある。

 それはまるで、魔法のように。





〈了〉

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