48、夢見の聖女視点
「......ない、ないないない!」
ない、ない、力が戻ってこない。
待てど暮らせど一向に力が戻らない。その片鱗すら感じられない。
なぜ、なぜなの。
薄暗い部屋の中で手を伸ばしても、指先は空を切るばかり。
なにもない。なにもいない。
眩しく瞬いていた精霊は今はなく、あるのは埃臭い自室だけ。
「どう........して、なんで、」
窓を掻いた。
はめ殺しの窓から伸びる赤はすでに黒ずみ始め、新しい赤を吸って濃く色付いていく。
かり、かりかり、カリカリカリガリッ。何度も何度も壁を掻いた。何度も何度何度も何度何度も何度何度も何度
「なんでよ!!」
それでも覆らない現状に苛立ち、
星見の魔女ーーイザベラは壁を叩いた。指先から垂れた鮮血が反動で床に広がる。殴打するたびに歪に残る染みは、ぐちゃぐちゃな己の心を表しているかのよう。
それがさらに憎悪を掻き立てた。
憎らしい。憎らしい。妬ましい。あの女が。
「勇者なら、勇者なら魔族と手を組む人間をちゃんと殺しなさいよ!!」
憎悪を言葉にして吐き出す。
苛立ちから爪を噛んだ。無事な爪はいま咥えている人差し指だけ。それも、もう長くは持たないだろう。
「わたしはちゃんとやったのに、薄汚い盗賊を使って行ったのに....!」
盗賊に依頼を出したのはイザベラだ。
正確には、第3王子の部下を使って盗賊に獣人村を襲うように手配した。
もう使えない聖女を寄越して、畜生の巣に放った。
すべては女を殺すために。
「なのになんで力が戻らないのよ!」
死んだはずだ。
魔族と手を組むような人間は、総じて皆殺しにされる。なのに、一向にイザベラは無力のまま。一片も力は戻らない。
見えない、聞こえない。なにも。
「奴隷落ちすらないってどういうことよ!役立たず!役立たず!」
奴隷に堕ちれば聖力は穢れる。
穢れれば星の精霊は離れていく。
欠片すら戻らないということは、つまり女は五体満足で旅を続けてるということ。
「たかが子どもに、なんで、こんな」
コン、コンコンコン、ココン。
ノックの音にイザベラは顔を上げる。
あ、ああ、あああ。特徴的なノックの音に全身から血の気が失せていく。
扉の軋む音が恐怖を掻き立てた。
いや、来ないで。
引きずるように後退するイザベラを他所に、扉は無常にも開いていく。
「失敗しましたね」
耳に馴染みの良い柔らかな声。
肩で揃えられた黒髪、襟足だけが腰まで長く背中で揺れている。翡翠の瞳が冷たく星見を見下ろし、揃いの耳飾りが耳元で不自然にギラギラと光る。
第三王子、シェイマスだ。
「あなたに乗ってみましたが、ここまでのようです」
「まって、まだ、時間がかかるのよ。相手は低俗な人間よ?仕事だって遅いに決まって」
「死んだ人間に仕事はできませんよ」
「........は?」
「頼みの盗賊なら、全滅した、と言ったんです」
理解できますか。
貼り付けた笑みで王子は言う。
聖女狩りが盗賊を焼き払ったと。
「いやぁ、驚きました。ほとほと貴方は運がない。まさか聖女狩りが来るなんて」
「聖女狩り....なんで」
「さぁ、なぜでしょう。貴方が天に見放されているとしか.....」
「あんたがーーっ!」
イザベラがシェイマスを睨め付ける。
タイミングが悪過ぎる。この計画の全容を知るのは己とシェイマスだけだ。
だが、シェイマスは残念ながらと首を振った。
完全なる偶然だと。
嘘か、真実か。いまのイザベラに判別することは出来なかった。
「そう睨めつけないで下さい。怒りたいのはこちらですよ」
背中がぞくりと際立つ。
浮ついた声が低い落ち着いた物に変わる。
瞬間、心臓を掴まれたような息苦しさを覚えた。呼吸が乱れる。
「イザベラ、貴方は僕に「ただの少女を殺すだけ」だと言いましたね」
「そ、そうよ。それがなに」
「たったひとりで盗賊を蹂躙し、虫の息だった獣人を救える人間が「ただの少女」だと?」
「はあ!?そんなわけ」
「間者からの情報です」
「ーーっ!」
噛みつこうとした言葉に詰まる。
シェイマスの間者はどれも優秀だ。
どれも従順で賢く、そして嘘がない。
憶測で情報を流さず真実だけ伝える間者を、機械と呼んだのは誰だったか。
それこそ、シェイマスの言葉よりもよほど信用に値した。
背中を汗が伝う。
情報の正しさは、イザベラが与えた情報の不確実性を際立てるということ。
それは、つまり。
「ようやく、己の立ち位置を理解しましたか」
「まって、待ってよ。わたしは別に嘘を貴方に教えたわけじゃ」
「真偽のほどは関係ありません。僕に無駄な労力を使わせた、その事実だけで十分な罪になります」
「想定外だった!それだけ、それだけなの!わたしは、違う。仕事が出来なかったのは盗賊じゃない?ね?」
「貴方には罪を償ってもらいます」
「罪なんてっ!わ、わたしと貴方の仲じゃない。ね、お願いだから落ち着い」
「罪状は、勇者一行に対する殺人未遂」
「落ち着いてって言ってるじゃない!」
ガンッ。
耳の後ろで音がした。
頬に熱を感じて指先でなぞれば、鮮血が指を汚す。
シェイマスが投げたナイフが頬を掠ったのだ。カタカタと身体が震える。
本気だ。この男は本気でわたしと手を切るつもりなんだ。
「いつまでも洒洒んなよ。おばさん」
「うっ、ぁ....」
「貴方には地下に降りてもらう」
「いや、いやよ。あそこは駄目」
シェイマスの指示で執事服を身に纏った男たちが、イザベラの身体を拘束する。
彼らは泣きながら首を振るイザベラを、ズルズルと部屋から引き摺り出す。
「おねが、お願いだから、もっと頑張るからもっとちゃんとするから、だから地下は地下だけは」
「選択肢なんて奴隷にあるわけねぇだろ」
「ーーーっ!?」
「連れてけ」
「いや、いやいやいやいや!いやぁぁぁあ!!!?」
廊下にイザベラの悲鳴が響き渡る。
誰も手を差し伸べる者はいない。
暴れるイザベラを、まるで物のように運んでいく男たちの顔に感情は見えない。
「せいぜい予言を残して下さいよ。死ぬまでね」
あんたの後釜はもう見つけた。
間者から送られた写真をなぞる。
ぼやけた写真の向こうには、金髪碧眼の少女が写っていた。
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