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05.彼の秘密とそれから


 ■■■


 あれから、当然ながら、しばらく社内は騒々しかった。


 通報の後、警察はすぐさまやってきて、現場検証した後、遺体を引き取った。倉庫の管理者である課長は任意同行という形になったが、課長が自供したことからすぐに逮捕されたようだ。

 倉庫は現場検証のために立入禁止のテープが張られ、しばらくは警察官や鑑識が出入りしていた。社外秘の資料も多い倉庫の検分中には、常に社員が付き添っていることになった。事件の当事者である井森さんは、一日中、倉庫の片隅に立って、警察官の作業を眺めさせられる担当になった。


 倉庫に入るのを避けていた彼は嫌がるかと思ったが、意外なことに、素直に従っていた。

 課長がおらず、混乱した部の中で仕事を回していかない忙しさよりは、マシかもしれないと思ったのかもしれないが――まだ、分からない。

 事件の後、意外にすっきりした顔の井森さんに、私はまた軽く引っ掛かっていた。


 ■■■


 私がパソコンの電源を落として帰ろうとすると、ちょうど井森さんがオフィスに戻ってきたところだった。


「今、帰り?」


 井森さんは時計を見上げた。夜の7時を回ったところで、残っていたのは私だけだ。


「ええ、井森さんは――」

「うん、部長と、警察の人と打ち合わせたとこ。明日から通常業務に戻っていいって」


 不在だった課長席にも新たに人を回してくれるとのことだ。それは助かる。

 私は井森さんとオフィスの電気を消し、外に出た。駅までの道を並んで歩いていると、先に井森さんの方が口を開いた。


「水落さんってすごいね」

「……別にすごくないですよ」


 確かに、ダウザーの鍛えた感覚がなければ、遺体を発見するのはもっと遅れただろう。だが、倉庫に入った時から、私は血の臭いや、違和感に気付いていたのだ。

 いくらビニール袋に密閉されていたとはいえ、人間の遺体なんてものがあれば、もっと早く気付いてしかるべきだった。

 そんなことを思っていると、井森さんはのんびり言う。


「僕だったら、殺人事件が起きたオフィスで一人で残業なんかできないよ」

「そっちですか?」


 ダウジングではなく、肝が座っていたことを誉められたのか……。女性として、これはこれで複雑な気もする。


「……聞いてもいいですか?」

「何?」


 私は、井森さんを見上げる。やはり、穏やかで、気弱そうな、ごく普通の男性にしか見えない。


「井森さんは――遺体がある間、明らかにあの倉庫に入るのを避けていましたよね。私が倉庫に入ることも、避けていた」


 井森さんの肩が、ぴくりと揺れた。


「だけど、遺体を見つけた時、心の底から驚いていた。遺体があったことやあの場で殺人があったことは、知らなかった。そう見えました」


 私が見る限り、彼の態度は、演技でなかったと思う。

 彼はこの事件に関して、まったくの無関係だったし、何も知らなかった。

 それなら何故、あんなにも、倉庫を避け――私が倉庫に入らないようにしていた?


「…………。」

「…………。」


 井森さんはしばらく黙っていたけれど、しばらくして、ため息をついた。


「……水落さん、時間ある?」

「ええ、まあ」

「ちょっと歩こう。歩きながら説明するよ」


 ■■■


 しばらく、私達は無言で駅に向かって歩いていた。この道は夜でも交通量は多く、私達の歩くで、びゅんびゅんと車が通り過ぎる。


「――水落さんの、水晶には、不思議な力があるの?」

「……いいえ」


 私は否定した。

 確かに周りから見れば、目的の物に反応する、不思議な道具に見えるだろう。


 だが、あくまで水晶はダウジングの補助具でしかない。人間の潜在能力下で知覚した反応を、見えるように伝えるための道具だ。

 確かに水晶を使った方がダウジングの精度は上がるが、それは私が水晶を使うことに慣れていて、水晶が私の手足の延長のように、私の体の僅かな揺れと反応するからだ。


「……そうか。……じゃあ、水落さん。あの電信柱の辺りに、何か見える?」

「……何もないと思いますが」


 薄暗いとはいえ、街灯に照らされた場所だ。何かあれば見えないことはないだろう。だが、何も見えない。


「うーん……そうか、そうだね」

「井森さん? 何が言いたいんですか?」


 はっきりしない物言いに、私は焦れて尋ねた。井森さんは頭を掻きながら、小さな声で言った。


「何となく……気付いた、じゃ、駄目かな」


 それが遺体のことを言っているのだと、少しして分かった。


「気付いてた? 駄目に決まってるでしょう、だったら何で早く通報しなかったんですか」

「今にして思えば、なんだけどね……まさかその、……荻原さんだとは知らなくて」


 言い方にますます引っ掛かる。私はイライラして、つい声を大きくしてしまう。井森さんの前に立ち、見上げるようにして詰め寄る。


「まさか、前に遺体を見てたんですか?」

「いや……それは本当に知らなかったんだけど」

「本当のことを言ってください、井森さんの態度が引っ掛かってたから、私はなかなか核心に気付かなかったんですからね」


 最後の方はやや、八つ当たりという自覚はあったが――私には、彼が私に隠し事をしていて、それが何だか分からないのが悔しかった。

 嘘をついていれば、すぐ分かる。私は鋭い方だし、彼は裏表のない方だ。

 だというのに、彼の態度の不自然さはまったく私には分からない。何を隠しているのか、見えない。


「……僕の言うことは、信じられないと思うよ」

「それは、私が判断します」

「僕、幽霊が視えるんだよ」


 あまりに予想外の返答に、私は、彼の顔をまじまじと見た。彼は、私から目を反らして歩き出す。


「ひょっとしたら、水落さんも似たような感じかなって思ったけど……その振り子は霊能力の類じゃないみたいだし、ね」

「えっ……ちょ、待ってください、幽霊?」


 私は、井森さんの顔と、彼がさっき指差していた電信柱を交互に見た。

 やはり私には何も見えないが――え? 慌てて声を潜めて、井森さんに尋ねた。


「あそこ……何かいるんですか?」

「うん、幽霊っていうか、もっと複数の感じ……かな。よくない気配と言った方が近いかもしれない。多分、ここ、事故が多いんだろうね」


 それきり井森さんは黙ってしまった。

 仕方なく、私は推測で尋ねる。


「じゃあ――まさか、井森さんは、会社の倉庫で」

「頭から血を流して、こっちを睨む女の人が見えてた。……荻原さんを知ってれば、そうだと気付けたかもしれない」


 ただ、井森さんは殺された荻原さんと、生前に面識がない上、荻原さんが死亡していたことさえ知らない。だから――倉庫に佇む謎の女幽霊の正体に気付けない。

 彼にとっては、何故か分からないが、会社の倉庫に佇む幽霊だ。


「……それで、倉庫を避けたんですか」

「昼はまだ耐えられるけど、暗くなると、ね。あ、もういないよ。遺体が運ばれていった時には、もう視えなかったから」

「……。そうでしたか……」


 もしそれだとしたら、確かに倉庫に入りたくはないだろう。


「え? じゃあ、私が入るのを避けたのは何なんですか?」

「いや、まあ、その、荻原さんの幽霊は、はっきりしている方というか。課長にしか恨みがなかったみたいだし、その、遺体があんなところにあったんじゃ、仕方ないとは思うよ。……でも、ああいう存在に理屈は存在しない。あんまり引っ掻き回して近付くと、何が、水落さんに起こるか分からなかった……」


 ひどく感覚的な物言いだったけれど、説明されて、ようやく、彼の態度が腑に落ちた。

 だが、井森さんはむしろ困惑したように私を見た。


「……こんな話、信じるの?」

「そうですね、私は霊を見たことはないですから、霊の存在を信じることは難しいですが――」


 歩いているうちに、次の駅が見えてくる。落書きで汚れた高架下に差し掛かった。


「井森さんが、本当の事を言ってくれてるとは思いますから」


 ――これは、私の直感だ。

 自分の直感を信じなくて、何を信じるのか。


「……水落さん、本当に?」

「ええ、まあ――人はどれだけ、周りが見えていないか知るべし。自分の見ているものもまた、人の見ているものと違う。自分の見ている世界を深く掘り、探り続けよ――そう教わってきたもので」

「…………。」


 井森さんは今度こそ、本当に黙った。

 幽霊が見えるなんて自分の話を、信じてもらえるなんて思っていなかったんだろう。――そんな様子に共感できる部分がないわけでもなかったので、私はそっとしておいた。


 駅の入口まで来て、井森さんは最後に、消え入りそうなくらいの声で呟いた。


「あの、……このあと、……」

「え?」


 ちょうどその時、私達の真上を電車が通る。線路と電車がぶつかるゴウゴウという大きな音が反響して、井森さんの小さな声を覆い隠す。


「あ、いえ、何でもないんだ、じゃあ」


 改札に向かってそそくさと歩き出した井森さんを、私は引き留めた。


「いいですよ」

「――へっ?」


 私ももう少し、話を聞きたいところだった。

 彼が机の上に落ちているボールペンを見落とすのと同じだ。そこにあっても、私に見えなくて、そして彼には見えている世界があるのだとしたら。

 見えていないものに――興味が沸いた。


「聞こえてたの?」

「自分で言ったんじゃないですか。近くでお肉が美味しい店知ってますけど、どうです?」


 私は、悪戯っぽく笑ってみせた。


『このあと、一緒に、食事でも――』


 だから、五感は鋭い方なのだ。彼の言葉を、聞き逃す私ではない。


その後、透子お気に入りのステーキハウスにて。


「本当だね、ここのお肉、本当に美味しい」

「ですよね。デザートのスフレも美味しいですよ」

「水落さん、さっき、五感が鋭いって言ってたけど、味覚もそうなの?」

「んー。そうですね。何か盛られたら、すぐ分かる程度には」

「……。」



お読みいただき、ありがとうございました。

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