【アメシス後日談】紫水晶の約束 ― 再びあなたと生きるために 後編 ハッピーエンド
「おお~久しぶりだな」
伯爵家のエントランスで、庭師の男性に会った。
昔、何度か花を分けてもらった。
確か、私より少し年上で二十代半ばだけれど、職人歴は十年以上だと聞いたことがある。
腕も仕事の手早さも定評があり、以前より日に焼けた筋肉が隆々として、男らしくたくましい。全身から自信が漲っている。
「花、欲しかったら、また届けるぜ」
「ありがとうございます。覚えててくれたんですね」
「あんた、好みなんだよな」
「え……?」
別に彼を意識はしていないが、異性からのストレートな言葉に少しドキッとする。
「あんた、副当主に気に入られてんだろうけど、使用人が貴族のお手付きになったって妾がいいところだろ。俺くらいのと一緒になった方が平和だぜ」
(……確かに)
アメシス様はそういう人ではないと思いたい、けれど。
彼の言うことは、ごくごく一般的な話。
私は、ほんの数年男爵令嬢だった。そんな身分にこだわるつもりはない。
でも、階級社会の上下の壁は体感で知っている。
自分から使用人にと言ったとはいえ、後ろ盾もない私の妥当な立ち位置だ。
アメシス様は、私を闇から救った天使のように見ている節がある。
アメシス様がたまたま病で孤独になり、私はたまたま父が医者で、少し病の知識があって、宝石を盗むために取り入る必要もあって……というだけ。
公爵令嬢のように、私よりもっと高貴で美しい花嫁候補はたくさんいる。
アメシス様がある日、すべてに気付いて……なんて、考えるのも怖い。
「なあ。だから、今夜遊びに行か……」
庭師の言葉の途中で、私の視界が暗くなった。手……?
「あ、副当主様……ど……どうも……」
慌てた庭師の言葉で、アメシス様の手が背後から私の目を覆っていたのだと分かった。振り返ると、アメシス様が暗い顔で立っていた。
アメシス様は、ぎゅっと口を結んだまま、私を自分の部屋へと連れて行った。部屋に戻ってもアメシス様は、ずっと無言だった。
窓から、先ほどの庭師の男性が、道具を携え作業に戻るのが見えた。
それに気付いたアメシス様が、再び私の目を手でふさぐ。
「……見たらだめだ」
「え?」
「私にないものを、彼は……」
アメシス様は、窓から目を背ける。
アメシス様は、以前より遥かに健康的になった。
それでも呪いと言われた病で部屋を出られなかった十代の孤独な数年間、太陽の下の世界は、さぞ眩しかったに違いない。
「アメシス様……」
壁に背中を当てられ、目を塞がれたまま、唇に柔らかいものが触れる。
軽く啄むように触れられてアメシス様の唇だと分かる。
一度離れて、もう一度重なる。
手が離され視界が戻ると、間近にアメシス様の瞳がある。
本来紫の瞳は、影を帯びて漆黒に見えた。
「待とうと、思ったんだけれど……目が覚める度に……君の姿が見えないだけで、もういないかもしれない、二度と触れないかもしれないと……耐えられないんだ」
アメシス様は私のまぶたに、祈るように唇を付けた。
「……見ないでくれ……こんな男では、きっと君は……それでも、それでも、どうか私を……」
まぶたから、頬、そして唇にもう一度重なる。
遠慮がちだったキスがだんだん深く、熱を帯びて来る。
私は足が震え、壁にもたれていないと意識が飛んでしまいそうだった。
「はあっ」
アメシス様の息が荒くなって、大きく肩が上下する。
赤く色づくアメシス様の体は、昔の記憶を思いこさせた。
息が、胸が苦しくて、体を少し引こうとする度に、
「逃げないで……行かないで……」
懇願するように何度も呟くアメシス様の声が、熱い息とともに耳元に響いた。
離すまいと絡められる指先は、ずっと震えていた。
私は、この人をこんなに傷つけていたんだ……。
贖罪になるのかどうか分からない。
でも、全身全霊で受け入れようと思った。
◇
数か月後、私は具合が悪くて、お休みをいただいていた。
休みたくはなかったけれど、体が重くて、めまいや吐き気もして、仕事ができそうにない。
アメシス様が、不安げに覗きに来る。
「休みなのは、分かっているんだが……」
アメシス様が私の方へ手を伸ばしかけたけれど、届く前に力なく落ちる。
視線も落ちて、次の言葉を一生懸命探しているようだった。
あれから、ずっとそう。
きっと、自分を責め続けている。
叱られるのを待つ子供のように息を潜めている。
私が何か口を開くことすら不安そうだった。
お屋敷に戻った後より、距離ができていた。
けれど、そうかと思えば、こうやって追って来られることもある。
私は、どうして良いか分からず、以前と同じように対応することを心掛けていた。
でも状況は変わってしまった。私自身、真実を伝えていいものか迷っている。
庭師が言っていた「妾」という言葉も頭を過った。
もしこの家をお暇することになっても、私はやっていける?
父は他界し、母も田舎で一人、ほそぼそ暮らしている。
何とかして生きぬこうと覚悟は決めていた。
「アメシス様……」
私の呼びかけに、アメシス様は少しぎくりとして顔を上げた。口を開きかけたけれど、声は出なかった。
「アメシス様、私……本当にこのまま、ここにいてもいいのでしょうか?」
「パル……?」
アメシス様が、首を傾げて困ったように私の顔を覗き込む。
「も……もちろん……」
「……二人になりますが……」
私の言葉に、アメシス様が固まる。
「二人……?」
じっくり数分間の時が流れた。
ハッとしたアメシス様が青くなる。
「……まさか……あの……庭師と……?」
崖から突き落とされたように絶望的な顔をしているアメシス様。
私は、慌てて首を振る。
「あ、いえ、違います。あの人とは何もないです。そうではなくて……」
私は、目を伏せてそっと自分のお腹に両手を重ねた。
アメシス様は、私の顔とお腹に何度も何度も視線を往復させて、震える声で言った。
「……あ……子ども……? わっ……私の……子……?」
「……はい」
私は、静かに頷いた。
アメシス様は、目を見開いたまましばらく無言だった。表情も動かない。
(……困っているのかもしれない)
今度は、私が不安を感じるくらい十分な時間。
(やっぱり、一人で……違う。この子と二人で……この子のために精一杯何がしてあげられる?)
そんなことを考え始めた時、はらり、アメシス様の目から一筋の涙がこぼれた。
はらり、はらり。
窓から差し込む日の光が、涙に反射する。
紫の瞳から溢れる、限りなく透明な液体がキラキラ光る。
――何て綺麗だろうと、思った。
「パル……」
アメシス様は私の体を両手で抱き寄せた。
「……ありがとう……」
掠れた絞り出すような声。
体が、小さく震えてる。
でも体温が上がっているようで、どんどん暖かくなる。
それだけで、アメシス様の感情が伝わって、私はどんな言葉を重ねられるより心地よい安心感を得られた。
生まれた子供は、アメシス様と同じ紫の瞳の男の子。寂しがり屋の男子二人に挟まれて、幸せな日々が続いている。
紫水晶の約束 (完)




